将棋の羽生善治竜王(棋聖、47)が12月13日に都内で記者会見を行い、5日に達成した「永世七冠」達成と、政府が検討している国民栄誉賞、将棋への思いを約1時間について語った。永世七冠達成直後の会見で発した「将棋そのものを本質的にはわかっていない」というコメントについて改めて聞かれると「(将棋について)自分がやってきたのは、ほんのひとかけら。ひとかけらにもなっているかいないか」と語った。会見の主な内容は以下のとおり。
―政府が国民栄誉賞を検討していることについて
検討していただけるだけで大変名誉なことだと考えています。引き続き棋士として、きちんと邁進していきたいという気持ちでいます。現時点では、連絡はありません。
―囲碁の井山棋聖も検討されていることについて
井山さんは全冠制覇を今年2回もされて、まさに現在も新しい記録を塗り替え続けている。隣の世界ですけども、非常に素晴らしい棋士だと思っています。
―これまで将棋界の第一人者として感じてきたプレッシャーについて
緊張感といいますか、プレッシャーというものは、何年経っても何十年経っても感じることはあります。一方で、プレッシャーがかかる環境で対局が出来るというのは、棋士にとって非常に充実して幸せなことなのではないかなと思っていますし、そういうものがなくなってしまう方が問題があると思っています。ある程度までだったら、そういうものがあった方がプラスに作用するのではと考えています。
―棋士のとしての自信について
イメージとして、棋士は何十手も何百手も読めるので、常に先のことを見通しているようなイメージを持たれていると思いますが、実際はそんなことは全くなくて、10手を読むことはできるんですが、現実に起きる10手を想定することは、ほとんどできないんです。だから常に予想外とか想定外とか、考えている範疇の外側のことが実際に起こるケースがほとんどなので、やっていることは意外と暗中模索というか、五里霧中の中で目の前の言ってを繰り返しているというの状況なので、あまり自信も見通しも持ってやっていないというのが実情です。
―「羽生マジック」と呼ばれることについて
人が思いつかないような手を指しているという表現かもしれないですが、自分の中では普通の手、平凡な手を選んでいるつもりです。ただ一方で、棋士の世界でやっていく中で、いかに人と違う発想とかアイデアとか、そういうものを持つことが出来る、考えることができるかに、だんだん比重が高くなってくるので、そういうところを大切にしています。
―将棋そのものの本質について
もともと将棋そのものの可能性は10の220乗ぐらいあると言われていて、途方もない数です。子どものころからやっていますが、自分がやってきたのは、ほんのひとかけら。ひとかけらにも、なっているかいないかくらいしかやってきていない。それを考えると、根本的なことはわかっていないという面はあると思っています。
―将棋の流行の移り変わりが速いことについて
厄介と厄介です。かなりそれだけに時間と労力を費やさなくてはいけないので。でも過去にあった定跡の中でやってしまうと、なかなか自分の発想とかアイデアを使いにくいという面があるので、最先端の形を知っておくのは非常に大事だなと思います。
―将棋ソフトで過去の戦術が再評価されたことについて
コンピューターは膨大な情報を生み出してくれます。それを受け入れるか受け入れないかは、人間の美意識によるところは非常に大きいと思うんです。過去にあったものは、人間にとって受け入れやすいものです。なので、そういう温故知新のようなことが起こったのではと思います。
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