(2000年のダンロップフェニックスで優勝を果たした片山)

 3月30日から3日間で開催される「Novil Cup」は今季全12試合が行われるAbemaTVツアー(アベマティーヴィーツアー)の開幕戦だ。同ツアーは、レギュラーツアーへの登竜門であるチャレンジトーナメントを大きく変革したものである。

 チャレンジの多くは2日間競技だったが、今季からは、予選36ホール、決勝18ホールとすべて3日間競技にグレードアップ。そのルーツをさかのぼると、JGTOが発足するずっと以前の1985年から始まったグローイングツアーにたどりつく。ただし、当時はまだ年間2試合しかなくツアーとは名ばかりではあったが。

 このツアーが登竜門としてプロたちに意識されるようになったのは、1990年に同ツアーの賞金ランク上位3人がレギュラーツアーに昇格できるという制度を作ってからだ。試合数も1991年には10試合と成長していった。プロにとっては大事な舞台にはなったものの、選手の多くはほぼ無名。世間から注目されることはあまりなかった。そんなツアーを賑わせたのは、1993年の水戸グリーンオープンでの片山晋呉の優勝である。

 当時、片山は日大3年生のアマチュア。プロの試合でアマチュアが優勝するのは、第1回日本オープン(1927年)の赤星六郎、西日本オープン(1967年)の中部銀次郎、中四国オープン(1980年)の倉本昌弘など前例がないわけではない。近年ではマンシングウェアオープン(2007年)の石川遼、鳩山CC・GMAチャレンジ(2010年)の小平智、三井住友VISA太平洋(2011年)の松山英樹など若手がいきなり優勝することも珍しくない。しかし1990年代は、「プロとアマでは雲泥の差がある」と考えられていた時代だ。

 「プロの試合で勝てるなんて思っていなかったですよ。だから、とてもエキサイティングだったのを覚えています」と片山は当時を振り返る。片山がグローイングで勝った1993年のJPGAツアーの賞金ランクトップ10に入っている20代選手は当時28歳だったトッド・ハミルトン(米)ただひとり。30歳を過ぎなければ一流選手になれないと考えられていた時代でもあったのだ。その年の秋、片山は日本オープンで3位タイとなりローエストアマの称号を獲得。アマチュアが3位に入るのは1928年の赤星四郎以来の快挙でもあった。翌年、日本学生選手権を制し、満を持してプロへの道へ進む。

 現在はQTを勝ち上がってツアー出場資格を得るが、日本プロゴルフ協会がトーナメントを主管していた当時は、プロテストに合格することが必須条件だった。そのプロテストはPGAツアー予選会第三次予選が正式名称だ。そこに至るまで第一次、第二次と勝ち上がる必要があったからだ。アマチュアタイトルを持つ片山は第三次予選にシードされ、2位でトーナメントプレーヤーの資格を得た。だが、「プロには勝てない」という試練が片山を待っていた。三次予選合格者は、さらに四次、五次予選を経て、ようやく現在のファイナルQTに相当する最終予選にたどり着く。この年、最終予選の舞台には片山の姿はなかった。それは、片山が日本で試合に出場するチャンスを失うことを意味した。

 その苦境を救ったのがグローイングツアーだった。グローイングツアー最終戦に主催者推薦で出場の機会を得た片山は、プレーオフの末に優勝。これで翌1996年のグローイングツアーの出場資格を獲得できたのだ。その勝利こそが、賞金王、マスターズ4位という偉業の足掛かりになったのだ。

【久保田千春/ゴルフダイジェスト社専属編集委員】

横峯さくら緊急参戦/AbemaTVツアー初戦「Novil Cup」予選1ラウンド | AbemaTV(アベマTV)
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