普段は右利きだが、常に左手で箸を持って食事をする。片山晋呉は日常生活にゴルフのスキルアップの要素を取り入れているプロだ。現場の経験をフィードバックしてスキルをアップさせるのがプロという意味では、片山はプロの中のプロである。「試合で経験したものを練習で生かすのは当たり前のことで、生活レベルにも生かさなければならない。なかなかそういうことに気づく選手はいないんです」と片山。その象徴が左手に持つ箸なのかもしれない。
日本ゴルフツアー機構(JGTO)が主管する下部ツアー(AbemaTVツアー)もプロゴルファーにとってスキルアップの仕事場だと片山は考える。今シーズンからチャレンジトーナメントからAbemaTVツアーと名前を改めた2部ツアー。そのルーツであるグローイングツアーの水戸グリーンオープンで1993年にアマチュアとして優勝した片山は、プロになってからも1995年のグローイングツアーの後楽園カップ(第5回)で優勝している。
主催者推薦でようやく出場できたこの大会での優勝は、当時の片山にとって大きな意味があった。95年9月に片山は日本プロゴルフ協会のプロテストに合格していたものの、最終予選に駒を進めることができなかった。そのため片山には、その年度も翌年度も、レギュラーツアーはもちろんのこと、下部ツアーの出場権もない、いわば就職浪人のような立場になっていた。グローイングツアーの最終戦が行われたのは11月。滑り込むようにして、翌年の同ツアーの出場権を得られ、仕事場の確保ができたことが、いまでも「大事なことだった」と片山を振り返らせることになった。
「いまでもそうですけど、試合じゃなきゃわからないことがあるじゃないですか。戦う中で何かを学ぶんです」と片山は言う。つまり、試合に出られないということは、スキルアップも望めないということだ。
翌96年の予選会で片山は、ようやく最終予選まで進むことができ、60位という出場優先順位を得た。当時は生涯獲得賞金3億円以上とか生涯獲得賞金ランク25位以内とか、様々なシードのカテゴリーがあり、最終予選60位では全試合にエントリーできる順位ではなかった。しかし、片山は少ないチャンスを生かして、97年シーズンを賞金ランク34位で終えることができ、賞金シード選手になれたのだ。それも「試合の中から学ぶ」という片山の姿勢があったからだろう。
「いつも平らなところからバンバン打って、それで60台でまわれるわけじゃないんですよ。試合の中で気づくものがあって、それがなければ練習のしようがありません。試合で得たものを練習に生かして行く姿勢がなければ、その上に行けないんです。特に下部ツアーに出ている選手は、そこが大事なんです」
とりわけプレッシャーがかかった場面での自己分析が大切だと片山は言う。「試合で優勝争いをしていると、自分のテンションが異常に高くなったりするわけですよ。そうすると、自分のパフォーマンスはどうなるのか。練習だけでは絶対にわからない部分なんです。普通、パフォーマンスは落ち気味になるけど、僕はその逆。それも試合を経験しないとわからないんです。試合の中でパフォーマンスを発揮するにはどうしたらいいのか。そういうところまで考えて、試合に臨んで欲しいですね」
これが片山の下部ツアーで戦う若手プロたちへのエールだ。
【久保田千春/ゴルフダイジェスト社専属編集委員】