新生児や生後3か月以内の乳児が発症する難病「大田原(おおたはら)症候群」をご存知だろうか。重篤な脳機能障害と発達の停止・退行をきたす希少難治てんかんの一種とされ、体のつっぱりなどと同時に意識消失も引き起こす。患者数は日本に100人未満とされ、有効な治療法も未だ確立されていないことから、2015年には厚生労働省の「指定難病」に指定された。
東京都立神経病院・脳神経外科医長の松尾健医師は「1976年に大田原俊輔先生が定義を作った病気だが、海外でも近い症例の報告は少なく、そもそも疑いもされないケースが多いのではないか」と話す。
9日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では大田原症候群を患う永峰楓音ちゃんと、母親・玲子さんを取材した。
■「可哀想だと思っているのは自分だけだと思った」
約20年前、東京・渋谷の「109」で働き、カリスマ店員と呼ばれていたという永峰さん。結婚し、2009年に楓音ちゃんが生まれた。しかし楓音ちゃんは、生まれてすぐに発作を起こし別の病院に緊急搬送される。永峰さんが当時付けていた手帳には、生後2日目に4回のけいれんが起こったことが記録されている。
「看護師さんに"オムツ替えの練習をしよう"と言われ楽しみにしていたら、急に看護師さんの表情が変わった。"強直発作という、息止めのような発作を起こした。うちの病院では診られないということで、すぐに搬送された。NICU(新生児集中治療室)で管がたくさんついているような状況になっていて。医師からは一生寝たきりかもしれない。もしかしたら座ることも、歩くことも、物を見ることも、そして言葉を発することもないかもしれない、と言われた」。
当時の感情について「てんかんにもたくさん種類があるが、その中でも発症が早い分、重篤というか重い症状が現れるということをお話いただいた。なんで私からこんな重たい障がいを持った子どもが生まれてきたのかなと考えた」と振り返った。
辛い思いを抱えた永峰さんだが、転機は楓音ちゃんが2歳のときに訪れた。幼稚園の前で元気な園児たちを見かけて「娘もあの子たちのように元気に育ててあげたかった」と思いがよぎり、涙が溢れた。しかし、ふと楓音ちゃんに目を向けると、とても楽しそうに笑っていることに気づいたという。
「自分の価値観と、娘が思っていたことは違うんだ、可哀想だと思っているのは自分だけだと思った。この子が楽しそうにしているんだったら、それを大事にしてあげようという気持ちに変わった」。
■楓音ちゃんを支える日々
小学3年生になり、東京都で最大規模の特別支援学校「都立府中けやきの森学園」に通う楓音ちゃん。永峰さんは毎朝、自宅から車で5分ほどのところにあるスクールバス乗り場まで送り届ける。
楓音ちゃんが所属するのは、身体を自由に動かせない子どもたちのクラスだ。3、4人の子どもを1人の教員が受け持ち、ケアワーカーがサポートする体制で授業は行われている。担任の山田まゆみ教諭は「声を出したり、選択するときもちゃんと見て、声を出して教えてくれる」と話す。
夕方、楓音ちゃんのご飯を用意する永峰さん。できあがった料理はすべてミキサーにかけ、ペースト状にする。噛む力や飲み込む力が弱い楓音ちゃんの口に、流し込むように与えていく。「食べる前に匂いを嗅がせたり、"味噌汁だよ"などと教えたりすると抵抗なく食べてくれる。人にしてもらっているので、タイミングや味が予想できないと怖いみたいで」。
食事の後は、発作を抑える薬など数種類の薬が永峰さんの手によって与えられる。楓音ちゃんが受けている医療は、基本的には毎日の飲み薬と月に一度の通院のみ。それ以上、治療するすべがないのが現状だからだ。
前出の松尾医師によると「特効薬はなく、日本で使える20種類くらいのてんかんの薬を組み合わせて使う。効果にも個人差がかなりあるので、効かない子は難しい状況だ。発作が治まっている方は発達の面でも多少はいいと言われているが、目覚ましい改善が見られるわけではない」のだという。
■楓音ちゃんは「ヘアドネーション」に協力
難病支援には、国も動き出している。2015年に設立された日本医療研究開発機構で、「難病克服プロジェクト」が立ち上がった。公募により、一つの課題につき1億5千万円を上限に研究開発費が支給される。研究実地予定期間は最長3年度だ。
永峰さんは、大田原症候群をはじめとする難病を抱えた子どもの家族会「おおたはらっこ~波の会~」を立ち上げ、代表を務めている。「同じ思いを持つ人たちに会いたいという思いが強い。SNSで呼びかけて、LINEなどでもやりとりをさせて頂いている。同じ疾患の方たちが集まる場に医師をお呼びしたりすることで、症状の新たな共通点を見出せる可能性もある。ただ待つだけではなく、自分たちができることを発信することもすごく大切なことだと思っている」。
第1回会合では、我が子の難病や悩みについてベテランママに話を聞いてもらい、涙する新人ママの姿も。「発信する場所がなくて、誰にも分かってもらえないと思っていたので、何よりうれしかった。心の荷がふっと楽になったような感じがした」。
別の日には、ラジオ番組の出演のため久しぶりに夜の渋谷を訪れた。大田原症候群のことを知ってほしいと、メディアを通して実情を伝える活動もしているのだ。
活動しているのは永峰さんだけではない。「病は違うけれど一緒に頑張っている子どもたちと、共に支えあいながら生きていってほしいと思った」。楓音ちゃんとともに美容室を訪れ、ウィッグを必要としている子どもたちに髪の毛を提供する「ヘアドネーション」に協力した。すっかり短くなった楓音ちゃんの髪型に、「すごく似合う。久しぶりにこんな短い髪形見たけど、かわいい」と永峰さん。楓音ちゃんも嬉しそうだ。
「仲間がいるとどんな大変なことでも乗り越えられると思うので、仲間をどんどんたくさん作って前向きに過ごしたいと思う」。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)