白石和彌監督の意欲作『止められるか、俺たちを』が10月13日(土)より公開される。『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』と、感動・胸キュン推しの作品が目立つ昨今の日本映画界に“刃を付きつけるような”作品を撮り続ける白石監督が本作で描いたのは、1969年の若松プロダクションを舞台に命懸けで映画を作っていた若者たちの青春群像劇。権力に媚びない反骨精神の塊である若松孝二監督が代表を務めた映画プロダクションである若松プロは、性と暴力を正面から取り上げ、過激な作風で「国辱映画」と揶揄されながらも、当時の若者たちを熱狂させるセンセーショナルな作品を次々と発表。後に日本赤軍に合流した映画監督・足立正生や、「日本昔ばなし」の脚本を手がけた脚本家で映画監督の沖島勲、雑誌「映画芸術」の編集長で脚本家・映画監督の荒井晴彦など、日本映画界の異端児を多く輩出する。
本作では若松孝二役を井浦新が、そして主人公・吉積めぐみ役を門脇麦が熱演。女性でありながら若松プロの助監督となり、次第に「自分は何を撮りたいのか」と焦燥感にかられだすめぐみに、自らも1995年から若松プロで助監督を務め、若松孝二監督の背中を追いかけてきた白石監督は「めぐみは僕だ」と自身を重ねる。白石監督が描いた映画バカたちの青春とは。作品、そして師匠・若松孝二監督への思いを聞いてきた。
「若松プロの青春映画を撮りたい」きっかけは若松監督生誕80周年の特別上映会
ーー『止められるか、俺たちを』は白石監督発案の企画だと伺いました。思い立ったきっかけを教えてください。
白石監督:若松さんが76歳で亡くなって5年くらい経った頃に、生誕80周年の特集上映会があってそこにゲスト登壇したんです。そのとき足立正生さんや、この映画に出てくるいろんな方も登壇されていて、その話があまりにも面白くて。そこで(若松プロ出身の撮影監督である)高間賢治さんが作ったというめぐみさんの写真集をもらったんですよ。
僕が若松プロに入ったときもめぐみさんの写真は事務所に飾ってあったので、なんとなくは知っていたんですけど、写真集にあった年表を見て「あ、そういう人だったんだ……」ってなりました。それで若松プロの青春映画を撮りたいなと思い、それがスタートです。周りに話しても反対する人が誰もいなかったので、あれよあれよという間に進みました。(井浦)新さんにお願いしたら、本人は苦しんだみたいですけど「やる」という話になり。自分から言い出しておきながら、本当にやるとは思わなかったです(笑)。
ーー井浦さんに「若松孝二」の演出をつけるのは難しかったですか?
白石監督:つけていないです(笑)。似てる、似てないを求めてもしょうがないので、新さんなりの「若松孝二」で物語の中を生きてくれればいいなと思いました。やれることはやってくださっていたので、そこは信頼していました。
ーーキャストの皆さん、すごく生き生きと演じられていましたね。藤原季節さんが演じられた荒井晴彦さんも生意気な中に若者らしい可愛らしさがあって素敵でした。
白石監督:みんなかっこいいでしょ。似てるでしょ。努力して寄せました。(キャスト一覧を指差し)沖島さん(岡部尚)とか、(若松プロで助監督を務めた小水一男のニックネームである)ガイラさん(毎熊克哉)もそっくり!
ーーそんなキャストたちはどのように探したのですか?
白石監督:探した、はあまりないです。若松プロの映画にずっと出ていたチームと、新たなメンバー。毎熊克哉くんや藤原季節くん、山本浩司さんも初めてなんです。ただ山本さんも『断食芸人』(2016年、足立正生監督)で主演をやっていて、(山本演じる)足立さんと接点あるし、僕も仕事してみたかったので。すごくいいメンバーが集まったと思います。
ーー白石監督も三島由紀夫役で主演されていましたね。(白石監督の長編映画デビュー作である)『ロストパラダイス・イン・トーキョー』のラストにも登場されていましたが、お芝居はお好きなんですか?
白石監督:好きじゃないですよ(笑)。ただ今回は、新さんはじめ、みんなに無茶ぶりしてしまったので、僕が“冗談”にしてやりました。三島ってこの映画の中でもある意味1番有名人で、本人はすごく体も鍛えてるじゃないですか。誰がやってもツッコまれるって話だから、そこで俺が恥かけば1番丸く収まるんじゃないのって(笑)。
白石監督の実体験も映画のワンシーンに「めぐみは僕だと思った」
ーー関係者から話を集めながら作っていったのでしょうか。
白石監督:沖島さんはもう亡くなってしまっていたんですけど、実際に足立さんや高間さん、ガイラさん、いろんな方から話を聞けて、面白かったです。基本インタビューできる人はみんなしました。
ーーみなさんが体験したことが盛り込まれているという。
白石監督:時代は違えど若松孝二のところに弟子入りしているという意味では、僕とめぐみさんには絶対共通点があると感じていました。師匠の背中を見て、そこで感じた覚悟とか、そういうところは絶対同じはずだから、うまく作れるという自信がありました。
めぐみが初めて監督をすることになって、「浦島太郎」をモチーフにした映画を作ってその初号をみんなで見るというシーンがあるんですけど、そこは僕が『ロストパラダイス・イン・トーキョー』を撮ったときに、若松さんに見てもらったときと全く同じ(試写室の座席の)配置で撮っています。めぐみが座っていたところに僕がいて、パッと見たらそこに若松さんがいて。最初、(若松監督の演出として)「つまんなさそうにあくびとかしますか?」とか言って、台本にもそう書いていたんですけど、それはなしにしました。ああいう時の若松さんはすごく真面目に見てくれていたので。ただ、それが逆に怖かった。あのシーンは本当に僕の体験が入っています。
あと、現場でめちゃくちゃ怒られたのに終わった後に、「2人で飲みに行くか」って連れて行ってもらって「頑張れよ!」って言ってもらう感じとか(笑)。ゴールデン街に行くあの感じは、僕らのリアルな体験なんです。
ーー助監督のオバケこと秋山道男が若松プロを辞めるシーンも印象的でしたね。
白石監督:オバケがねー……先輩が辞めていったり、仲間が辞めていったりを僕らも経験していて。多分みんな目標や目的は違っていても、若い頃は何になりたいとかあるじゃないですか。スタートラインは一緒だったのに、いつの間にか仲間が辞めていたとかはよくありました。それが長い人生を通して見れば、人生にとっての勝ち負けってことでもないんですけど、同じところを走っている身からしたら「そうか、あいつも負けていったか」って思ってしまったりする。そういう刹那的なものを感じていたので、(オバケが辞めるシーンは)僕も印象に残っています。
今たまたま僕は監督になれているんですけど、一歩間違えれば“めぐみ”になっていたかもしれない。めぐみは僕だと思ったし、これは自分たちの物語だと思いながらやっていました。
白石監督が驚いた助監督の仕事「救急車を出したいときは…」
ーー立ちションシーンが頻発していましたが、あれも実体験をもとに?
白石監督:いやいや、立ちションはないけど(笑)。大学生が飲んだ後に噴水に飛び込んだりとか、若者はそういうことしますよね。昔も今も大して変わらないんですよ。今ではTwitterとかですぐ炎上しちゃったり、何でもかんでも咎められる時代になっちゃいましたけど、若者っていうのは本当に馬鹿みたいなことをやるんですよ。
ーー立ちションが若松プロのコミュニケーションの定番なのかと思いました。
白石監督:あれは創作です(笑)。
ーー白石組でもない?
白石監督:ないです(笑)。でも、(若松プロの若者は)おそらくやっていましたよ(笑)。
ーー立ちションといえば、若松監督と赤塚不二夫(音尾琢真)がゴールデン街のバーで立ちションするシーン、かかった人はクマさんこと篠原勝之さんでしたよね?
白石監督:そうそう! しかもクマさんだけ本人(笑)。
ーー小ネタが効いたシーンもたくさんあっておもしろかったです。バーといえば、『完全なる飼育 赤い殺意』(2004年、若松孝二監督)の冒頭シーンで使われたバーも出てきたように思ったのですが。
白石監督:そうなんです! (劇中で)地曵豪さんが出てきて喧嘩しているシーンがあるバーは『完全なる飼育』と同じです。
ーー他のロケ地も若松プロゆかりの場所を使っているのでしょうか?
白石監督:冒頭の『女学生ゲリラ』(1969年、足立正生監督)撮影のシーンは全く同じ場所を使っているし、オバケとの別れのシーンのお店も『千年の愉楽』(2013年、若松孝二監督)で使っています。
ーーファンからするとそういったところも見どころですね! 劇中では、レコードを万引きしたり街のフーテンから女優探しをしたりと、(助監督は)ギリギリな仕事が多く見られましたが、白石監督も助監督時代にびっくりした仕事内容はありましたか?
白石監督:若松プロではないんですけど、ピンク映画ってやっぱり貧しい予算でやっているので、救急車が出てくるシーンでも呼べないんですよ。高いから呼べない。だからそのときは助監督がお腹痛くなるって、まことしやかに言われていましたね(笑)。フリをして救急車を呼ぶという話をよく聞きました。
さすがに万引きは僕らの時代はしていなかったですけど、とにかく小道具は知り合いから借りるというのもありました。声をかけて借りまくって、撮影が終わるたびに友達がいなくなっていくとか(笑)。
若松監督が見たら「バカだな、お前ら」って言うでしょうね
ーー若松監督に最も影響受けたことを教えてください。
白石監督:権力側からものを見ない。ものの見方ですね。市井の人から権力側に目を受ける。それは映画作りの実践というよりも、生き方の話かもしれませんが。
ーーものの見方がそうなっているから、結果映画にもそういう姿勢が出ているのでしょうね。
白石監督:そうですね。『孤狼の血』とかもどうしてもアウトローになってしまいますし。
ーー劇中でめぐみが「やがては若松孝二に刃を付きつけるような映画を撮りたい」と言っていましたね。若松監督がこの映画を見たら、どんな言葉をかけてくれるでしょうか。
白石監督:「バカだな、お前ら。この映画、何が面白いんだ」って言うでしょうね。若松さんは自分のことを面白いと思ってなかったから。真っ当だって、俺こそが世間の常識だって思っていたはずです。
ストーリー
吉積めぐみ、21歳。1969年春、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われて、“若松プロダクション”の扉をたたいた。当時、若者を熱狂させる映画を作りだしていた“若松プロダクション“。そこはピンク映画の旗手・若松孝二を中心とした新進気鋭の若者たちの巣窟であった。小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生、冗談ばかり言いつつも全てをこなす助監督のガイラ、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲、カメラマン志望の高間賢治、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦など、映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトする。撮影がはじまれば、助監督はなんでもやる。
「映画を観るのと撮るのは、180度違う…」めぐみは、若松孝二という存在、なによりも映画作りに魅了されていく。
しかし万引きの天才で、めぐみに助監督の全てを教えてくれたオバケも「エネルギーの貯金を使い果たした」と、若松プロを去っていった。めぐみ自身も何を表現したいのか、何者になりたいのか、何も見つけられない自分への焦りと、全てから取り残されてしまうような言いようのない不安に駆られていく。
「やがては、監督……若松孝二にヤイバを突き付けないと…」
テキスト:堤茜子
写真:You Ishii