数々の個性派棋士がいる中で、ひと際異彩を放つ者がいる。橋本崇載八段(35)だ。独創的で力強き棋風もさることながら、歯に衣着せぬコメントやパフォーマンスから「超個性派棋士」「棋界有数のエンターテイナー」とも呼ばれ、ファンからの人気も高い。誰もが勝利を目指して指し続ける中で「それにしてもつまらないですね、最近の若い人の将棋は。魅せる職業という意識を持っているとはあまり感じない」と言い放つほど、プロ棋士として「魅せて勝つ」ことへの意識が高い。他の棋士たちと群れることなく突き進む橋本八段のマイロードには、いくつもの苦難があった。
今や棋士が研究する時には欠かせないツールとなっている将棋ソフトについて、橋本八段の思いはこうだ。「コンピューター将棋の長所と弊害というか。使えば強くなるんでしょうけど、その分みんな同じような指し手になる。個性がない。個性よりも勝つことの方が大事でしょうから、一概に悪いわけではないですけど」と、棋士たちが同じ方向性を持って指し進めていくことに、諸手を挙げて賛成できない1人だ。「まあ、それにしてもつまらないですね、最近の若い人の将棋は。魅せる職業というか、そういう意識を持っているとはあまり感じないですね。自分は少なくとも、そういうのは大事にしたいなと思いますね」と、勝利だけではない、勝利のほかにあるものを重視して、戦いと研究を重ねている。
将棋を指す上で伸び盛りの時期に、不遇に見舞われた。小学校高学年で奨励会に入り、東京・池袋の将棋道場に通い腕を磨いていたが、父親の転勤により東京から福岡に引っ越すことになった。今でこそネット将棋で全世界の強豪とも対局ができるが、当時はそんな環境はなかった。「(指す)相手が全くいなくて、最悪な状態になってしまった。仕方ないので、1人で棋譜並べしたり、詰将棋を解いたりしましたけど、2年間は全く強くならなかったと言ってもいいぐらい。泣きたくなるような毎日だったです」と、物を言わぬ盤と駒に向き合う日々が続いた。
“空白の2年”の影響もあり、同年代の棋士たちからも大きく遅れを取った。18歳で四段昇段、プロデビューを果たしたが「たとえば阿久津(主税)八段なんか同期でしたけど、全然勝負にならなくなっているなと感じましたね。『負けられない』って気持ちは強くなりましたけど、技術は全然上がってない」ともがき苦しんだ。その影響からか「意地を張っているだけかもしれないですけど」と語るものの、「同じ将棋仲間たちと、仲良しサークルみたいな感じで強くなりたいという思いはなくなった。悔しくて、仲良くみんなと戯れることはできない。敵ですね」と、強烈な反骨心が芽生えた。
孤独な道を反骨心で突き進むと、成績も上昇した。2005年2月に五段昇段し、そこから約1年半で七段まで昇段。タイトルホルダーとも互角の勝負を繰り広げ、2012年には順位戦A級、八段に昇段した。ここから勝利だけを追い求めればタイトルにも手が届いたかもしれないが「変なプライドが邪魔するようなところはあったかもしれないですね」と、個性を残した将棋を貫いた。結果、2013年にはB級1組に降級した。「やはり今のプロ将棋の流れ的には難しいのかなと、かなり葛藤はありますね」と、おのれの信念とプロ棋士としての結果のギャップに、今なおもがきながら指し続けている。
参戦中の超早指し戦「AbemaTVトーナメントinspired by羽生善治」では、若手有利の早指し戦の中で、藤井聡太七段(16)には敗れたものの、三枚堂達也六段(25)を下し、決勝トーナメントに進出。1回戦では若手のホープ、佐々木勇気六段(24)と対局する。「攻め手が強いというか、ファイタータイプ。基本的に、あんまり強い人は嫌いなんですよ」と、橋本八段らしい表現で印象を語った。若さと勢いでぶつかってくる佐々木六段を、その独創的な将棋で受けつぶせば、その“橋本将棋”に魅せられるファンが1人、また1人と増える。
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