
今月11日に行われた、とある誕生日パーティー。主役はコラムニストの神足裕司さん。61歳になった。集まった人たちに囲まれ嬉しそうな表情を見せるが、プレゼントを受け取っても黙ってうなずくだけ。実は7年前に患った病気の後遺症で、話すことも歩くこともできなくなってしまったのだ。

1984年に出版した『金塊巻』がベストセラーとなり、同書に出てくる「○金(まるきん)」「○ビ(まるび)」はその年の流行語大賞を受賞。その後はテレビのコメンテーターとしても活躍してきた。


しかし2011年9月、54歳の時に重度のくも膜下出血で倒れ、2回の手術の末に一命は取り留めたものの、左半身麻痺の状態になり、会話をすることもできなくなった。

17日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、神足さんとその家族の挑戦に密着した。
■「死んでしまっていたら、家族は、いまよりラクなのではないか」
倒れてから1年以上が経ち、50代にして自宅での介護生活が始まった。神足さんの要介護度は最も重い「5」。1人では日常生活を営むことはできず、介護をする側にも困難がつきまとう。

それでも家族として在宅介護を選んだ理由を、妻の明子さんは「入院でずっと離れてみて、存在というのかな。いるだけでもいいから家に帰ってきてほしいと思った」と説明する。

車に乗せるのも、トイレに連れていくのも一苦労。オムツも欠かせない。食事の際には、麻痺のない右手でスプーンを持つが、途中で動きが止まってしまうため、長男の祐太郎さんが手を添えて口元に運ぶ。脳に残る障害によって、同時に2つのことをすることができず、食事には1時間かかる。

介護に専念するため、明子さんは勤めていた保育所を辞めた。「泣こうと思えばいつでも泣けるくらい切羽詰まっている。頭の中では大変だと思っているのかもしれないけれど、そう思わないようにしているのかも…」と声を詰まらせる。

一家は都内で働く息子の祐太郎さんの給料と祖母の年金、そして貯金を取り崩しながら生活をしている。「たとえば10か月先にちゃんと生活できているのかとか、悩むことはある」と祐太郎さん。何よりも父の介護を優先させる日々の中、「どうしたらいいのか分からなくなって、逃げ出したい気分になる。実際、一晩逃げ出したこともある」。
それでも、誰よりも苦しんでいるのは本人だと考える家族は、日々神足さんを支えてきた。

コラムニストとして、30年以上にわたって言葉を生業にしてきた神足さん。ペンを握り、復帰を目指した。しかし数秒前の出来事を覚えていないこともあるといい、「意味が通じない原稿を書いたりするときもある」と明子さん。神足さんも「覚えていないこともわからない。不思議だけどわからない。暗い暗い場所」と、以前のように文章を書けないもどかしさを原稿用紙に綴った。

病に倒れてから2年。介護を受ける側にしか分からないこと、常に見てきた家族の苦労を伝えようと、息子の祐太郎さんとふたりで1冊の本を書きあげた。それが『父と息子の大闘病記』だ。そこには「ボクがあのとき死んでしまっていたら、家族は、いまよりラクなのではないかと思う。こんな父になってしまって、ごめんね」と綴られている。

今年出版した『コータリンは要介護5』には「周りにいる人の喜ぶ顔が見たい。痛くて曲がった足をまっすぐになんてできっこないと実は思っているのに『パパすごいね、頑張ったね』と満面の笑みをたたえる家族の顔が見たくてリハビリも頑張った。あの顔がなかったら、もうとっくにあきらめていたかもしれない」「家族が手間ひまかけたって本人が食べられない時がある。互いにがっかりする光景が目に浮かぶ。作る側も気持ちが少しでも楽になるようレトルトを部分的に使ったりしたい。そんな日があったって誰も文句は言わない」と家族への思いを明かし、「ボクは書きはじめたらとまれない。その時だけが昔の自分を取り戻せたような気持になる。今のボクだからできることわかることをお伝えできたら本当にうれしい」と、コラムニストとしての強い思いも滲ませた。
■「できないことを嘆くよりも、今できることをやっていく方がいい」
家族に車椅子を押してもらい、介護の現状を自ら取材している神足さん。最先端の福祉機器が世界から集まる「国際福祉機器展」は毎年取材。またスマート車椅子「WHILL(ウィル)」、サイボーグ型ロボット「HAL(ハル)」、自動排泄処理装置「curaco(キュラコ)」などを体験。HALによる歩行訓練を受けたときのことについて「麻痺していても、足はまだ歩く機能が残っているんだなぁといたく感動したものだ。繰り返し繰り返しHALのエネルギーとともに足を前1歩1歩出すことによって身体は以前の『歩く』ということを思い出していく」と振り返った。

取材をサポートする明子さんも「倒れる前は、主人がどういう仕事をしているのかが分からなかった。倒れて初めて身近に感じられるようになった。こんなにたくさんの人と交わって仕事をしているんだなと。今でもそういう人たちが助けてくれている。倒れて7年経つが、昔からの仕事仲間や友達が、家族も主人のことも支えてくれるので、私たちはやっていけているといつも思っている」と話した。
そんな神足さんがいま注目しているのが、VR(バーチャル・リアリティ)だ。
東京大学で開かれていた、360度カメラで撮影した映像を見るためのVR講習会に参加。シニアの人たちに混じり、明子さんの手を借りながら神足さんも一緒に講習を受けた。主催した東京大学学術支援専門職員の登嶋健太さんは、高齢者の介護に関わるうちに、写真や映像を見ることがリハビリのモチベーションを上げることに気づき、VRと介護の関わりについて研究している。

「写真を見ると、"横にお店あったでしょ?"とか"後ろの方にベンチがあったね"と昔の記憶が思い出される。"仮想旅行"という形でバーチャルリアリティの体験を入れていくことで、目標に向かってリハビリに具体的に取り組むことができるようになる」と登嶋さん。神足さんも「懐かしい画像や心に響く画像などが脳にもたらす影響。脳の中はみれないけど、ボクは脳がピクピク動くのを実感するのだ。VR映像が新しいシナプスを繋げている。間違いない」とコラムに綴った。

神足さんも、VRに使用するための360度映像を撮影した。周りの人に比べ作業は遅れがちだが、それでも少しずつ自分でこなせるようになっていった。「元気のある方々は映像を撮る側に回り、自由に行けなくなった方はまだ行ったことのない地球の裏側に行くことができる。ボクだったらそれが生きる気力になってると思う。ボクもカメラマンの一人に混ぜてほしい」。
明子さんは「映像を見たいがために、不自由な左手を添えるなど、頑張る。あまり体も曲げられないが、360度見たいがために、体をよじる」と話す。登嶋さんは「機能訓練・リハビリの前にVRを体験して頂くと、そこで動きが出て、リハビリに持っていきやすくなる」と話した。
神足さんが今一番会いたいのが、メディアアーティストの落合陽一さんだという。「介護市場を開放したい」と訴える落合さんは、既存のハードウェアをソフトウェアで結合し、電動車椅子に装備した全天球カメラの転送映像で遠隔操作し、安全を確保する仕組みを目指している。

病に倒れて年。今も言葉を自由に使えない神足さんは番組出演にあたり「こういう体になって今、自分がどう感じ、何が必要で何が必要でないか。障害と一口で言っても色々な障害があり、一人として同じ状況の人はいない。だから自分がいいと思っても、違う人には合わないかもしれない。それを承知で自分も発信していきたい。取材でこんないいものがあったと思えば、みんなに知らせたいと本気で思う。何か宣伝みたいだと言われても、商品名まで出して教えたい。じゃないと意味がない。それはなかなかうまくいっていない。ボクは新しいものを使うチャンスも多い。だからその感想を伝えるのも義務だと思っている。できないことを嘆くよりも、今できることをやっていく方がいいからだ」との文章を執筆。テレビ朝日の小松靖アナウンサーがこれを代読した。

そんな神足さんの前向きな姿勢について、明子さんは「今しか体験できないことがたくさんある。やってみたいことが多くて、それに付き合っているという感じ。新たにガンにもなってしまったが、ますます頑張って仕事をすると言っている」と話し、「こういう体験をできる限られた人間だと思う。そういう機会を与えられているので、仕事という面でそれを何かしら還元して世の中に少しでも役に立ちたいという面もあると思う。これからも続けていきたい」と神足さんの気持ちを代弁。祐太郎さんも番組放送中に「彼が伝えたいことは、大変さや悲惨さではなく、そこにある新しい経験や楽しさ、そして、それを見せてもらえることへの感謝だと思うのでぜひそういう目で見てほしい」とTweetしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
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