「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません」。先月25日、公式サイトで『新潮45』の"休刊"を発表した新潮社。29日放送のAbemaTV『みのもんたのよるバズ!』では、問題とされた特集企画に寄稿した小川榮太郎氏と松浦大悟氏を招き、話を聞いた。
そもそもの発端は、自民党の杉田水脈衆議院議員が『新潮45』8月号に寄せた論文だ。巻き起こった批判に同誌は10月号で「見当はずれの大バッシングに見舞われた。主要メディアは戦時下さながらに杉田攻撃一色に染まり、そこには冷静さのカケラもなかった」として、7人の論客の寄稿からなる特集企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」とを掲載し、反論した。
このうち、同性愛を単なる趣味や性癖だと主張し「性的嗜好についてあからさまに語るのは端的に言って人迷惑である。レズ・ゲイに至っては全くの性的嗜好ではないか」「痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか」といった内容を含む小川榮太郎氏の論文に非難が集中。結果的にこれが火に油を注ぐ結果となり、新潮社から本を出している何人もの作家や翻訳家が執筆を拒否する事態に発展。抗議のために「新潮社の新刊については当面仕入れを見合わせることにした。そう決断する本屋がいくつかはあってもいいと思う」と、同社の書籍の販売を見合わせる書店も現れた。
休刊発表に先立ち、同社の佐藤隆信社長は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。弊社は今後とも差別的な表現には十分に配慮する所存です」とのコメントを発表したが、抗議に集まった人たちからは「結局何が悪かったのか、一体誰の記事のどこが悪かったのか何も書いていない」「トカゲの尻尾切りというか、むしろ解決したくないばっかりに慌てて休刊を決めたんじゃないかな」との声も聞かれた。
■小川榮太郎氏「逆説的な表現部分だけを取り上げられた」
小川氏は「(佐藤社長のコメントは)論外だ。経営判断は経営判断で、議論は議論だ。混同したらおかしい。7人の論文は相当色が違う。角度も違う。ネットでは私のことをバッシングしているから、社長の発言も私に向かっていると想像する。しかし私のどの部分が非常識なのか言っていない。だから7人の論文全部を指しているように読めてしまう。どこを指すのかも分からない状態で、非常識だとか偏見に溢れているだとか、著者に対するハシゴの外し方は出版社の社長としてあり得ない。私はハシゴがなくて生きている人間だから構わないが、他の著者たちは"えっ。俺にもかぶさってくるんじゃないの"と思っているだろう」と、新潮社の対応を厳しく批判する。
また、小川氏は杉田議員を擁護した理由について「"私の感覚と違う"となったら体当りしてみる。普通だったら危険な利権やタブーにも平気で触る、彼女のような政治家も必要だと思っているので彼女を擁護した」と話す。「世の中には無数の暴言と無数の誤謬、トンデモ本が出ている。その中でなぜ彼女の"生産性"という言葉が2か月間、ほとんど魔女狩り状態になったのか。家族への脅迫も来ている。私は今回の論文でその怒りをぶつけたつもりだ。批判するのはいいが、その後、議論は深まったのだろうかと。まさに松浦さんが書いたように、議論すべき2か月間だったと思うが、テレビでもデモでも、これは完全に暴力だ」と主張。
その上で、批判を浴びている自身の論文について「私は罵詈雑言を書いたのではない。私を痴漢の擁護者だというが、バカ言うんじゃないよ。冒頭でイギリスの保守主義の元祖・バークの言葉と、同じく保守主義の思想家・チェスタトンの言葉を引用している。つまり、最も保守的な立場から書いている。バークを引用して痴漢を擁護するなんてあり得ない。逆説的な表現部分だけを取り上げられて炎上が始まった。痴漢擁護という読み方をされるということは、想像もしていなかったが、私は表現のスタイルを変えようとは思わない。もう少し、読解力をつけてくれよ、という話だ、殺人を肯定する論理や言葉がある推理小説があったとして、そこだけ引っ張ってこられて、"殺人を肯定している"と言われたら何も書けなくなる。これは非常に悪質だ。私はLGBTに対して全く差別感情はない」と持論を展開した。
■松浦大悟氏「杉田議員にも対談を呼びかけている」
同じく今回の特集企画に寄稿した元参議院議員の松浦大悟氏は「多くのLGBTの当事者が小川先生の論文を読んで悲しい気持ちになったのは事実なので、それは大変残念なことだったと思う。ただ、小川先生のような立場というのは思想的にあり得ると思うし、日本だけではなく海外にも多い。だからこそLGBTは小川先生のような方とこそ対話をすべきだと思っている。今回の論文の中にも、対話のチャンネルが意図的に盛り込まれていると思った。だから私はそれをしっかり拾っていって、いくらでもコミュニケーションできると思う。お話できるのを楽しみにしてきた。言論には言論で対応すべきだ。新潮も座談会でも何でもいいので、賛成・反対を呼んで、やればよかったと思う。いまだにお便りはないが、私は論文で杉田議員にも対談を呼びかけている」と話す。
松浦氏の話を受け、小川氏も「全くそう思う。誰も引用してくれないが、私の主張の根本は、"弱者を盾にして人を黙らせるという風潮に対して、政治家も言論人も非常に臆病になっている"ということだ。私もその急先鋒だと思われているが、例えば朝日新聞を叩くとか、韓国に対する批判本を書くといったパッケージがあり、マーケットに支持層がいる。これはプロレス型の言論だ。それに対して、性的マイノリティやフェミニズム以降の女性に関する発言というのは、触れただけで"誰かが傷つくから喋るのをやめろ"と地雷になってしまうテーマだ」と指摘した。
かねてより杉田議員を批判してきた足立康史衆議院議員は「政策論を議論するのは国会議員だから当たり前だし、税金を出すことには賛成しないという立場もあり得るのだと思う。ただ、議論の対象を個人、国民をターゲットにして生産性の議論をしたことが良くなかった。私は同性婚とか、そういうものは認めていくべきだという立場だ。そういうことを望んでいる方がいるのに対して、社会がダメだと言う必要はないと思う」と指摘。「せっかくみんなで議論して、政治家も体を張って議論しているのに、説明も不十分なまま突然休刊して封じようとしているのは出版社として残念だ。同じように残念なのは、杉田さんご自身。本当は表に出てきてご説明したらいいのに、と思う」と話した。(AbemaTV/『みのもんたのよるバズ!』より)