27日放送のAbemaTV『橋下徹の即リプ!』に経済学者の竹中平蔵氏が出演、小泉純一郎元総理や郵政民営化の思い出を語った。
竹中氏、そして小泉改革について、「金融機関が今のように整理されたのも、竹中さんが批判を受けながら金融改革をしていったから。国論を二分した郵政民営化でも、総務大臣として改革の陣頭指揮を執った。僕も竹中さんの理論の改革を進めないといけないと思うが、すぐ"競争ばっかりで、弱者はどうするんだ"という批判を受ける。でも、弱者の手当をきちんとしたうえでのこと。最近では綺麗な、優しい言葉で"支え合い"だとか言うけれど、やっぱり切磋琢磨、努力、そして自分のことは自分でやる、これが世の中は基本だと思う。政治の議論になると、すぐに保守かリベラルかいう話ばかりになるが、みんな好き勝手に定義をしているし、あまり意味がないと思う。僕は"自分のことは自分でする"を一番にするのか、"支え合い"を一番にするか、それが政治の分岐点になると思う。支え合いは必要だけれど、まず自分のことは自分でやる人をどんどん増やすのがメインだ」と熱く切り出した橋下氏。
竹中氏はこれを聞いて「私がお仕えした小泉総理とよく似ている。小泉さんがよく言っていたのは"自らを助ける人がたくさんいればいるほど、本当に弱い人を助けることができるんだ"ということ。全員が救命ボートに乗れないとき、泳げる人は泳ぐ、そうやって始めて子どもやお年寄りを乗せることができるんだ、と。支え合いをしようするためには、まず自分のことを自分でやるひとを増やさないといけない」と応じた。
学者だった竹中氏が小泉総理に請われ民間大臣として入閣したのは2001年、50歳の頃だった。「これはちょっと普通じゃない人が総理大臣になったと思った。"私は職業政治家になりたいと思ったことは一回もないが、"これから凄まじい戦いになるから、閣内で一緒にやってくれ"と言われた。青臭い話だが、ここで逃げたら後悔すると思った。小学校の時、"普段何かしているわけでないが、一朝事あらば君主のために馳せ参じる。それが武士である"と教わって、かっこいいなと思っていた。"この時だ!"と思った。大好きな谷村新司さんの『階(きざはし)』という曲の"時が来れば野を駆けても行かなけりゃ"という一節が頭の中に流れた」。
橋下氏が「政治の世界では、有権者からの信任を受けているかどうかはものすごく大きい。いくら学者やインテリ、評論家がいろんなことを言ったって、民主国家では選挙の裏付けがあることが大事だ」と指摘するとおり、3年後の2004年、竹中氏は参議院選挙に立候補することになる。
「優郵政民営化をやる前に小泉さんに呼ばれて、"今までは民間の大臣だったけれども、より大きな責任を負ってやってくれ。ついては、参議院選挙に出てくれ"とい言われた。"わかりました"と。でも、選挙って、大変なんですよ。それまでは街で街頭演説なんかしてると、"うるさいなあ"と思っていた。一度経験したあとは、考え方は違う候補であっても、演説をしているのを見ると"頑張ってください"と素直に言いたくなるようになった。山中貞則さんという、自民党税調の大御所みたいな人がいて、"竹中、男にはな、嬉しい時が二つあるんだ。一つは好きな女性と一緒になれた時、もう一つは、選挙に当選した時だ"と言っていた。その気持ちもわかりますよ(笑)。当選して万歳三唱している姿、バカっぽくみえるでしょ?でもあれ、本気で万歳してるんですよ(笑)。当選後、小泉総理のところに挨拶しにいったら、ニコニコしながら一言だけ言ったんですよ。"いい勉強になったでしょ?"って。バッジを付けてから、皆さんの当たりは全然変わりました。それはそうですよね」。小泉総理との秘話を聞いた司会のサバンナ高橋茂雄は「うわー!X JAPAN流れた~!!(笑)」と興奮状態。橋下氏も「一票入れてもらうのは本当に大変なことだ」と応じていた。
さらに橋下氏が「その後もしんどかったんじゃないですか?」と尋ねると、竹中氏は「国会では1500回答弁した。あのときはやっぱり総理が立派だった。それから郵政民営化特別委員会の委員長だった二階さん、与党筆頭理事は山崎拓さんも、ものすごく立派だった。揉まれながら何十年も政治をやっている、保守本流の人たちの懐の深さは凄い。それから秘書官たちもよくやってくれた。とんでもないバトルになるということはわかっていたし、毎日徹夜させるわけにはいかないので、実は答弁を準備するチームを2つ作り、AチームとBチームが交互に作成するというシステムを作った」と明かした。橋下は「何十万人もいる郵便局員を全部民間人に切り替えるという改革に必要なエネルギーは凄まじいね」と感嘆していた。(AbemaTV/『橋下徹の即リプ!』より)