
自民党の杉田水脈衆議院議員が8月号に寄せた論文、そして10月号の特集企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」が社会的な批判を浴び、休刊することが決定した『新潮45』。新潮社側は実質的な廃刊だとしているが、果たしてこの措置は妥当だったのか。残された課題は…。ジャーナリストの堀潤氏に話を聞いた。
■過去の「炎上」経験から学んだこと
新潮社から休刊のお知らせが出た時、僕は「言論機関としての矜持を感じさせてくれる体制をしっかり整え、また戻ってきて欲しい。望みは沈黙ではないのだから。」とツイートしました。
"言論には言論で"が根幹にあるべきですし、社会的に批判を浴びたのなら、それを引き取って議論を続けることこそが役割だろうと思ったからです。でも新潮社の姿勢は、社長のコメントも含めて"だって儲からないからしょうがないじゃん。休刊します"という、いわば"逆ギレ的"なものに映りました。憤りを覚えましたね。ビジネス的な側面を理由にしていますが、実際はあのような過剰な表現に舵を切っても、決して部数は伸びなかったわけですから。自らのブランドを守るための選択だったんだろうと思いますが、それはいわゆる保身です。長期的に見てもマイナスの判断だったのではないでしょうか。もったいないし、悲しいですよね。
僕が運営する言論メディア『8bit News』も、過去に炎上してしまったことがありました。まさに『新潮45』の問題と同じ構図で、運営者としては、プラットフォームだったいう認識で、掲載されたものの中から読者が適切な解を導いてほしいという思いだったのですが、やはり言説をきちんと精査しなければ、無責任な結論を生んでしまう場合があるんだと痛感しました。投稿された動画の内容に誤りや不確かな情報があり、運営者の我々はそれをきちんと検証できていなかった。ツイッターで炎上し、"堀はウソつきだ!"と言われ、忸怩たる思いもしましたし、一時はサイトを畳んでしまおうという考えも頭をよぎりました。でも、それではかえって自分たちの信用が落ちるのではないかと考えました。
そこで「申しありません、立て直します」という説明をして、半年以上かけてサイトをリブランドしました。資金を集め直し、外部のアドバイザリーボードを入れて体制を整えました。オピニオンよりファクトを大事にするとか、「美しい」「平和」みたいなのは言葉で押し付けないとか、様々な基準も考えました。もちろん明らかなデマやヘイトは掲載しませんが、有識者でさえも判断に迷う、それでも議論を喚起するために…という場合は、その悩みも含め「追加検証が必要な情報です」と明記して発信するようにしました。
■言論機関、そして読者に求められること
今回、また一つ、月刊総合誌が減ったことによって、ますます言論の場が減っていくんじゃないかという見方もありますし、それをネットのせいにする意見もあるでしょう。確かに、ある種の重厚さを持った"論壇"は消えつつあるのかもしれません。でも、仮にネットがなかったとしたら、今回の『新潮45』の問題も一部の読者たち間での話題にとどまっていたかもしれなません。関心が集まり、議論が広まったという側面はあるはずです。
そしてスマホを開いてみれば、今日もnoteだブログだtwitterだと、誰かが何らかの形で発信を続けています。むしろここで問題にすべきは、一部の人しか語っていない状況が本質的に変わっていないことと、平易な言葉で議論ができるようになった一方、それらを受け取った時にどうコミュニケーションすればいいのかわからない、ということだと思います。ここは産みの苦しみの最中、過渡期だと思いますね。
だからこそ言論機関は、時に過剰な反応も引き起こし、向き合うのが難しい大衆と格闘しなければいけません。その瞬間、皆が"正しい"と言う価値に寄り添い続けるメディアもあるかもしれませんが、火だるまになってでも"間違っているのではないか"と言い続けられるのか、その矜持が試されていると思います。そして、そこに価値を見出さない受け手の側の姿勢も問題にされなくてはいけないと思います。言論機関の可能性を狭めているのは、僕らでもあるわけです。NOと言うことを許さない社会のあり方は怖い。派手な言葉だけでなく、淡々としていてつまらない、冷静でつまらない言葉にも向き合い続けること、そしてそれを読み解ける教養が求められているんだと思います。
■残された課題は議論されているのか
だから『新潮45』は沈黙せず、続けるべきだったと思います。言論機関がこういうことを続ければ、自分で自分の首を締めることになりかねません。LGBTQの人々の思いが一つだったかと言われれば、そうではなかったですし、当事者不在の中で勝手に加熱して、勝手に幕引きを図るという構図はなかったでしょうか?。これは原発や基地の問題にも共通している、当事者として最も傍迷惑な言論状況だと思うからです。
先日の沖縄県知事線でも、分断や対立を煽るメッセージではなく、沖縄の人々が抱えるジレンマに目が向くような、細やかな報道が必要だったと思います。良心的な取材者たちは単純な構造に収斂するのを避けながら、問題に向き合っている当事者たちが考えていることに焦点を当てようと努力していました。それでもやっぱり「安倍政権を倒すために県知事選選挙に勝ってくれてありがとう」みたいな言葉も聞かれました。本当にそれでいいんだろうか、と。
いま大切なのは、『新潮45』を責め続けることではなく、日常に横たわっている、"あなたとは違う"という感覚から生まれる排外的・差別的な感情や分断を生むような環境、その裏にある無理解をどう解消するかでしょう。書き手も出版社も読み手も、残された課題を議論の放棄し、論点をずらしていくようであれば、それこそ"共犯者"になってしまうのだと思います。(4日、談)
■プロフィール

1977年生まれ。ジャーナリスト・キャスター。NPO法人「8bitNews」代表。立教大学卒業後の2001年、アナウンサーとしてNHK入局。岡山放送局、東京アナウンス室を経て2013 年4月、フリーに。現在、AbemaTV『AbemaPrime』などにレギュラー出演中。