18日放送のAbemaTV『NewsBAR橋下』に出演した衆議院議員の細野豪志氏が、橋下氏と激突したときのことを振り返った。二人が意見を闘わせたのは、3.11の翌年、止まっていた大飯原発の再稼働を巡る議論の中だったという。
細野:最初は橋下さんが最も強硬な反対派で、世論もそうだった。しかし関西は原発に頼っていたし、火力発電所も老朽化が進んでいた。夏に電力需要が高まればブラックアウトするリスクもあるということだったので、私は再稼働せざるをえないと思っていた。私は担当者として、政治家として、人に一番話を聞き、資料を読んだという自負があった。そこで人を通じてかなりの量の資料を送った。何度言っても読まない人もいるのに、橋下さんは全部読んで、ご自身で考えて決断した。最初にあれだけ反対していたから、撤回するのはかっこ悪いと思ったと思う。でも、橋下さんはそれができる人だと思った。政治家として苦しい決断だったと思う。
当時、僕は毎週のように福島に行って対応していたから、福島の人たちの気持ちを考えたら、できれば再稼働はしたくなかった。しかし津波のリスクも調べて、真剣に考えて、やっぱりこれは再稼働したほうが関西のリスクを下げると考え、決めた。僕も苦しかったから、橋下さんも苦しかったと思う。
橋下:もうボロカス言われた(笑)。"橋下はコロコロ変わる"と。元経産官僚の古賀茂明さんなんかは、橋下はビビった、経産省の今井尚哉さん(現・総理秘書官)に脅されたんだ"と言われた。それは違う。細野さんと話しをながら、役所にリスクを洗い出してもらった結果、ブラックアウトした場合、非常電源がない病院では人工透析が止まる可能性があるなど、いろんなことがわかってきた。全責任を負う立場として、コメンテーターみたいに反対、反対、と言うのは簡単。古賀さんは大阪市のエネルギー政策の顧問をしていたのに何も対策を考えてくれなかった。結果としてはブラックアウトには至らなかったが、僕はトップとして"対策がないことにビビりました"と言った。
だから関西広域連合という、関西の首長が集まる会議の場で、細野さんとやりあった。細野さんとの協議では、"暫定的に"という言葉を入れてくださいと言って、それを呑んでもらった。他の首長はみんな強硬に反対していたが、僕が"帰る!"って言ったらみんなスコーンと変わった(笑)。
細野:一番声の大きい人が変わったから、みんなグラグラっとなって。本当に声デカかったもん(笑)。
橋下:連日、細野さんと電話で協議して。あれが政治だな、と思った。それを政治評論家たちは無責任に…お前らやってみろ一回!と(笑)。
細野:次は瓦礫の処理。
橋下:そう!誰も受け入れない。
細野:福島-東京間の距離よりも原発から離れている岩手県の瓦礫なのに、放射能を理由にどこも受け入れてくれなかった。これも橋下さんが手を上げてくれて、ありがたかった。橋下さんは被災地のために頭を下げてくれた。怖いと感じる人がいるのは分かるが、ちゃんと調べずに反対を唱えている人をどう説得するか。全国で受け入れのキャンペーンをやって、僕も選挙区の自治体に説得して、なんとか受け入れてもらった。見ていて、橋下さんはものすごい合理主義者だと思った。調べて納得すれば動くタイプ。私はやや情の方が先で、被災地で瓦礫の埃のそばで学んでいる高校生を見て、絶対になんとかしてやろうというところから始まった。
橋下:そもそも受け入れても何のメリットもないし、住民からはボロカス言われた。説明のために集会に行ったら、太鼓・ラッパ部隊が来て"橋下やめろ!橋下やめろ!"と。話にならない。"子どもたちを殺すのか!"と。"そこをなんとか、なんとか!"と頭を下げた。松井一郎さんにもガイガーカウンターもって現地に行ってもらった。"カメラの前で瓦礫を食べてください"とまでお願いした。でも大阪の知事室、市長室の方がむしろ放射線量は高かった。そうやって説得していった。(AbemaTV/『NewsBAR橋下』より)