以前、ご紹介したフットサル界の“リアル若嶋津”こと、立川・府中アスレティックFCに所属するGKクロモト。若島津のようにアクロバティックなプレーでゴールを守ったかと思えば、そのままドリブルでボールを運んでシュートを決めてしまう。Fリーグ界を代表する「超攻撃型GK」だ。
そんな彼は今年で来日5年目。来日当初から多少の日本語を操ることができたクロモトだが、現在ではチームメイトや監督とのやりとりはすべて日本語。さらに外国人選手の通訳を行うなど流暢に日本語を操る。
クロモトの日本語でのコミュニケーションには驚かされるばかり。一体、彼はどうやって日本語を学んだのだろうか――。
日本代表入りも目指す32歳
ブラジル出身のクロモトは、イタリアとの二重国籍を有する。彼の祖父と祖母は日本人であり、幼い頃にブラジルに渡ってから出会った。その後クロモトの父親が誕生し、ブラジルで結婚。そしてクロモトが誕生した。
「お父さんやお父さんの兄弟は(日本語を話すことが)少しだけ(できる)。ちょとした単語だけで、あとはポルトガル語だった」
その後クロモトはブラジルでフットサルを始め、海を渡ってイタリアでプレーする。その時から日本への憧れはあったようで「イタリアでの休みの間に日本語を少し勉強した。(日本に行くための)準備。カタカナやひらがなを勉強して日本にきたけど、全然違った。(勉強が)足りなかった」と日本語の難しさを痛感した。
来日した2013年は湘南ベルマーレでプレー。ここで助けになったのはポルトガル語を操れるチームメイトだったという。
「市原(誉昭)選手、ボラ選手(現:フウガドールすみだ)がポルトガル語を話せた。試合でもイチ(市原)がフィクソ(サッカーでいうDFでGKに一番近い位置でプレーする)だったので、(市原選手を通して周りの選手と)すぐにコミュニケーションが取れた」
翌2014年にはヴォスクオーレ仙台に活躍の場を移す。指揮官を務めていた比嘉リカルド(現:シュライカー大阪)とはポルトガル語でコミュニケーションを取れたが、ほかのチームメイトとは意思の疎通ができない。そこでクロモトは、改めて日本語の勉強を開始したという。
「仙台では1週間に1回1時間半だけ勉強できた。そこで学んだことを生活や仕事、練習で使う」
そんなクロモトの日本語の練習方法は「音楽を聴きながら、字幕を見て書く」こと。中でも一番のお気に入りの曲は「BEGINの島人ぬ宝」。クロモトは、毎日音楽を聞いて日本語の音を学び、字幕を見て書くことで日本語の形を学んだ。
そういった努力の結果、今では監督の指導を理解し、チームメイトを鼓舞する言葉をかけ、レフェリーとコミュニケーションを取り、メディアのインタビューにははっきりと自分の言葉で伝える。「もっと綺麗な言葉で伝えたい。コミュニケーションを取るために綺麗な日本語を覚えたい」と言うが、すでに日本で暮らしていく上では不自由ないレベルにある。
日本に馴染み、日本での生活を気に入っているクロモトにとって、将来的な目標はやはり「日本人になる」こと。現在、帰化申請を行っている段階で、承認されれば晴れて日本人となる。
当然、日本人となればその先には日本代表も見えてくる。イタリア時代にはU-21イタリア代表に選出されたが、フル代表の経験はなく日本代表に招集されることに支障はない。
「もちろん入りたいね。それも含めて(日本人に)なりたい。ただ、選手としては終わりが近い」
クロモトは今年で32歳。確かに選手としてはベテラン選手の域に差し掛かっている。しかしフットサル日本代表の守護神であるピレス・イゴールは38歳であり、Fリーグ界でもトップレベルのパフォーマンスを示している。ピレス・イゴールの活躍を見ているとクロモトもまだまだ老け込む年齢ではない。
フットサルは2020年にワールドカップが開催される。帰化申請が間に合えば、そこにクロモトの名前があっても不思議ではないだろう。そしてピッチに立てばきっと世界はこうクロモトを表現するだろう――。
「リアル若島津が現れた」と。
文・川嶋正隆(SAL編集部)
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