イエス・キリストの教えを学ぶため、日々修行に励む若者たちがいる。東京・調布市にあるサレジオ神学院は、カトリックの聖職者を目指す人のための神学校だ。
夜明け前の午前6時、神父や修道士に混じり、20代の学生たちも聖堂に集まってくる。これは毎日1時間半かけて行われる朝のお祈りだ。神学生の彼らは、神父や修道士を目指し、8年間の共同生活を送る。朝は毎日5時半に起床、1日の祈りには合計2時間以上をかける。日中は外の大学の神学部で勉強したり、教会の手伝いなどをしたりして過ごしている。
神父を目指す井口真樹さん、27歳。朝の祈りについて「1日を始めるにあたって、お祈りからスタートするのが修道院のスケジュールになっている」と話す。カトリックの家庭で育った井口さんは、ここで過ごして2年が経つ。
食事を用意するのは、同じ敷地内に住むシスターたち。この日のメニューはイカの照り焼き、きくらげと卵の炒め物などだ。食事は1日3回で、おかわりは自由。現在ここで暮らす学生は8人で、入学金や学費は無料、生活費も神学校持ちとなっている。
しかし、学ぶことは数多くある。まず哲学を2年、実際に教会で働く実地課程が2年、神学の勉強が4年と、合計8年のカリキュラムを経て、ようやく神父になることができる。必修科目の中には聖書を読み解くためのラテン語やギリシャ語などもある。「哲学科の授業は基本的に何を言っているのか分からなくなる時がある」と井口さん。
彼らにとっては共同生活自体も1つの修行だ。個室を見てみると、教科書とわずかな私物以外はほとんど何もない。井口さんによると「貯金とか家とか土地とかそういうものは基本的に持たずに、すべて修道会に寄付したり、家族に返したりする」という。財産はみんなで共有するのが神学校のルール。パソコンは勉強でも使うために許されているが、スマートフォンは個人的なものなのでNGだ。
様々なルールの中で学ぶキリスト教とは、そもそも何なのか。約2000年前に新たな神の教えを説き、迫害を受けて十字架にかけられ、処刑されたイエス・キリスト。彼は神を信じ、隣人を愛することで天国に行けると説いた。これを人々に伝える神父や修道士は清く正しい生活を送られなければならないというのがカトリックの伝統で、恋愛や結婚を禁じるルールもある。
しかし、神学生は若い男性たち。修道士を目指す23歳の椿拓哉さんは「決して私自身もそういう(性的な)ものに興味がなかったわけではないと思う。誘惑とか試練と戦うのは、自分を生きていく中で1つ大変なことだと思う」と話す。
当然、この生活に耐えられず辞めていく人も多いようだ。サレジオ神学院の田村宣行院長によれば「(神父になれるのは)4~5年に1人とか、そういう形になってしまう」という。
しかし、意外にも許されているものもある。それが酒だ。キリスト教ではワインをキリストの血とみなしているので、飲酒はタブーではない。
多くの若者が自由を謳歌する中、禁欲的な修行に励む井口さんは現在の生活をどのように思っているのか。「今このご時世に厳しい修道生活を送るというのは、自分の中に強い1本の芯ができあがると思う。それを作り上げていく期間が修道生活だと私は考えている」。
一方、カトリックと並んで有名なのが「プロテスタント」。カトリックとの違いについて、日本キリスト教団三・一教会の表見聖牧師は「ひとつは、イエス・キリストを信じる誰もが“万人祭司”であること」と説明する。つまり、誰もが自分の思うままに聖書を解釈してもよいのがプロテスタント。万人祭司とは、聖職者を介さずとも誰もが神とつながっているとする教えのことだ。
この教会では一般の信徒も壇上に立つ。さらに、牧師は結婚もOKとカトリックに比べて縛りが少ないのも特徴だ。独身の表見牧師は「様々なことを分かち合えるという意味ではパートナーも持ちたいなと思っている」と話した。
■カトリックとプロテスタントにはさまざまな違い
25日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、カトリック東京大司教区の三田一郎助祭と、プロテスタントから日本キリスト教団の平良愛香牧師を迎え、それぞれの考えと今年話題となったニュースについてキリスト教の目線から見解を聞いた。
キリスト教の根本的な教えについて、三田氏は「イエスの愛。愛で十字架にかかって、私たちの罪のために命を落としてくださった。それによって私たちは赦されていて、“赦し”がテーマ。愛するがゆえに赦す」、平良氏は「神の愛。キリスト教でいう愛というのは、大好きではなく大切という意味。変な言い方だが嫌いでもいい。幼馴染に『あんたのこと嫌いだけど愛している』と言われた時に『あぁキリスト教だ』と思ったことがある。全ての人を好きになるのは無理だが、大切だということは感じられる。大切な存在だとして認めることが愛」と話す。
カトリックとプロテスタントにはいくつかの違いがある。カトリックは聖書と信者の間に教会を挟むのに対し、プロテスタントは教会を必要としない。平良氏は「プロテスタントにも教会はあるが、絶対に必要ということではない。人が集まったらそこが神を賛美する礼拝の場になる」、三田氏は「カトリックも建物ではなくて人、信者が集まったら教会。そういう意味ではそんなに違わないのかもしれない」と説明する。
また、教会にある十字架にイエス像が付いているか(カトリック)、付いていないか(プロテスタント)でも分かれる。三田氏によれば「カトリックは、十字架のイエスを見て直接神様だとは思わない。神様が私たちのために死んでくださったということを思い出す」、平良氏によれば「プロテスタントは、イエスは復活してもう十字架についていない、その後の十字架を見ているという考え」だという。
さらに、女性教職者についてカトリックは認めず、プロテスタントは認めているが、三田氏は「キリストが男だったからと言われているが、女性の神父が入ってきてもいいと思う。何しろ教会は変わるのが遅い。50年単位で変わる」と言及。平良氏は「プロテスタントはすごく枝分かれしているので、中には女性の牧師を認めていない教派もある」と教派の中でも違いがあることを説明した。
キリスト教と聞いて、“禁欲”をイメージする人も多いだろう。避妊についても認識が分かれ、カトリックは器具・薬などでの人工的避妊を認めず、プロテスタントは容認している。三田氏は「神様が子どもを作るんだから、科学が発展したからといって、人間がそれを使うかはきちんと議論しないといけない。しかし、ケースバイケース」だと指摘。平良氏は「避妊がダメだというのはプロテスタントでは聞いたことはない。一時期、キリスト教に禁欲主義が入り込んで、あらゆる快楽を遠ざけたことがある。その1つにセックスも入っていて、気持ちよくしたらいけない、子作りに適した体位しか認めないという時代があった。今はそんなことはない」とした。
■今年話題のニュースをキリスト教目線で考える
中国で遺伝子を操作した双子が誕生し、倫理的な問題から世界で論争が巻き起こった。このニュースに対して三田氏は、「受精卵の中のDNAを変えて、双子を産ませたというのはいけないこと。これがどんどん進むと、“ブランド頭脳”など人々の格差が出てくる。そしてまたみんな戦い合う。やはり、神様が作ったものを人工的に変えるというのはダメ。エイズが遺伝しないようなやり方でも、本当にいいのかなと疑問に思う。科学が進歩した時にそれを使うかどうかはきちんと考えないといけない」と指摘。
メキシコとの間に建設中の国境の壁などに象徴される、トランプ大統領の“アメリカ・ファースト”。トランプ大統領の熱烈な支持層にはキリスト教徒もいるが、“隣人愛”という観点とは矛盾しないのか。三田氏は「イスラエルにも大きな壁があって、近くに行くと圧迫される。それと同じようなことをメキシコとアメリカの間にしようというのは、民族と民族の間を裂くという意味で、キリスト教的には認められないこと。ローマ教皇も『あなたはクリスチャンではない』と(トランプ大統領に)言っている。問題は“敬虔な”ところなのではないか。聖書が全て神の言葉だと信じて、進化論も信じない・教えないというクリスチャンの人がアメリカの地方にはいる。そういう人の支持があるのではないか」との考えを示した。
また、LGBTをめぐって自民党の杉田水脈衆議院議員が「生産性がない」という寄稿をし、大きな議論を呼んだ。同性愛者であることをカミングアウトした上で正式に任用された初めての牧師である平良氏は、「LGBTや同性愛の問題以前に、生産性という言葉が出てきたことが非常に危険だと思う。生産性とか効率主義、少しでも早く仕事ができることがいいことだという言い方は、たくさんのもの、役に立たないと思われた人たちを排除してしまう」と指摘。そして、「イエス・キリストが地上で出会ったのは、そういう『お前たちはいらない』と言われていた人たちだった。あなたは大切だということを教えるために来た。杉田議員は効率主義、生産性が一番だということを当たり前のように言ってしまったが、『そうではない』ということをキリスト教は伝えないといけない。それは全ての人に伝えられるメッセージだと思う」と主張した。
(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
















