1日に放送されたAbemaTV『NewsBAR橋下』「“橋下新党”立ち上げ!?スペシャル」で、東京都教育委員や公立小学校の教諭を務めた経験もある作家の乙武洋匡氏が教育問題について提言。「戦争に負けて復興していく中では同じことを効率的にこなしてくことが必要だった。だからベルトコンベア式に、なるべく同じように育てていくのが正解だった。でも、もうそんな時代は何十年前に終わっているし、"個性を伸ばそう"とさんざん言ってきたのに、実際に現場でやっていることはそんなに変わっていない」と指摘。さらに、自身が教員免許を取得した経験から、次のように問題提起した。
「教員免許を取るためには、大学で相当な数の授業を取らなければいけない。その時点で、何かにのめり込んだり、旅に行きまくったような人たちは厳しいし、免許を取る人はめちゃくちゃ真面目な人ばかり。だから親や社会、先生が引いてきたレースの上を歩くような人しか教員になれない。そうすると、ちょっと既存の枠に収まりきらないような子に対して"あんた、そんなことじゃ将来大変だよと"と心配するあまり、違う方向に引っ張っていってしまう。でも、その先生が見えていない社会で貢献したり、輝いたりできる子がいるはず。そういう型破りな子を伸ばせる人材が必要だ。でも今はそういう人たちが入って来られないシステムになっている。そこでまず、教員免許に手を付けるべきだと考えた。全部廃止するということではなく、3分の2は今までどおりで、残りの3分の1は別の枠で、ということで良い。全く違う分野で働いていた人や外国に住んでいた人など、いろんなバックグラウンドを持った人が働くようになれば、現場は変わると思う」。
この提案に、ジャーナリストの堀潤氏は「あえて保守的なことを言えば、教育の歴史というのは試行錯誤の連続だったと思う。一過性ではなく、定着するものなのかを見極めながら、時代の変化の最後尾でやってきたと思う。だから少し段階を付けて、小学校1・2年はもっと無秩序でいいかもしれないし、社会規範を教えるような学年には免許を持った先生が担当するといったようにしてはどうか」とコメント。
橋下氏は乙武氏の提案を受け「大いにありだ。今の教員免許が必要な技量を測っているものなのかを問い直すことが必要だ。加えて、そのための教育や試験の中身はどうなんだということを見なければいけない。たとえば英語の先生の免許だっておかしいと思う。"This is a pen"なんて、日常生活で絶対使わない。最低限、学ばなきゃいけないことは見えてきていると思うので、それ意外のことは選択制でいいと思う。だって元素記号やサイン・コサイン・タンジェント、どこで使うの?使ったためしがない。勉強のできる人たちは"そういうのも教養だ"というが、今はインターネットで色々なことは調べられる」と指摘。
さらに「決定的な欠点は"個性を伸ばす"と言いつつ、画一的なこと。学ぶスピードはみんな違う。1学年分を2年かかる子もいるし、逆に半年で終わらせられる子もいるから、もっと自由にしていいと思う。だから大阪でレベルを3つに分け、"留年"みたいな仕組みを提案したら、現場から差別だと反対された。尾木ママにも"子どもを区別して、教育のこと何もわかってない!"みたいに反論された。でも、わからない子が一日6時間も席に座っているのは本当に拷問だと思うし、無理やり学年を上げるんじゃなく、丁寧に教えるべきだ。その方が絶対に子どものためになると思う」と話していた。(AbemaTV/『NewsBAR橋下より』)