約10年間、芸能活動から離れたことがあるタレントのヒロミが、その人生感を語った。旧友でもあるサイバーエージェント藤田晋氏との共著「小休止のすすめ」が発売されたこともあり1月25日に2人で会談すると、人気絶頂期時から変化したテレビ業界、芸能人・経営者としての引き際など、53年間の人生から学び、感じ取ったものを、赤裸々に語った。
お笑いタレント、司会者として、人気絶頂だったヒロミが芸能界から姿を消したのは2005年ごろ。そのころから、テレビ業界の変化を肌で感じ始めていたという。「ちょうど世の中が不景気になって、(番組の内容に)スポンサーの意向が強くなった。それまでは、『こういうのはやめてくれ』って本当になかったから。それからテレビの力が縮小して、スポンサーの意向が強くなったから『ヒロミ、少し丸くならねえか』って。多少、そういう感じが出てきた」と振り返った。
2005年といえば、ちょうどヒロミが40歳を迎えたころ。世の中で言えば働き盛りとも言える年齢だが「40ぐらいって中途半端じゃん。若くもねえし、ベテランでもないし。ちょうど彷徨った感じだった」と、微妙な年齢だと感じていたという。さらに「若い時から、いざとなったら辞めてやる、そこで固執してっていうよりは、きっぱり辞めようと思ってたから。(芸能と)違うことをやっても食っていけそうな気はしていたし」と、人気絶頂時でも芸能界への執着はそこまでなかったという。また「そのころ、若い経営者たちと遊ぶようになってさ。すごく刺激になった」と藤田氏や、堀江貴文氏といった当時の青年実業家たちから学ぶことも多かったという。
トップアイドルだった松本伊代と結婚し、息子を授かったが、その父親像も絶対的な「愛」で芯が一本通っている。「不良に絡まれたら逃げろって言っている。お金をよこせと言われたら渡しなさいと。それでも無駄に殴られるようなら電話しなさい、助けに行ってあげるからって言った」と語った。「子どもって、お父さんやお母さんが絶対に助けてくれるとかって大事じゃんか。地震とか起きていた時期も、もし起きたら学校にいなさい、絶対に助けに行くからと」と、多忙なタレント、さらには経営者としてだけでなく、大きな父親としても家族を支えている。
そんなヒロミだが、がむしゃらに前に進んでいくだけでなく、負けることを認めることも知っている男だ。一時流行した、加圧トレーニングジムの経営にも乗り出したが、なかなか苦労した。「会社ってどこかでギブアップが言える。言えば傷口が少ないのに、言わないから周りも巻き込んじゃう。お店を閉じる勇気みたいなものを教えてもらったのはあなたたち」と藤田氏に礼を伝えた。また芸能活動を休養していた10年間も「1回どん底まで行ってみようと思った。落ちるところまで落ちてみようと。そうしないとわかんねぇなって。どんなスポーツにも勝ち負けはあるし、負けて恥じることもない」と、新たな経験をしていた。「負けを認めるには、多少時間がかかるじゃん。だけど、あんまりジタバタしないで、すがることはやめようと思ったし、ダメだなと思って溺れかけているのに、人をつかむと一緒に沈んじゃう。慌てないで1回沈んでみて、底まで落ちて、這い上がった方がいいかなって。落ち目って周りは言うんだけど、それは本人が決めることだから」と、沈む自分を冷静に受け止め、そこから這い上がることを考えた結果、再びスポットライトを浴びるようになったという。
過去と現在の自分をサッカーに例えて比較すると、ヒロミは「昔はゴールまで『おれ!おれ!』ってゴールを決めたくて、人のPKを自分が蹴っちゃうみたいな感じだった。でも今は自分のためだと頑張れなくて、人のためとか後輩の番組のお手伝いとか、関わってくれた人のための方が頑張れる。後ろの方で引いて守ってて、たまにバーっと上がって決めるみたいな、そういうおもしろさを楽しんでいる」という。
10年という「小休止」を挟んで、再び芸能界の中心に戻ってきたが「帰ってきたけど、やっぱり昔のまんまじゃない感じがするよね」というヒロミは、今度もまだまだ仕事に遊びに、活動の幅を広げていきそうだ。



