「二度と学校に来るな」と教師に言われた小6の夏から70年…差別や偏見と闘い続けてきたハンセン病回復者の半生
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 あなたはハンセン病のことをどれだけ知っているだろうか。患者たちが経験したことは、決して過去のものではない。

 22日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、その前向きな生き方が書籍化され、笑いと涙と共に懸命に努力する姿が偏見に苦しむ人に大きな勇気を与えているハンセン病回復者の石山春平さん(83)とともに、ハンセン病の今を考えた。

■政府黙認のもと実施された「断種手術」、死者も出た「重監房室」

 元ハンセン病患者を写した写真がある。タイトルは「舌読」。視力や指先の知覚を失った患者が舌で点字を読む姿。ハンセン病の壮絶さを物語っている。

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 かつて「らい病」と呼ばれていたハンセン病は、らい菌によって末梢神経や皮膚が侵される感染症で、体の一部が変形することもあれば、場合によっては失明、さらには知覚麻痺により怪我に気づかず患部が悪化、手足の切断を余儀なくされたケースもある。今、日本には患者はほぼいないが、かつては"不治の病"と恐れられており、1931年には全患者を隔離する「癩予防法」が制定されると、患者たちは療養所に強制連行され、死ぬまで外に出ることが許されない"終生隔離"の日々を送った。

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 国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)では、壮絶な人生を送った患者たちが生きた歴史や差別・偏見との闘いなど、様々な資料を見ることができる。療養所内では患者の逃走を防ぐため、現金は園内通用券に交換させられた。また、土木工事や農作業、火災時の消火活動、治療や看護、さらには患者が亡くなった際の火葬までもが患者たち自身の手で行われていた。

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 そんな患者の人権を無視した生活はとどまるところを知らなかった。遺伝病ではないにもかかわらず夫婦となった男女に子どもを作らせないための「断種手術」が政府黙認のもと実施され、患者たちの尊厳を奪っていた。「戦前は法律の定めに基づかずに勝手に行っていた」(木村哲也学芸員)。

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 全国の療養所を撮影し続けているMCの石井正則が、栗生楽泉園(群馬県・草津)にあった、脱走など重大な規律違反をした患者が入れられた「重監房室」について尋ねると、石山さんは「"お前、草津(栗生楽泉園)に送るぞ"って言われると反省した人が全国の療養所で結構いたという。それくらい恐れられていた。あそこに行けば、夏はともかく冬は死と背中合わせの生活。聞いた話では冬はマイナス15℃くらいになるのに、煎餅布団1枚。朝、声をかけても返事がないから入ると亡くなっていたと。凍っちゃっているので、遺体を引きずったら布団まで付いてきたと。入っている期間も園長さんのさじ加減。素直に聞けば1週間くらいで出してもらえたっていうけど、反抗して500日以上いた人もいたそうだ」と話した。

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■小6で罹患、教師が放った「汚い病気だから2度と来るな」

 1947年にはアメリカから特効薬「プロミン」が導入され、その後ハンセン病が"治せる病"となってからも、法律は形を変え(1953年「らい予防法」)、強制労働の項目は削除されたものの、隔離政策は続けられた。

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 石山さんにハンセン病が発覚したのはこの頃、小学校6年生の時だった。クラスの人気者だった石山さんにとって、地獄のような日々が始まる。

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 「夏休み明けで、宿題で作ったヨットを持っていったら、(工夫しているところを見て)先生が"お前秀才だ"って。その1時間後に学校から追放されちゃった。人権もへったくれもなかった。先生が2時間目に帰ってきたら"すぐ帰れ!"って。出口まで行って戸に触れると"触るな、お前、汚い病気だから二度と来るな"と」。

 病気の噂はすぐに広まり、近所の人たちからは罵声を浴びせられ、石を投げ付けられた。外に出歩くこともできなくなった石山さんは自宅の納屋で4年間、身を潜めて暮らした。「こんな生活嫌だな、死んじゃおうと思って、農薬を持って山に行った。"何月何日ハルヘイ死ス"って彫って、ポケットから農薬を出して、栓を開けたら強烈な臭い。これ飲んだら死んじゃうなって、ハッと我に返った」。

■16歳で入所、そして治癒、32歳で結婚・社会復帰へ

 そして「らい予防法」制定の前年(1952年)、16歳の時に静岡の神山復生病院に入所する。

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 「戦後そんなに経っていないので、食料事情は良くなかった。病気をした時の対応が全く。私が入ったところは私立だから女医さんが一人。それで全部を見るっていうんだから、患者の方も半分諦めていた。社会に出るわけじゃないし、無事に暮らせればいいかと。絶対的な強制労働ではなかったが、"今日は37度5分の熱があって身体がだるいから休ませてくれ"と言っても、"熱のうちに入らない、8度なら休んでいい"と言われた。拒んだからといって別にどうこうはないが、やっぱり怠け者だと言われる。みんな一生懸命やってるんだから、やらないって言ったって通らないと。そういうことを長老から言われた。手が不自由で細かいことができないから、草刈りとか廊下の掃除とか、トイレ掃除なんかもやった。数が多いから、一人でやると半日かかった。目が見えなくなった患者が洗濯板で洗っていると、感覚がないから自分の手も板でこすっちゃう。"血が出てるぞ"って止めさせる。そういう様子を見て、非常に人間性を無視していると感じた。でも、そうしなければ生活もできなかった」。

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 その後、特効薬による治療で完治した石山さんは、一人の女性職員と出会う。後に妻となる絹子さんだ。1968年、32歳の時に結婚を機に社会復帰することになる。

 「結婚の対象と考えたことはなかった。だって相手は健常者、俺は病人。いくら親しくしてたって"結婚してください"なんて言えない。でもある時、彼女が"どうして退院しないの?"って言うから、一人で出たって社会で受け入れてくれる人はいないし、とうてい無理だから、"俺はここで一人、死ぬまで暮らすんだ"って言ったら、"一人で生きていけなくても、二人で頑張れば人間生きていけるんだよ"と。"二人って、相手はお前か?"って聞いたら、うなずいたのよ。ここが肝心なんだ(笑)。きれいな瞳でうなずいて、"二人で頑張ろう"って」。

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 石山さんの話を傍で聞いていた絹子さんは「全然覚えていない。覚えているのは、"らいの患者さんが結婚なんて考えるのは、大海に針を落として、その針を拾うくらい大変なことだ"とある人が言ったことがある。そんなこと言ったって、もう燃えてるから(笑)」。すると石山さんも「愛が燃えている!(笑)」

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 その頃には新しい法律が制定され、治癒した人については所長の判断で退所することができるようになっていた。「身元引受人いなければ放浪してしまうことになるので退所させてくれなかった。また、軽症な人だけが対象で、僕のように後遺症がある人は絶対に許可されなかった。僕は後遺症がある人の中では第1号だったのではないか」。

■運転免許も取得、カミングアウトして国賠訴訟の原告にも名を連ねる

 「大海原に笹舟で出るようなもの。療養所に戻ることはないと決心して出た。でも最初はカミングアウトできなかった。ハンセン病は感染力ないのに、感染力があると厚生省が社会に向かって発信しちゃったから」。

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 結婚を機に社会復帰を果たした石山さん。周囲の偏見に苦しみながらも、何とか生き抜こうとした。障害者1級ながら、運転免許も取得した。「前例がないから許可できないと言われたから、公安委員会とやりあった。こっちは失うものないからね。"免許証ください"とは言わなかった。"免許証を取るためのチャンスをください"と言った。合格した時は電話した。"うれしい"って、彼女が電話の向こうで泣いたよ。二人で取った免許だから。自信もついた。俺も一人前のことができる。やればできる」。絹子さんも「本当に命がけで取ったのは事実。受かった時は嬉しかった」と振り返った。

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 そして石山さんが障害者の送迎をサポートするガイドヘルパーを28年間勤め上げる。その間、1996年には、ついに「らい予防法」が廃止され、実に90年もの間続いた隔離政策は終わりを告げる。

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 それでも長い年月によって蓄積された偏見はそう簡単に消えず、元患者たちのほとんどが社会に復帰できないまま、今も全国14の療養所で約1300人が暮らしている。東京にある国立療養所「多磨全生園」では現在も約160人が生活し、高齢であることや、今も残る偏見のため故郷に帰れずにいる。彼らにとってはこの療養所が終の棲家だ。それを象徴しているのが「納骨堂」だ。家族とは縁を切って入所しているため、死後もなお故郷には帰れなかった2600人超のお骨が納められている。「今療養所にいる人も治っている。ただ、平均年齢は87歳くらいになっていて、発病したのが10代、20代。人生のほとんどを療養所で暮らしているので、社会にどの程度対応できるか。僕も社会復帰した時、社会に慣れるのに苦労した」。

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 1998年には元患者たちによる、同法に関する違憲国家賠償請求訴訟が提起される。2001年には原告が勝訴し、政府は元患者らに謝罪し、補償を約束することになる。石山さんも原告団に加わった。「正直言って、原告になるかどうしようか悩んだ。原告になれば、絶対に身元がバレる。でも国が謝罪したんだから、今度は自分たちが声をあげる番だと思って、私はその時点でカミングアウトした。あの当時、実名で参加して、その後社会に向かってカミングアウトしたのは4人くらいしかいなかった」。

■当事者の家族たちの訴訟に心を寄せる

現在は川崎市身体障害者協会理事を務めている石山さん。2016年に始まった、患者と同様に差別や偏見被害を受けたとして家族が起こしたハンセン病家族訴訟に心を寄せる。5月には判決が出る予定だ。

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 「広い意味でいうと、家族の方がむしろ被害が多かった。当事者には、なりたくてなったわけではないが、運命だという自覚もある。でも、当事者が自分の親族にいたということだけで、婚姻関係の話が出た時に周りに反対されたりしたし、非常線みたいな縄を張って"伝染病発症につき立ち入り厳禁"なんて札を書かれた過程もあった。田舎では代が替わっても語り継がれるので、孫が結婚する時にも、"実を言うと、あそこのじいちゃんがこういう病気だったよ"、と」。石山さんの子どもたちも、高校を卒業するまで、父がハンセン病の患者だったことを知らなかったという。

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 「国は、我々を社会に置くと日本の恥だと、国の恥になるからということで、我々は国の犠牲になった。ハンセン病の“元患者”だと言われることについては「僕はよく冗談でいうが、我々の場合は紹介される時に必ず元患者だと紹介される。でも、他の病気なら"元"とは言われない。そこにまだ差別の感覚があるのではないか。僕の場合は後遺症があるので元患者と言われてもやむを得ないと思うが、後遺症のない人が元患者と言われるのはひっかかる。まだ"回復者"の方がいい」と語る石山さん。「私の場合、社会に復帰するエネルギーというのは、家内が背中を押してくれたから。今になって言うと若気の至りだと言っているが、女の愛というか、力はすごい。子どもが3人いるが、女房も自分がここまで来られるとは思わなかったって」と振り返った。

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 絹子さんがそんな石山さんに「本当に温厚で人柄が暖かくて。とにかくプラス思考。前向いて歩く。後ろ向かない。だから私、ついてきてよかった」と笑顔を見せると、石山さんは「ここ放送してね」と冗談を飛ばしていた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

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