地上波未公開シーンを含めた完全版「しくじり先生 俺みたいになるな!!」が、AbemaTV(アべマTV)で放送された。
番組には“担任役”としてオードリーの若林正恭、“生徒役”として平成ノブシコブシの吉村崇、ハライチの澤部佑、タレントの伊集院光、モデルの佐藤エリ、黒木ひかりが出演。今回の“しくじり先生”はお笑いコンビ・スパローズの大和一孝だ。
1995年にお笑いコンビ「スパローズ」を結成し、福岡よしもとからデビューした大和は、ライブなどで活躍している芸歴24年のベテラン芸人。自身を“クズ人間”と表現すると「100」という数字を出した大和。この「100」は借金をした相手の数だった。
大和は「金融会社40社、(お金を借りた)20代~80代の男女60名を合わせて100になる」といい、80代の年配者からも借金した事実を告白。生徒側から「最低!」と野次が飛ぶが、「(年齢で)差別しないんで!」と飄々(ひょうひょう)と語った。
借金の総額はおよそ1000万円。売れていないお笑い芸人からすれば、この1000万円は数字以上に重い。使い道は「うまい飯・ギャンブル・風俗」だったといい、大和は「借金界のキングクズ先生なのです」と自虐した。
大和が初めて借金したのは、高校を卒表して福岡よしもとに入ってからだった。当時は古い考えの先輩芸人が先生をやっていたため、「芸人は借金して女と遊べ」と教えられた。大和はその言葉を鵜呑みにし、18歳で初めて消費者金融から10万円を借り入れた。
大和いわく、借金は少しずつ感覚が麻痺していくわけではなく、最初に1歩を踏み出してしまえば、あとは簡単に沼にはまっていくという。よって大和は最初の10万円を踏ん張りきれなかったことが、しくじりの始まりだった。
毎朝パチンコに行き、負けたらヤケになってステーキを食べる、というクズの見本のような生活を2年間送った大和。あっという間に借金が120万円に増え、3年後には450万円にまで膨らんだ。当時は今よりも利率が高く、200万円くらいの借金で自殺者のニュースが出ていた。
このまま福岡で芸人をしていては借金を返せないと悟った大和は、東京進出を決意。多くの若手芸人が「お笑いの天下をとってやる」という向上心から上京してくる中、大和は「東京に行って、割のいいバイトをして借金を返したい」という一心だった。
スクーターで上京しようとするも、道中パチンコで資金をすってしまい、警察に頼ったこともあったそう。若林が「犯罪はしなかったんですか?」と疑うと、大和は「借金が増えると犯罪者に近づいていく感覚は分かります」と返答。こうして犯罪にだけは手を染めることなく、なんとか東京にたどり着けた。
しかし、いざ東京で暮らし始めると、オーディションや手伝いなどのお金にならないことで頻繁に呼び出され、バイトをする時間がとれず、借金は返せない。そればかりか、生活や返済のためにまた消費者金融に行って金を借りるようになってしまった。
さらに、お笑いの舞台で下手に認められてしまうと、仕事が増えてますますバイトができなくなるため、いいボケを思いついても言わないようになり、悪循環に陥っていく。
「ネットがなくても、闇を感じる方向に歩けば金融会社を見つけ出せた」という特殊なスキルまで身につけた大和だったが、返済が遅れ、とうとうどこの消費者金融もお金を貸してくれなくなった。
知り合いやファンからもお金を借り、1000万円にまで膨らんだ借金。苦しんだ大和は、最後の手段として、自己破産をした。
自己破産をすると「住居・家財道具がすべて処分」「ブラックリストに名前が載り、一定期間借り入れできなくなる」「住所・氏名が『官報』という国発行の機関誌に掲載される」「免責許可決定など復権の要件を満たすまで一部つけない職業がある」などのデメリットがある。当然、大和も自分の名前が官報に掲載され、番組の中でその複写を紹介した。
大和は、自己破産してから「すごいお金の勉強をした」といい、日経新聞や経済雑誌などを読むようになった。現在は経済のラジオ番組のレギュラーを2本持ち、初心者向けの株のセミナーも開いている。
現在、借金は「牛丼屋のおじさんに借りている45万円」と、まだ残ってはいるが、年内に返し終える予定だという。ほとんど借金がなくなって「やっとお礼ができるようになった」といい、「カモだと思って借金したこともあったけど、感謝しているのは“人”」と、これから恩返しをしていきたいと気持ちを明かした。
大和はこれまでの経験から「お金を貸すことは優しさじゃない」と気づいたといい、お金を貸すときも借りるときも、それが本当に必要なのかしっかり確認することが大切だという教訓をもって、授業を締めくくった。番組はAbemaビデオで期間限定・無料視聴が可能。