
(インタビュースペースにも数多くの取材陣が。試合後の長州は師・アントニオ猪木への思いを素直に口にした)
「こんなにパンパンの後楽園は初めてですよ」
ある関係者は言った。6月26日の『POWER HALL 2019』。長州力引退興行である。チケットは前売りで完売。平日だというのにバルコニーまで埋まりに埋まった。客席を見るとスーツ姿、ワイシャツ姿の男性客が多い印象だ。その平均年齢は、おそらく40歳を超えていた。
長州は67歳。レスリングでオリンピックに出場した経歴を引っさげてプロレス入りしたのは1974年のことだ。本格的にブレイクしたのは1982年だから、少しばかり時間がかかっている。
人気を博すきっかけになったのは「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」と藤波辰巳(現・辰爾)に牙をむいたことだった。“格下”扱いに不満を爆発させたのである。長州は「維新軍」を結成して新日本プロレスという体制に反抗し、藤波と“名勝負数え唄”を繰り広げた。当時の日本プロレス界の主流は、団体所属の日本勢が強豪外国人を迎え撃つという構図。しかし長州の闘いにはリアルな“下剋上”があった。
1984年からはジャパンプロレスを旗揚げし、ライバル団体・全日本プロレスに戦場を移す。これも特大のビッグニュースだった。全日本での激しいファイトは天龍源一郎を刺激、その後の全日本マットの流れにも影響を与えることになる。
さらに全日本から新日本に戻るとアントニオ猪木をフォールし、現場監督として数々のビッグマッチを仕切った。長州は試合ぶりもカッコよかったが、新しかったのは“行動”そのものでファンの目をクギ付けにしたことだ。体制に反旗を翻し、団体を移る。繰り出す技や勝敗だけでなく、スポーツ紙や専門誌に掲載される“事件”や“言葉”も含めてファンは心を動かされた。「噛ませ犬」発言以外にも、長州には名言が多い。まさか「キレちゃいないよ」がモノマネのネタになるとは思わなかったが。

(後楽園ホールは超満員札止め。当日券の販売はなかった)
引退試合を見るために後楽園に駆け付けたのは、長州のブレイクを少年時代に見た(団塊ジュニア前後の)世代だったと思われる。今のプロレスを積極的に見ているわけではないかもしれないが、とにかくこの試合だけは見逃したくないという思いだったのではないか。
入場曲「パワーホール」が鳴り響いた時、あるいは得意技のサソリ固め、リキラリアットが出た時の沸き方は凄まじいものだった。もちろん全盛期の動きではなかったけれど、それでも構わなかった。子供の頃に憧れたヒーロー、その最後の雄姿を見届けることが大事だったのだ。
ラストマッチのカードは長州力&越中詩郎&石井智宏vs藤波辰爾&武藤敬司&真壁刀義。勝ったのは長州の付き人だった真壁で、3カウント取られたのは長州だった。シビアな結果だが、当然の結果とも言えた。必殺技キングコング・ニードロップ4連発で“介錯”した真壁は「俺が取らなきゃ意味がない」と語っている。
試合後、テンカウントゴングなどのセレモニーらしいセレモニーはなかった。長州は1998年、東京ドームで一度引退し、復帰している。その事実を踏まえてのことだったのかもしれない。セレモニーのかわりに、長州は「どうしても勝てない人間がいました」と妻の英子さんをリングに招き入れた。抱擁し、キスもかわす。こんな穏やかな顔をリング上で見せるのか、あの長州が。驚かされたが、しかしそれが引退というものなのだ。
「今からUターンして家族のもとに帰ります」
それが、レスラー・長州力の最後の“名言”だった。かつて“ちびっこファン”だった観客も、今はその言葉の重みが分かる年代だ。心から「おつかれさまでした」と言える引退だった。
文・橋本宗洋
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