小学館の『週刊ポスト』が掲載した、「韓国なんて要らない」という見出しの特集に批判が集まり、同誌の編集部は謝罪に追い込まれた。日韓問題に関する報道のありかたや、言論・表現の自由とヘイトスピーチの問題など、インターネット上では激しい議論が交わされている。
これについて、3日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演した作家でジャーナリストの門田隆将氏は「特に"怒りを押えられない『韓国人の病理』"という記事が批判を受けているが、これはソウル大学の有名な教授が理事長が務める大韓神経精神医学会が2015年に発表した"韓国成人の半分以上が憤怒調節に困難を感じており、10人に1人は治療が必要な程の高危険群である"というレポートを元に書かれた論評記事だ。これがヘイトだというのは、日本の言論、表現の自由の自殺で、謝る必要はない」と話す。
「これで謝罪したということが、私には信じられない。言論、表現の自由は、長い苦労を重ねた上で日本人が取得したものだ。日本には不思議な"二重基準"があって、韓国を批判するものはヘイト、日本を侮蔑するものは表現の自由ということになっていっるが、それを直すべき時が来ている。だから、例えば『米国なんて要らない』『中国なんて要らない』という記事があっても全然いい。それが言論の自由だし、この雑誌が主張したかったことだ。自分の意見や人権感覚とは違うから謝りなさい、回収しなさいというのはおかしい。自由というのは崇高なものなので、無制限なものではない。節度と常識の範囲内にあるかどうかだ」。
これに対し、立憲民主党の小西洋之参議院議員は「"10人に1人の韓国人は治療が必要だ"という話を事実として信じているのか?それがもし虚偽だったとしたら、韓国への侮辱にはならないのか。作家であるにも関わらず、調べもせずに表現の自由の名のもとに一方的に擁護するのは、表現の自由を遂行する社会的立場としては極めて幼稚だと思う。確認もせずに煽るだけ煽って、あなたは何をしているのか。日韓問題を煽るのが、作家や社会人の仕事ではない。私も表現の自由は体を張って守るが、それが社会的に尊重されるような表現活動なのかどうか、日本の週刊誌で報道するということが妥当なことなのか、そこは慎重な議論をしないといけない。徴用工の問題というのは、従軍慰安婦よりも難しい。我々与野党の政治家が冷静に議論できる場を作るのが社会的責任のある作家の使命だ」と厳しく批判。
また、恵泉女学園大学の李泳采教授は「この記事をこのまま国連の人権委員会に出したとして、表現の自由だと認めてくれると思うか。日韓関係が最悪だといっても、中国や韓国の出版社には、日本との関係を断絶するとか、日本を批判するような本は1冊もないし、そういう本は売れない。読む人もいない。嫌韓、反中国の本がベストセラーになるのは日本しかない。世界のマイノリティが勝ち取ってきたものは、人を差別して攻撃、排除しなさい、断絶しなさいという概念ではない。社会の責任ある人々は、どういう形で仲良くするのか、マイノリティの立場でものを書かないと。日本には韓国人が10万人いて、在日コリアンは40万人いる。彼らはあの記事を見て怯えている。日本で生きていけるかどうか。表現の自由という中で、人権、差別をどれだけ攻撃しているのかという認識をこの記事を作った人がどのくらい考えていたのかが問われている。そういう批判だ」と指摘した。
司会進行の平石直之アナは「今回、"ソウルは3日で占領される"という見出しも議論になっているが、実際にソウルは南北の軍事境界線から30~40キロの距離にあり、実際に朝鮮戦争でソウルは占領されたし、今も北朝鮮が本気で下ってきたら…という現実がある。それが『韓国なんて要らない』という特集のタイトルのせいもあって、日本が占領するかのように受け取られ、批判されている面がある。つまり、きちんと議論しなければならないことが、見出しのせいで伝えられなくなってしまっているということだ。テレビ番組でも行き過ぎた発言で謝罪に追い込まれることが起きているし、感情的になりすぎて会話がができなくなっている今の状況は危うい」と、過剰な表現に対する危機感を示した。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)