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 2006年、飲み会エンターテイメント集団として結成され、2010年にバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「安すぎて伝わらない素人芸選手権」でブレイクしたあやまんJAPAN。「ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー」のコールに、聞き覚えがある人もいるのではないだろうか。

 一時期と比べると、テレビに映る機会は減ったが、あやまんJAPANは現在も“DDD”(どこでも・誰でも・大丈夫)の精神で、反社会的勢力を除き、宴会、懇親会、飲み会、結婚式など、オファーがあれば駆けつけるという。インタビュー中、リーダーのあやまん監督は「100年続けていきますよ。あと、私、12年ぶりに彼氏ができたんです!」と笑顔を見せた。“お相手”は会社員の一般男性だという。

イキがって広げた人脈は「マジ最弱だった」 あやまん監督、“港区女子”に忠告?

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「当時東京で飲んでいたのは理由があって。Jリーガーと一緒に飲んで仲良くなりたかったんです。数えたら1年間で500回以上の飲み会に参加していました。六本木とか、港区を中心にめちゃめちゃ飲んでいましたね。飲み会は試合ですから」

 レギュラーメンバーである、ファンタジスタさくらだ、ルーキタエを誘い(今は両者とも脱退)、年500回以上も飲み会(試合)に行っていたというあやまん監督。飲み会に呼ばれると、短時間でめちゃめちゃ盛り上げて帰ることから、1晩あたり最高6回の飲み会に参加し、同時開催している渋谷と六本木を行き来する日々だった。

 すると、2010年、思いもよらない出来事が起きる。『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー「安すぎて伝わらない素人芸選手権」に矢作兼おぎやはぎ)の推薦で出場すると、瞬く間にブレイク。「あやまんJAPAN」が、テレビに引っ張りだこになる。

「視聴者さんから、すごい声をかけていただくようになりました。私たちは、ほぼメンバー3人で行動していましたが、やっぱりみんな格好が派手だったので、すぐ目立って話しかけられたんです」

 だが、その一方、六本木で飲んでいた仲間たちからはパタリと連絡がこなくなったという。

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「テレビに出たら飲み相手が増えるかなって思っていたら逆だった。びっくりしました。あやまんJAPANと一緒にいたって思われたくないのか、あんなに『飲もうよ!』って言ってくれていた人から急に連絡こなくなった。20代のとき、飲み友達を1000人くらい携帯のアドレス帳に登録していたのですが、その中で今でも連絡を取る人は0人です。ちょっと寂しかったですが、その分、テレビの視聴者の方に知っていただけたのはうれしいです」

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 あやまん監督が、体調に異変を感じたのは33歳のときだった。六本木でカラオケバーのお店を出し、「人間いつ死ぬかわかんないし、楽しく生きよう」と思いながら過ごしていたある日、声がかすれ、全く治らない日々が続いた。「私一生、このカスカス声なのかな……」と不安に襲われたとき、自分の考えが間違っていたことに気づいた。

 当時の飲み相手といえば、憧れだったJリーガーをはじめ、プロ野球選手、ジョッキー、馬主、アーティスト、水泳選手、俳優、アイドル、広告代理店、芸人など、今を輝く男性たち。「人脈マジ最高!」だと思っていたあやまん監督だったが、今振り返ってみると「イキがって広げた人脈はマジ最弱でした」と断言する。

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 レギュラーメンバーだったファンタジスタさくらだが、スチャダラパーのBoseと結婚したことで、それまで「私結婚願望ないんだよね~」と言っていたあやまん監督も「超結婚したい!」と思うように。

「携帯に登録していた飲み友達から素敵な恋愛相手を探したのですが、あんなにいたのに、ほとんど連絡が取れなかった。当時は飲み会で偉い人と飲んだら、自分まで偉くなったと思い込んでいた。過去の私のように、他人の金で飲み歩いている女性、特に“港区女子”(東京都港区中心でお金持ちと飲み会などで交流する女性のこと)と呼ばれる人たちには、『結婚願望って急にくるよ。他人の金で飲んでいるような女は結婚できないよ!』って伝えたいですね」

 当時は羽振りがいい飲み相手も多く、あやまん監督の周りには、家を実際の場所より遠く申告してタクシー代を多めにもらったり、もらったタクシー代を2軒目の飲み代にするなど、姑息な手を使う女性も多かったという。そんな姑息女子に、あやまん監督は「男性は(女性の姑息な手に)全員気付いていますね。ドン引きしていますよ(笑)。毎日飲み会ばかり行っている20代の女性は、今から生活を改善して欲しいです。じゃないと、本当に結婚できなくなります」と警鐘を鳴らす。

あやまん監督「100年続けていく」一つのことをやり続ける大切さ

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「“みなおか”で披露したあのときの“ぽいぽい”は、普段六本木でやっていたものとはまったく違うんです。結果的に出て反響がありましたが、番組に出る前の私たちは『え、これの何が面白いの?』って思っていました。いざ放送されたら大反響だったのでびっくりしました『何が起こったの?』って」

 『とんねるずのみなさんのおかげでした』をきっかけにテレビに引っ張りだこになったあやまんJAPANだが、テレビに出始めた頃は「フィールドがアウェイすぎて何もできなかった」と話す。

「飲み会の場とスタジオがまったく違いすぎて。飲み会の場だともちろんお酒も入っていますし、あやまんJAPANといえば下ネタも言い放題。でも、テレビは言ってはいけないワードもあるし、言うタイミングや順番もある。飲み会とは全然違うし、難しいなって思ったんです。面白いこともできず、結果を残すこともできなくて、『テレビに出れて楽しい』というよりも苦悩の方が多かったですね。どうしたらいいんだろうっていつも悩んでいました」

 30代半ばで「他人のお金でお酒を飲んで、お金払ってくれる人を盛り上げる人生は虚しい」と感じた結果、お酒が飲みたくなくなり、友達とも話さなくなるなど、引きこもりになった時期もあるという。

 その後、女優として舞台に出たり、2014年からはあやまんJAPAN株式会社の代表取締役監督として社長に就任したりと、少しずつ復帰してきた。

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「本当にあやまんJAPANだけで、“ぽいぽい”だけで10年くらいやってきました。“ぽいぽい”だけしかないと言えば“ぽいぽい”しかないので。でも、今もこうやって“ぽいぽい”をやってこれているので、ひとつのことをやり続けるという大切さを実感しています」

 今では仕事と自分の向き合い方を考え、メリハリのある生活を送っているという。

「さくらだ(ファンタジスタさくらだ)やルーちゃん(ルーキタエ)が卒業したり、初期メンバーがいなくなった状況で、私もあやまんJAPANをやめてもよかった。誰かに『続けろ』と言われたわけではないですが、なんとなく自分の名前が入っているチームだったので、このまま終わるの嫌だなってすごい思って。自分のお店を閉店したり、しんどい時期もあったりしましたが、信じて続けて、社長になってここまでこれて。もうすぐテレビに出てから10年なんですよね。もう100年続けていきたいです」

 プライベートでは「12年ぶりに彼氏ができたんです」と報告したあやまん監督。現在、会社員の一般男性と交際中で、彼氏ができたのは「自分の“しくじり”を知って、変わることができたからですかね」と微笑んだ。

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Text:鈴木シフォン
Photo:野原誠治

「しくじり先生 俺みたいになるな!!」▶︎本編一覧
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