1991年の「ホリプロスカウトキャラバン」をきっかけに芸能界入りした工藤兄弟。デビューから半年で『笑っていいとも!』のいいとも青年隊を務め、数々のテレビ番組で活躍した。しかし、2008年に大手芸能事務所・ホリプロを退所し、以降、テレビ出演本数は激減。
メディア露出ほぼゼロの“あの人は今”状態だが、聞いたところによると「JK sports」という会社を設立し、幼児向け体操教室などを手がけているという。
今回、編集部では工藤兄弟の兄・順一郎、弟・光一郎にインタビューを敢行。「当時は自分たちがいかに恵まれた環境にいるのか、全く気づいていなかった」と話す二人に今の活動を聞いた。
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▲「しくじり先生 俺みたいになるな!!」登壇風景
工藤兄弟「ホリプロで良かった」辞めてからも良さを実感
――改めてホリプロ所属時代を振り返ってみていかがですか?
順一郎:当時はいろいろなことをやってみたかったんですよね。好奇心はあったけど「これ!」と強く思える何かを見つけられなかった。「お芝居も楽しい。でも勉強しない」「音楽も好き。でも練習しない」っていう。
光一郎:でもホリプロってすごくて。僕たちがやりたいことを全部やらせてくれたんですよ。もちろん調子に乗っていた僕らも悪かった。簡単に何でもやらせていただける環境にあったからこそ、僕たちがちゃんとしないといけなかった。
順一郎:2人とも体動かすことや、歌うことが好きだったので、当時CDを出させてもらったときはすごくうれしくて。CDを出してイベントで全国に歌いに行って、みんな盛り上がってくれた。その後、リリースを続けることはできませんでしたが、今は子供たちの前でギターを弾いて歌うこともあるので、人生って面白いですよね。
▲弟・光一郎さん
――当時の芸能活動が今でも活きているんですね。
順一郎:本当ですね。ホリプロには17年間お世話になっていたのですが、辞めるときには社長が直々に「ごめんな」って声をかけてくれたんですよ。
光一郎:当時はオファーが来たらギャラの交渉から、新幹線、飛行機の手配など全て事務所がやってくれていたわけですから、僕たちが独立したときは、本当に分からないことだらけでした。実は今でも困ったことがあったらホリプロの当時のマネージャーに相談しているんです。当時のマネージャーはホリプロ内でも出世されていて(笑)。そういう面では辞めてからも「ホリプロで良かった」と思います。
順一郎:ホリプロからは「辞めた直後は悪い人がたくさん集まってくると思うから気をつけて」「利用しようとする人が現れるから」って強く言われて。僕たちはそんなこと考えてなかったので、本当にありがたかったです。
幼児教育の新事業を立ち上げ、ラッキーだった“巡り合わせ”
――現在は「JK Sports」という会社を立ち上げて、幼児教育などの活動を行われていますね。
順一郎:幼児教育事業はホリプロを辞めてすぐに始めたので、10年以上やっています。体操教室自体は事務所を辞める前からやっていたんですけどね。
光一郎:「体を早く動かすにはどうすればいいのか?」と考えたときに、遊びの一環として子供たちが楽しくできるように歌とか振り付けの考えてやっているんですよ。
――「JK Sports」は最初から順調だったのですか?
順一郎:順調だったと思います。ただ、これは“工藤兄弟”の名前があったから、すぐに軌道に乗ったわけではないんです。幼稚園に知人がいたり、いろいろな方の支えがあって、すんなり始めることができた。やっぱり僕らってラッキーなんですよね。
光一郎:僕たちは文京区出身なのですが、同級生のお父さんがケーブルテレビに勤めていて。ホリプロを辞めてからすぐ子供向けの番組に帯で出演する機会もいただきました。
あと、ありがたい巡り合わせがあって。『おかあさんといっしょ』で10代目たいそうのおにいさんを務めた“ひろみちおにいさん”(佐藤弘道)は幼児教育の現場では先輩なのですが、『筋肉番付』シリーズや『SASUKE』などの番組では僕らの方が先輩なんです。あと、順一郎の友人で『おかあさんといっしょ』でも関わりが深い、たにぞうさん(フリーの創作あそび作家)という方がいて。幼児教育界のスーパースターと一緒に活動することもできて、本当にいろいろな幸運が重なったんです。
――幼児教育の第一線にいらっしゃいますが、教育の中で何か気づいたことはありますか?
順一郎:悲しいことに現代の子たちの運動レベルは高いものではないです。今は昔よりも栄養状態が良い時代のはずなのに骨折する子が増えているんです。それは外遊びをしないから、転んだときに受け身ができない。子供が自分の体をコントロールできないんです。
お父さんお母さんも外遊びのやり方を知らないから、子供たちの意思ではなくて「あれも危ない、これも危ない」という親世代の意識に問題があったりする。キャンプのイベントなどでは、お父さんお母さんが子供にどのように遊びを教えたらいいか、一緒に教えています。
――お二人ともやはり体を動かしているだけあって、筋肉もしっかり付いていて、お若いですよね。
順一郎:いえいえ、年齢を重ねて太ってしまったんですよ(笑)。でも、やっぱり子供たちやお母さんお父さん大勢の前で体操を教えて、人前に立っていることで、体型をキープできるよう頑張れるんだと思います。
光一郎:幼稚園の先生が「“おにいさん”の真似をしてみましょう!」って言ってくれるとうれしいんです(笑)。
順一郎:「おじさん」って周りからハッキリ言われたときは、もう表に出ずにプロデュース業にまわろうと思います。年齢はおじさんなんですけどね(笑)。
光一郎:僕はもう子供が大きくて、真ん中の子が高校生なんです。子供が今流行っている曲をずーっと家で流していて、自然に覚えちゃうんですよね。この前もカラオケに行って歌っていたら「若い彼女いるでしょ?」って周りに誤解されてしまいました(笑)。でも、見た目を若く見てもらえるのは、うれしいですね。
過去“双子キャラ”に反発も……今は「双子だから何?」
▲「しくじり先生 俺みたいになるな!!」登壇風景
――お二人は一時期“双子キャラ”としての扱いに反発して、双子に関するトークをNGにしていたそうですが、今はこうして一緒にお仕事をしています。何か一緒にお仕事をする上で、秘訣があるのでしょうか?
光一郎:お互い結婚して家族を持ったことで、常に一緒じゃなくなったんですよ。プライベートと仕事が分かれて、これが良かったんじゃないかと思います。
今は頭と体がようやく追いついてきて「双子だから何?」って思えるようになりました。子供たちの前で一緒の服を着て、わざと入れ替わってみて「どっちかどっちだ?」って遊んでみたり。今はそういうことができるようになりました。
順一郎:もしもの話になりますが、僕がバラエティ番組に出て、光一郎は役者になって、それで一緒にCDを出すとか、同じ芸能界にいて、もし別々のことをしていたら……ってそういう話をしたことはあります。
今は一緒の仕事をしていますが、四六時中、同じことをしているわけじゃない。だから二人で続けてやっていけているんだと思います。双子だから考えや好みは似ていて、体を動かすことが好きだし、皆を楽しませることが好きだし、好きな方向が同じなんです。
▲「しくじり先生 俺みたいになるな!!」登壇風景
――今日も偶然同じTシャツを着てきたという、驚きの展開がありましたが、やっぱりそういう“双子あるある”は今でもありますか?
光一郎:もうお互い結婚していて、玄関は別々の二世帯住宅みたいな家に住んでいるんです。お互いのクローゼットを見ることはないのですが、別々に準備して玄関を出て車に乗ったら同じ服だった、とかはよくありますよ(笑)。
順一郎:僕たちが登壇する「しくじり先生 俺みたいになるな!!」の中では「双子ネタを否定し続けた」などのエピソードをたくさん話していますが、双子っていうのはもうしょうがないんです(笑)。