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 タワーマンションが立ち並び、首都圏の中でも人気のエリア・武蔵小杉。しかし、先日の台風19号の影響によって浸水被害や停電・断水が発生、駅で通勤・通学客が溢れる様子が報道されると、ネット上には住民を揶揄する意見の投稿も相次いだ。

■「分断」から「共存」を考える

 「分断」という言葉について最近改めて考えてみているのですが、これは「共存」という言葉と本質的には同義なのではないかと思うようになりました。

 「共存」が成り立っている状況はどんなものだろうかと整理してみると、「あなたと私は違って、それぞれに特性があるから補い合えばいいし、協力しあえばいい。だからあなたの存在も認めるし、私の存在も認めてほしい」という共存、「あなたと私は違うんだから、壁でも作って、関わらないでいようよある程度の秩序があればそれでいい」という共存、そして「そもそも違いなんて知らない、あるいは見えていない。だからこそ一緒にいられる」という共存があると思います

 さらに言えば、「こんなこと言ったら、こうなるに違いない」「聞いたことはあるけど、よくわからないし、触れるのはやめておこう」という中での共存もあるかもしれません。これがもう一段階上がると、疑心暗鬼、恐怖による沈黙による共存になるのではないでしょうか。

 そういう視点で香港を見てみるのも良いでしょう。「身元がバレると将来に影響するかもしれないし、この秩序の中で黙って生きていくしかないんだ」とか、「自由とか求めても仕方ないし、観光地としては経済的に発展する道を淡々と歩んだ方が良い」ということで、日常を粛々と回している人たちもいます。一見すると、これも「共存」でしょうが、背景には、やはり「暴力によって現状が奪われるのではないか、自分が排除されてしまうのではないか」という考えがある。

 つまり、分断しているから共存できているとか、共存させるために分断させているとか、そういう状況が確かにあるということです。シリア内戦もそうで、アラブの春以前のアサド独裁政権について、「人権抑圧もあった、それでも今よりはいい国だった」と振り返るジャーナリストもいます。日本においては、原発問題もそうかもしれない。関西電力のニュースが明らかにしたように、みんなは平穏が保たれた日々だったと感じていたかもしれないけれど、実は耳を疑うようなことが行われていたおかげで安定が保たれていたようです、

 そのような均衡、秩序、安定をどう捉えるのか。見ないようにしておけば その中である程度の生活は保障される。それを変えようとするのはとても勇気がいることでもあり、出口の見えない混沌の始まりにもなる。

 しかし今のネットの状況は、かろうじて共存できている社会の中で起きたエラーをどんどん個人が上げてくる。そして、「知らなかった」という気持ちが「知るべきだったはずだ」と言う気持ちに変わっていく。それは良いことでもあるけれど、そこから先の議論の部分では、やはり過渡期なのでしょうね。

 中流階級以上の人が集う武蔵小杉のタワマンが格差の象徴のように捉えられ、住民に対する怨嗟のようなものが吹き出る。けれど、僕はインターネット上のねたみそねみに対して必要以上に忌避する必要はないとも思う。確かに言い方は良くないし、言われたほうは傷つく。だけど、事実としてそう思ってしまっている人がいるということの現れだし、「よく言ってくれた!」と感じている匿名の人たちがいるのも事実。それらを無理やりに抑え込むのも後ろ向きです。

 日本は明らかに貧しくなっているし、多様性が進んだことによって混乱もしています。一方、教育システムも追いついていないし、どこに思いをぶつけていいかわからないからSNSに投稿する。しかし具体策が出てこない。どちらが正しいか、どちらが合理的で費用対効果が高いか、どちらかを選べ、というマウンティング、潰し合い。そうであればこそ、僕は事実や意識を共有し、じゃあどうすればいいんだっけという対話の場をメディアの中に作っていきたいと思います。

■プロフィール

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1977年生まれ。ジャーナリスト・キャスター。NPO法人「8bitNews」代表。立教大学卒業後の2001年、アナウンサーとしてNHK入局。岡山放送局、東京アナウンス室を経て2013 年4月、フリーに。現在、AbemaTV『AbemaPrime』(水曜レギュラー)などに出演中。

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