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(試合中、何杯目かのテキーラを飲み干した沙弥はカメラ目線でこの表情)

 災害は、プロレスラーの人生を変えてしまうこともある。10月12日に関東を直撃した台風19号によって、首都圏のほとんどのプロレス興行は中止、延期となった。その中の一つが、女子団体アイスリボンの後楽園ホール大会だった。

 年数回のビッグマッチ。しかもこの大会では、所属選手テキーラ沙弥の引退試合が行なわれることになっていた。興行がなくなったということは、その日に引退できなくなったということだ。沙弥の引退試合は、あらためて大晦日の後楽園大会に設定された。2カ月半の“引退延期”だ。

もう一つ、予想外の“受難”があった。ともにベルトを巻き、10月の引退試合でもタッグを組むはずだった次期エース候補のジュリアが突然、退団を表明。他団体のリングに上がって参戦アピールしたのだ。台風による大会中止のわずか2日後だった。沙弥を送り出そうとしながら、同時に移籍も考えていたということなのか。ファンでさえそう思うはずで、沙弥自身の胸中は想像さえできない。

 沙弥のキャリアは4年弱。好奇心旺盛でやりたいことが山ほどある彼女は、最初から「3年間だけ」と決めてプロレス界に飛び込んだそうだ。リングネームはテキーラソムリエの最上級資格を持つことから。日本テキーラ協会公認レスラーでもある。蕨にあるアイスリボン常設会場(道場)の近く、大会後にファンが集まるバーの運営も沙弥の仕事だ。

 ジュリアの離脱によって穴があいた試合は、他団体や海外遠征も含め気丈にも沙弥が引き受けた。そんな彼女との対戦を求めたのが米山香織だ。米山はかつて、テンカウントゴング中に「まだやりたい」と引退撤回、大騒動になったことがある。引退を決めたことで、逆にプロレスが好きで好きで仕方ない自分に気付いてしまったのだ。

“引退をやめた”米山だから“引退できなかった”沙弥のことが人一倍、気がかりだった。“引退ロード”は誰にとっても充実しているし、いつも以上に全力疾走になるもの。しかし沙弥は、そのゴールが先延ばしになってしまった。どんな気持ちでいるんだろうと気になったし、できれば大晦日までの時間を楽しく過ごしてほしいと思った。だから米山は沙弥と試合がしたかった。

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(試合後の記念撮影。全員テキーラ投入済みでゴキゲン)

「大丈夫、なんとかなるもんだから。プロレスの神様からもらった余生だと思って」

 この米山の言葉で、沙弥はかなり気が楽になったそうだ。2人は11月20日、アイスリボン道場での『P's Party』で対戦した。「思い残しがないように、今までやったことないルールで」という米山の提案で決まったのは1カウントフォールマッチ。これがわずか10秒で米山の勝利となり、再試合は沙弥が得意とする「テキーラマッチ」となった。

 試合中に音楽が流れるとテキーラをショット1杯飲むというこのルールで、トップレスラー・藤本つかさに勝ったこともある沙弥。いわゆる「酔えば酔うほど強くなる」状態で、レフェリーやセコンドたちも巻き込んで勝利。そして、これまた急遽決まった3本目はイス取りゲーム対決となり、ここでも沙弥が勝ち残ったのだった。

 結果、2-1で3本勝負は沙弥の勝利に。そもそも3本勝負だったのかという疑問もありながら、リング上の全員が酔っ払っていたため不問となった。まあそういうものだ。ただただ楽しい空間がそこにあった。

「プロレスでハッピー……だったんじゃないでしょうか」

アイスリボンのスローガンを使って試合を振り返った米山は直後に熟睡。沙弥は米山への感謝を語った。

「最初は引退しそこねたとか、あの時に引退できていればと考えてました。でも今はメチャクチャ楽しくて。米山さんが言ってくれた“プロレスの余生”を楽しんでます。12月31日も楽しいまま終わりたい」

 立て続けの不運に見舞われ、キャリアのプランを狂わされて、それでも今、笑顔でリングに立つことができている。米山vs沙弥は、お互いが“予定通り”引退していたら実現しなかった試合だ。偶然か運命かは分からない。そのどちらであれ、受け止めて楽しむのがプロレスなのだろう。結果、テキーラ沙弥はいいレスラー人生を送っているとしか言いようがない。

文・橋本宗洋

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