「山にいる者として、ほっとけない」御嶽山で困った人を助け続ける、最年長の“強力”
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 長野・岐阜県境に位置する御嶽山(標高3067m)。登山ルートが整備され、日帰りもできることから、錦に染まる紅葉シーズンは登山者の人気が高い。

 5年前の9月、58人が死亡し、いまだ5人の行方が分かっていない噴火災害が起きたのも、紅葉真っ盛りの正午前だった。以降、入山規制が段階的に緩和され、シェルターが設置された去年の秋、山頂付近まで登れるようになった。夏場は多くの信者が、山頂にある御嶽神社を目指す。

 神が鎮まる山として古くから人々が信仰の対象としてきた御嶽山。参拝に訪れる信者たちを支えるのが、地形を知り尽くし、豊富な経験を持つ“山の案内人”、「強力(ごうりき)」だ。数十キロの荷物を背負い、山頂まで登る。かつては田植え後の農閑期の収入源として山麓に広まっていた仕事だが、最盛期に20人いた強力も、今は7人を数えるだけ。最年長が倉本豊(63)だ。おじの手伝いでこの道に入ったのは20歳の時。本業は大工だが、夏場は強力の仕事が増えていった。

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 「山にいる者としてね。ほっとけないじゃない。いくらなんだって。要は自分のうちの庭先で困ってる人がいるんだよ」。

 この日も強力として山に入った倉本は、しきりに後ろを気にしていた。眼下に追い抜いてきた登山者が見えた。山小屋に着くとすぐに、登山道を駆け下りる。年配の登山者で、ほとんど登れていなかった。「さあさあ、行きましょう」と倉本。こうして登山者の手助けをすることも、しばしばあるという。登山者の妻は「他にも3000m級、いっぱい行ってるけど一番きついもん。全部直登だもん」「いやーお父さん助かったじゃん、行きつけなかったよ」と安堵の表情を浮かべる。

 山小屋で一息付き、「いや、ありがとうございました」と感謝する登山者に、倉本は「無事でよかったです、何よりです」と笑顔で応じた。

■御嶽信仰の山、神事の撮影を許される

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 御嶽信仰が始まったのはおよそ1300年前。信者は年に一度、御嶽山に登って参拝する。全国に「講社」「教会」と呼ばれるいくつもの集団があり、信者は合わせて10万人を超える。このうち、徳島県から毎年訪れる御嶽教の信者たちは、これまで30年以上にわたって倉本に仕事を依頼してきた。

 信者の半数が、倉本に荷物を預ける。天候が崩れ始めると、荷物を濡らさないように先を急ぐ。山小屋で夕食をとり、1泊して山頂を目指す。翌朝午前4時半、9合目半にある「霊神場」と呼ばれる場所で祈祷をするのだ。行者の1人に神が降り、別の行者がお告げを聞き取る。取材カメラを向けることは決して許されない。

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 しかし倉本だけは神事の撮影を許され、信仰の山を撮影、記録に残してきた。「信者さんを撮ってるカメラマンって本当に少ない。普通撮らせてくれない」「だいぶ大きな声で怒られたことは何回もあるんだけど、最初は何年もお付き合いしてる信者さんを撮らせてもらってから始まった」。

 今年は5年ぶりに入山規制が緩和され、噴火で被災し、この夏に再建された御嶽神社まで登ることができた。その様子を見て、涙を流す信者もいた。「多くの方々が命を亡くされるようなことになった。お参りしながらみなさんのご冥福を祈りながらお参りをさせていただいた」(鍛谷道明・御嶽平成教会主管)。

■ドローンを使った行方不明者捜索にも参加

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 5年前の噴火当日、保育園に通う孫の運動会に行っていた倉本。「朝のうちに登るつもりだっただよ。だけど娘に言われてさ。写真撮ってくれって言われて。午前中で済むじゃん?保育園なんか。じゃあ午前中行って登ろうかなと思って。一応そういう支度しておっただよ。そしたら家から電話かかってきて、まあ、行っていれば多分頂上だよな」と強力仲間に語りかける。「ここにいればもしかすると死んでいたかもしれない」。

 以来、自らの使命だと信じ、今も独自に行方不明者の手掛かりを探し続ける。3年前からは、家族によるドローンを使った捜索にも参加。機材の運搬と捜索エリアの情報提供を依頼された。

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 当時一緒に登っていた19歳のおい・亮太さんを探している愛知県の野村正則さんは、今年、再び倉本を頼った。野村さんと亮太さんは噴火当日、麓の長野県王滝村にある登山道から入山。午前11時半すぎ、今は入山規制により立ち入り出来ない王滝側の山頂に到着し、そこから最も標高が高い3,067mの剣ケ峰を目指して、2つの山頂を結ぶ「八丁ダルミ」と呼ばれる尾根筋を歩いていた。噴火はその途中で起きた。2人は登山道を外れ、火口の反対側にある尾根を目指して走った。その時、先を行く亮太さんがスマートフォンを落とし、野村さんが拾おうと立ち止まった瞬間、噴煙で視界を失ったという。

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 亮太さんが自力で下山しようとした可能性もあるため、8合目からこれまで捜索されていないエリアを撮影する。ハイマツが茂り、死角も多い映像。そして9合目付近は険しい谷になっている。倉本はドローンのパイロットに細かく指示を出していた。

 「倉本さんがいないと本当に、捜索って言うこと自体もちょっと考えられないかなっていうくらい。そのくらい親身になって協力してくれている人。感謝しかない」(野村さん)。

■今も亮太さんの手がかりは見つからず…

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 9月27日、今年も噴火災害犠牲者追悼式が行われた。あれから丸5年が経った御嶽山。あの日と同じように、よく晴れた空。

 町内の喫茶店で、ドローンで撮影した画像を亮太さんの両親と確認した倉本。「俺も見てみたけどやっぱり木切れとかそういうのは分かるんだけど、なかなか…」。手掛かりは見つからなかった。

 「倉本さんはやっぱり、生き延びて下まで行ったかなって感じですか?」と尋ねる母・なつ子さんに、「うーん…尾根の付近にいたとしてこれだけヘリが飛んでいて倒れていれば当然分かるはず。それがないということはハイマツの中とか、尾根を谷側へ降りていった可能性はあるね」。父・敏明さんは「亮太の性格だったらまず正則のことも心配するから、探すと思う。元気なら。だとしたら下らない。上に行く」。どうしたら見つけることが出来るのか、糸口は見えていない。

■「“御嶽山”っていうよりも、“お山”」

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 登山道を整備するため山に入った倉本。山頂付近で転倒したというケガ人を担いで下る。「“御嶽山”っていうよりも、“お山”。親しみを込めて、というのもあるだろうし、自分の気持ちの中では普通の山じゃない。ケガ人が出たり、困ったりする人が出たり、そういうのはあっちゃいけないし、少しでもなくしていくのが務め」。63歳。背負うものは重く、大きい。(長野朝日放送制作 テレメンタリー『お山に生きる』より)

「お山に生きる」
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