発達障害を持つ44歳の長男を殺害した罪に問われた農林水産省元事務次官の熊沢英明被告の裁判で16日、懲役6年の判決が言い渡された。長男が一人暮らし先から実家に戻ってわずか1週間での悲劇は、防ぐことはできなかったのか。
母親の証言によると、殺害された熊沢英一郎さんは実家に戻った翌日の5月26日、「お父さんはいいよね。東大を出てなんでも自由になって。(僕の)44年の人生はなんだったんだ」と床に突っ伏して号泣したという。この直後、熊沢被告が「(一人暮らしの家の)ゴミを片付けなきゃな」と声をかけたところ、英一郎さんは「お前らエリートは俺をバカにしている」と激昂。熊沢被告の証言によれば、この日に「殺してやる」と叫ぶ英一郎さんに髪をわしづかみにされ、サイドテーブルに叩きつけられる暴力を受けたという。
2日後の5月28日、川崎市で引きこもりの男が登校中の小学生ら20人を殺傷する事件が発生した。弁護側の質問に対して熊沢被告は、「川崎の事件の犯人と息子の境遇が似ていると危惧した」と供述している。一方で、検察側の質問には「息子が事件を起こす場面までは想像しなかった」と答え、東京地裁は川崎の事件が背景にあるとは認定しなかった。
そして、事件当日の6月1日、英一郎さんから26日の暴行時のような形相で「殺すぞ」と言われた熊沢被告は、包丁で英一郎さんを刺して殺害したという。
床に突っ伏して号泣する英一郎さんと、熊沢被告がかけた「ゴミを片付けなきゃな」という言葉。このやりとりについて、臨床心理士で心理カウンセラーも務める明星大学准教授の藤井靖氏は「指示や表面的な解決策よりも、理解と共感が大事」だと指摘する。
「おそらく本人(英一郎さん)としては、それまでにも様々なSOSのサインを心理的な反応、行動的な特徴として出していたと思う。突っ伏して泣いていたというのもその1つだろう。44年間の中で当事者が感じる痛みや不安、苦悩みたいなものは本人にしかわからない部分があって、それをどう表現したらいいのかさえ分からなくなっていた可能性もある。熊沢被告のような指示的な声かけは、親としては真っ当なことであり、子育てとしては自然な言動ともいえる。しかし一方で、例え正しい解決策であっても、その言葉が子ども自身の存在を否定する意図で聞こえたり、子どもが実行不可能なものであるならば、そういう指示的な発言をすること自体がさらに本人を追い込むということがある」
このような場合の対応として、「例えば『じゃあ一緒にゴミ出しをやろう』という風に声をかけることが気持ちに共感して寄り添うことにもなるし、一緒に何かをやる行為はその人にとってすごく支えになる可能性がある」と話す藤井氏。熊沢被告は「できるだけ寄り添ってきたつもり」と供述し、英一郎さんへ995件のダイレクトメールを送ったというが、その中でも指示的な言葉がみられる。
藤井氏は「『共感』というと、その人の考えていること全てを受け入れるように誤解される部分があるが、ダメなことはダメでいいと思う」とした上で、今回のような悲劇を防ぐには「親の苦悩というものも、長きに渡る子育ての中で相当蓄積していたと思う。親を支える存在や一緒に対応策を考えられる専門家など、家族外の人(支援者)が必要だったと思う。実際、もし専門家につながれば、悩みや不安を話すだけで気持ちに余裕が持てるようになったり、子どもの困った行動の理解が客観的に出来るようになったり、応用行動分析に基づくペアレントトレーニング(子供の対応の仕方を学ぶ)を受けることができるなど、発達障害に対する系統的支援・対応の仕組みは随分進んできている」と指摘した。
一方で、この事件で英一郎さんが発達障害だと報道されることの危険性について言及。心理的支援の領域においては、“診断”が全ての前提になるわけではなく、そもそも障害の原因(脳の器質的・機能的問題)も解明されきっていないという現状もあるという。藤井氏は「診断はラベリングすることが目的ではなく、あくまでも投薬治療につなげたり、特別支援などの教育・行政的サービスを得るため。加えて、当事者や家族が診断によって自己理解や問題理解が進み、例えば『生活上の問題に自分で対処できるようになった』、『自分は他人と違うという違和感を受け入れることができた』などと心理的に救われることもある」とした上で、「しかし『発達障害』への誤解が社会の中ではまだまだあり、多大なスティグマ(負の烙印)につながっている。例えば、日常で出会った発達障害のある人へのネガティブな感情が診断されている人全体へ向けられ、対応として非常に重要な早期発見、早期支援(治療)の妨げにもなっている」と警鐘を鳴らした。
熊沢被告は英一郎さんがひきこもりがちであること、家庭内暴力があったことを第三者に相談していなかったという。BuzzFeed Japan記者の神庭亮介氏は「熊沢被告は農林水産省の元次官で、行政のエキスパート。当然、どういうところに行けば相談できるか、支援してもらえるかは熟知していたはず。にもかかわらず、事前に相談できず抱え込んでしまった。悩みを外に打ち明けづらい社会的な抑圧もあったのではないか」と推察。一方で、ひきこもり状態にある人は全国で100万人を超えるともされることに触れ、「決して珍しいこと、恥ずかしいことではない。“どこにでもある問題”として、当事者が気軽に相談機関や行政に繋がれるようになればいいと思う」と述べた。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)








