お正月は誰にでも平等におめでたい気持ちにさせてくれるもので、新年の目標とか意気込みを立てやすく、気持ちを前向きにしてくれるので、めでたいものである。僕に限っていうと毎年、今年はどうなるかなあと不安になっていて、気が気じゃないのが本音だ。フリーでやっていたら今年の売り上げが確実に立つ約束などないのだから、不安なのは当然で、なんとかなるのか、なんとかするのかはわからないけれども、今年も「生きていかねばならない」ことだけは確定しているから、生きていくしかない。
2020年の僕の格闘技周りを考えたときには、楽観視できる状況ではないのが正直なところだ。
10月の日本大会は懸命に盛り上がりを作ったわけだが、それ以降日本国内において大きな話題が作り出せていないことからも僕自身「大丈夫」と言えない状況にある。大丈夫であったとしても現場の人間は危機感を持ってやらなければいけないと僕は思っている。大丈夫に逃げることは怠慢のような気がする。
2019年は日本国内のONEでいうと明るいニュースが多く、選手の大量契約もあって、選手からは待遇面も含めて明るい声が聞こえていた。修斗やパンクラスとの提携に選手の大量契約で選手の待遇面は格段に上がっただろうし、明るい未来が見えなかった選手に希望の光が見えた面は多分にある。僕は未来は自分で切り拓いていくものだと思っているし、日本格闘技が低迷していた時期も自分の手でご飯を食べていた。プラットフォームに完全に依存しないのは難しいけれども、極力自分の力で立ち合える割合を増やそうと考えていたから、サバイバル術には長けている。芸事を仕事にしたのだから自分の腕で食べて行こうって気概は何よりも大切だと思う。僕は撮影現場や会場にある弁当を食べる術に長けているけれども、そこにサバイバル術の一端があらわれているのではないだろうか(それは冗談だけれども)。2019年のような状況がずっと続くとは考えづらいし、生き残りを考えたら楽観視しないのが得策であろう。
これに関してはONEに限った話でなく、UFCでもRIZINでも当たり前にある話であってプロスポーツとして当たり前の競争が働いていると解釈するのが自然だと思う。楽園でないし、ONEとしてのクオリティは上がっていくので観る側としては明るい兆しであろう。
選手は生き残りが問われているが何をすればいいのだろうか。
まずは圧倒的な高さを身に付けることが一番だ。高さとは強さであり、まずは格闘技選手としてのクオリティを高めることが直近の課題であると思う。どうしてもプロモーションやセルフプロモーションに目が行きがちだが、まずは高さ(強さ)がないと話は始まらない。いくら広告をかけても商品が脆いと小手先になってしまうのだ。まずは選手は自分の商品を徹底的に磨くことが求められている。その意味ではRENAはどんなに晒されても耐え続ける商品としての強さを持っている。
■老いも若きも関係ない。生き残りをかけた団体戦
若い世代が主権を握っていくことも必要になってくるだろう。K-1もRISEもRIZINも若い世代が育っている。MMA(ONE)は若い世代の台頭が見られなく、ベテランが幅を利かせている。強いて言えば平田樹なのだろうけれども、まだジャンルを背負って、引っ張っていくには頼りないと言える。ただ僕は時間と手間をかければ育つと思っているし、RIZINの朝倉兄弟が出てきたように手間と時間をかけることが大切なのだと思っている。RIZINにはインスタライブが関係各位に好評で、インスタグラマーとしての地位を確立した佐藤大輔さんの力があってのことをここに記しておこう。平田樹が育ったのも彼女の努力と才能以外に周りの力も大きいのだから、手間と時間をかけることを諦めてはいけない。
若い世代の台頭を歓迎するし、どんどん突き上げを行ってほしい。若い世代の感性は時代の中心になる。我々ベテランは体力は落ちていくだろうし、若い世代の感性を理解できない。老害になるリスクを自然と持ち合わせている。これは格闘技に限らずどのジャンルでも起こっていることだ。ただ悲観することはない。ベテラン世代は経験や技術は積み上がっていくから、若い世代の感性を否定せずに学んでいくことで、互いにいいものが作れるはずだ。スタッフ関係者はネットワークを駆使してシステムを構築していけば、力が合わさっていいものが出来るのではないか。団体戦だ。右肩下がりであることを受け容れて団体戦を展開していく以外に生き残りの術はない。一人が100倍稼ぐような一人勝ちはできないだろうが、皆が10倍になるような業界にしていくのは夢ではないはずだ。天才は一人勝ちで独占するけれども革命は皆の収入を数倍にする。皆で革命を起こそうじゃないか。もう何もかも全てが手遅れかもしれない。けれどやるなら今が一番早い。皆でやってやろうじゃないか。ギブアップするくらいならやってやろうじゃないか。
ただ各団体が同じような競技でどうしても均一化が起こる。どこも同じようなことをして、同じようなプロモーションをして、同じように試合が終わっていく。どう差別化していくのだろうか。個性はどこで出していくのだろうか。UFCだって、RIZINだって、ONEだって、Kー1だって、同じようなことをしていると格闘技を知らない人からは見られる。
ここで個性を出して差別化するのに重要なものが「思想」であり、社会へのアクションだと思っている。自分たちは格闘技を通じて、社会にどのような価値を提案したいのか。僕は格闘技を通じて社会を豊かにしたいと思っているし、できる確信がある。様々なことで苦しんでいる人がいる世の中だ。同世代が抱える悩みを僕も抱えていて、それをさらけ出して闘うことで力を与えることができる仕事だと思っている。格闘技選手を試合をするのが仕事と捉えるのか、社会を豊かにする仕事をしていると捉えるのかには大きな差があるはずだ。思想信念、主義主張を持つ表現者ならば当たり前の話なのだけれども、スポーツ選手の側面と表現者の側面が問われる時代になってきたのではないか。
例を出すならば11月に宇野薫が勝ったことで同世代の働く世代やファンが彼の思想に共感して勇気を得たようなことだ。世間に対して投げかけたいものや証明したいものがあるからこそ、わざわざプロ選手として闘うのであって、ただ格闘技の能力を競いたいのであればアマチュアでいいはずで思想に共感するかどうかが肝になると思っている。
2020年に限らず未来へ進むことは痛みや苦しみがともなう。けれど生きよう。人は最後は死ぬのだけれども、死ぬのだから前に進まなくていい話ではない。全うしよう。この選択でよかったのか。たとえ間違っていたとしても、よかったと思い込んで生きていくしかない。いつだって答え合せはこの先だ。過去は変えられないけれども過去の解釈は変えれるのだから、おれたちは必死に生きていくしかないのだ。生きろ。生きよう。意思を持って前に進めば悲観している隙はない。懸命に生きていくことは苦しみがともなうけれど、覚悟が決まっているのだからやってやってやろうじゃないか。
おれたちはファミリーだ。
文/青木真也