この記事の写真をみる(2枚)

 見事な引退ロードだった。新日本プロレスのジュニア・ヘビー級を牽引してきた獣神サンダー・ライガーが、1月5日の東京ドームで引退試合を行い31年の覆面レスラー生活を全うした。

 デビューは平成元年、1989年4月24日「獣神ライガー」名義での小林邦明戦だった。永井豪原作のテレビアニメのタイアップキャラクターにあわせてファイヤーライガーを経て、「獣神サンダー・ライガー」に進化。今のリング名に改めたのが、1990年1月5日の飯塚孝之戦、キッチリ30年での終止符だった。

 平成を駆け抜けたライガーの引退試合には、高橋ヒロムとリュウ・リー(ドラゴン・リー)というジュニア・ヘビーの未来を託された2人が対戦相手に指名された。メキシコで自身のスタイルを確立したヒロム、メキシコマット界のエリート、リュー・リー。この2人がライガーの介錯人を務めた理由を考えた時に、頭をよぎったのはライガーが橋渡しをした「日本のプロレスとメキシコのルチャリブレの蜜月」というキーワードだ。

 厳密にはライガーはルチャよりも、新日本のストロング・スタイルの流れにいるレスラーで、骨法など格闘技の流れを汲んだスタイルも取り入れてきた。身長制限があり「日本ではプロレスラーになれない」と自覚したライガーが、新日本プロレスに入団できたのは、一念発起し渡ったメキシコでグラン浜田を頼ったことであることは有名な話だ。浜田は日本にメキシコのプロレスを伝えた伝道師といえるレスラーだ。

 ライガーとルチャの関係に思いを巡らせたときに、ふとプロレス解説者・清野茂樹氏がナビゲーターを務めるラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」の言葉を思い出した。ゲストにリュウ・リーを迎えた平成最後の放送(4月28日オンエア)で、平成のプロレスの総括として「猪木・馬場の時代が終わって(日本のプロレスは)ルチャリブレになった」という興味深いコメントだ。

拡大する

 要約すると平成2年に旗揚げされ、短命に終わった国産ルチャの団体・ユニバーサル・プロレスが現在のプロレスに与えたインパクトについての力説である。グラン浜田を中心に設立されたユニバーサルが輩出したウルティモ・ドラゴンや邪道、外道、グレート・サスケ、Takaみちのくといったキーパーソンたちと、その弟子たちが現在の日本のプロレス界へ大きな影響を与えているというものだ。

 ユニバーサルから独立した選手たちはその後、日本のルチャリブレを定着させた「みちのくプロレス」や「闘龍門JAPAN」(現DRAGONGATE)などで一世を風靡するが、それらを束ね他流試合を行ったのが獣神サンダー・ライガーだった。彼が音頭をとり新日本で90年代に開催された「スーパーJカップ」で、ジュニア・ヘビー級の選手たちが団体の枠を超え戦う土壌が生まれ、ストロング・スタイルとルチャの融合という副産物も生まれた。

 昭和時代、初代タイガーマスクが切り拓いた「飛ぶジュニア・ヘビー」とアントニオ猪木ら「飛ばないヘビー」という当たり前だった概念は、ルチャのファイトスタイルがリング上で市民権を得た平成の30年の間に大きく変わった。

 1.4、1.5のメイン、新日本の主力レスラーを見渡しても影響力は顕著だ。ウルティモ・ドラゴンの弟子で「闘龍門」から新日本のエースになったオカダ・カズチカ。グレート・サスケに憧れプロレスラーになった飯伏幸太、ロス・インゴベルナブレスの自由奔放な戦いに共鳴し、現在のスタイルを確立した内藤哲也。その戦いのベースにはルチャがある。平成時代にライガーがライバルたちとの戦いで体現してきた新日本のストロング・スタイルとルチャの融合という種まきが実を結び、そのひな形を作ったと言っても過言ではない。

 ライガーがリングを去った新日本プロレスでは、1月シリーズとしてルチャリブレの祭典『FANTASTICA MANIA 2020』が開幕した。10年目を迎えたこのシリーズ、ライガーがキャリアを通じて橋渡し役となったストロング・スタイルとルチャリブレに思いを馳せながら、日本で展開される最先端のルチャを感慨深く観戦しようと思う。

文/早坂ヒデキ

写真/新日本プロレスリング

「キレイなお姉ちゃんならたくさんいる」赤井沙希、“覚悟”を問う一戦で上福に“大切なフィニッシュ技”を披露
「キレイなお姉ちゃんならたくさんいる」赤井沙希、“覚悟”を問う一戦で上福に“大切なフィニッシュ技”を披露
AbemaTIMES
ベルトを奪われて号泣、世界が衝撃「伊藤ちゃん泣かないで」 伊藤麻希、2日連続の防衛戦で王座陥落
ベルトを奪われて号泣、世界が衝撃「伊藤ちゃん泣かないで」 伊藤麻希、2日連続の防衛戦で王座陥落
AbemaTIMES
この記事の画像一覧
この記事の写真をみる(2枚)