堀内賢雄「デビューしてからが地獄」DJからレポーター、声優へと転身した若手時代を振り返る
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 80年代から人気声優として活躍する堀内賢雄が、デビュー当時の思い出を振り返った。DJやレポーターといった別業界から声優に転じたキャリアゆえ、若手時代は「居残り、居残り、居残り」と表現するほど徹底的にスキルを叩き込まれたという。

▶本編:声優と夜あそび 2nd season | 金曜日【関智一×大河元気】 #41

 数々のアニメのほか、ブラッド・ピットやチャーリー・シーンをはじめ洋画の吹替でも知られる堀内が、1月31日に生放送されたAbemaTVの声優トークバラエティ「声優と夜あそび」にゲストとして登場。同番組で金曜MCを務める関智一(「ドラえもん」スネ夫役や「新世紀エヴァンゲリオン」鈴原トウジ役)と大河元気(「B-PROJECT」野目龍広役など)の質問に答える形で、声優デビューまでの経緯や、若手時代について語った。

 元々はプロ野球選手を目指す野球少年だったという堀内だったが、体を壊して挫折。かつて小学校の先生に朗読を「天才だ」と褒められたことから、喋りの上手さと洋楽好きという特性が活かせるDJを志した。フリーのDJや司会として活動するうちに、テレビ局にスカウトされワイドショーなどのレポーターの仕事を行うようになったという。

 テレビ業界でナレーションの上手さを見込まれた堀内は、「役者をやってみたら?」と「ドラえもん」ジャイアン役などで知られる故・たてかべ和也を紹介され、声優事務所に所属。特撮番組「アンドロメロス」のオーディションで、ディレクターの「垢のついてない役者とやってみたい」という意向から、アンドロウルフ役に抜擢されてデビューすることになった。

 しかし「そこからだよ、地獄だったのは」と振り返るように、役者として素人同然だった堀内を待ち受けていたのは、収録現場でのリテイクの嵐。DJ時代の喋りのクセを矯正するために、長時間の居残りを余儀なくされたそうだ。

 また草野球で培った人脈から、洋画の吹替の仕事も担当するようになった堀内だったが、「そこからまた地獄が始まった」と当初は失敗の連続。しかしデビュー数年後には「ホップ・ステップ・大ジャンプ」と表現するほどのブレイクを果たし、主役級の仕事を歴任。そんな堀内のサクセスストーリーを、番組MCの大河は「天才の発言!」と羨むばかりだった。

(AbemaTV/『声優と夜あそび』より)

▶動画:堀内賢雄、声優デビューするまでの経緯を振り返る

堀内賢雄、若手時代の苦労を語る「居残り、居残り、居残り」
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▶本編:声優と夜あそび 2nd season | 金曜日【関智一×大河元気】エピソード一覧

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