173人の住民のうち、65歳以上の高齢者が半数以上を占める山形県山辺町の大蕨集落。唯一の小中学校も閉校した、いわゆる“限界集落”だ。
集落にある「大蕨の棚田」が「日本の棚田百選」に認定されたのは今から20年前のこと。地元農家によるオーナー制度も導入され、多くの人で賑わい、活気にあふれた時期もあった。しかし採算面などからわずか5年で行き詰り、最盛期のおよそ7割が「耕作放棄地」となってしまった。
■若者「“辞め時”というか…」
先祖代々受け継がれたこの棚田を後世に残そうと始まったのが、棚田を管理する「中地区有志の会」と、稲村和之さんが立ち上げた「農夫の会」による「棚田再生事業」だ。「農夫の会」の特徴は、入会したボランティアに年会費(2000円)があること。「価値がある。買えない体験」「後継ぐ人がいないこととか、深刻だと思って協力できることはしたい」と、会員はお金を払った上で農作業を手伝うのだ。
さらに、出来たコメを2キロ2700円で販売。スーパーなどで売られるコメと比べると高めだが、売れ行きは上々だ。「ほだなこと出来るのだがよ、大丈夫だがよ、赤字だべ、という声があった。しかし、我々はコメをきちんと高くお客様に買ってもらうことで、棚田再生を事業としてやっていけるという思いがありました」(稲村和之代表)。
再生事業は主に、このコメの売り上げとボランティアの年会費で支えられており、これが「有志の会」の棚田管理費やイベントの運営費に充てられている。それらのイベントには地元の交響楽団やプロサッカーチームも地域貢献事業として参加。サポーターなど、大勢の人が棚田に集まり、元の姿を取り戻しつつある。
地域に戻った笑顔と活気。しかし、棚田を管理する有志の会の高齢化は進み、後を継ぐ若者はない。「おらだも限界だから、若い人に頑張ってほしい。地元の若い人来て手伝ってくれるならもう少しオラだも元気出る」(有志の会・稲村健会長)。
大蕨の伝統文化を継承するサークル「ちくわんぴーす」が演じる「面白人形芝居」。江戸後期から大蕨に伝わり、彼らが卒業した中学の課外授業で受け継がれてきたものだ。母校の閉校によって途絶えた伝統を復活させようと大蕨に残った6人が活動している。ただ、全員が地域の外に通って仕事をしており、棚田に関わっている家族がいるのは一人だけだ。
「仕事行く前に稲杭とか立てられる?無理だよね。数十本とか立ててからシャワー浴びて仕事は無理。いろいろ手伝ってもらって棚田ができている有り難さ、嬉しさもある反面、そこに自分たちが加わってとなったら、言い方は難しいけど、“辞め時”というか、終着点はどこにするかっていうのは思う」(奥山桃子さん)。
「ここは高齢者が多いわけですし、自分たちが活動していても限界はいつか来る。何年後かは分からないけど。いずれは限界がくるんじゃないですかね。集落がなくなることもそうだし」(川口健汰さん)。
■アプリで棚田米販売も…見えてきた希望
7月、梅雨明けを前に、「有志の会」が集まった。本格的な夏が来る前に田んぼの水を一度抜いて土を乾燥させ、土の中の空気を新鮮な空気に入れ替える。それによって、稲の根が丈夫に育つのだ。この日は排水を良くするための「溝切り作業」。顔ぶれはわずか数人だが、一日で全ての作業を終わらせるという。
そして梅雨が明け、8月。いよいよ夏本番だ。満天の星が棚田を包み込む中、真夏の恒例行事「盆踊り花火大会」がやってくる。先祖を思い、豊作を祈る長年続く祭りだ。ふるさとを離れて暮らす家族を迎え入れるため、地域の住民がそろって、準備を進めていく。
大蕨で暮らす人、離れた地で暮らす家族が、ふるさとの祭りでひとつになる。「帰省客がな、ふるさとに帰ってきてな、楽しんでねが。町外からもきてくれるもんね」(武田二男さん)、「最初は少なかったけども、これだけ人が集まるとやっぱりすごいやりがいがあります」(峯田正吉さん)と、有志の会の面々も笑顔を見せる。
2日後、棚田にはいつもの光景が戻っていた。そして始まったのは、収穫前の「稲杭」の準備。稲の重さで倒れないよう、およそ1000本の杭を、ひとひとつ深く立てていく。力のいる手作業だ。農夫の会の応援もあり、どうにか立て終わると、いよいよ稲刈りの始まり。収穫した稲を、立てた杭にかけていく。江戸時代から変わらない光景だ。
しかし、やはり参加者はお年寄りが多く、「20年もつかもたねえか。良いとこ10年だべな」(峯田きみ子さん)、「子どもに勧められない。田んぼやりなさいなんて。はっきり言ってあんまり儲からないっていうのが本当の話だべ」(小関高章さん)と、厳しい現実を訴える。
それでも、かすかな光も差してきた。10月、大手料理レシピサービス「クックパッド」が運営するアプリ「コメルコ」が、「大蕨の棚田米」の販売を始めたのだ。大蕨の棚田が、より多くの人の目に止まるようになる。
「クックパッド様から、ぜひ扱いたいという気持ちを強くしたと」。稲村さんの説明に歓声が上がる。コメルコを見た「ちくわんぴーす」の若者たちも、「すげー!!すごいっすね」「2キロ2700円、高~!」と嬉しそうだ。
■国による支援もスタート
去年6月、棚田地域を支援する法律が成立した。最大の特徴は“省庁を横断した支援”だ。これまで、棚田地域に使われる機会が少なかった文科省の農業体験、環境省のエコツーリズム、国交省の空き家対策など、各府省庁の44施策を棚田地域に活用してもらうのが狙いだ。これに対し、地域では自治体が中心になり振興に向けた活動計画を策定、「コンシェルジュ」と呼ばれる国の職員がパイプ役となり、応用できる施策を提案していく、“プッシュ型の支援”だ。
江藤拓農林水産大臣は「自分たちでこの地域を何とかしようというところが原点。国がこうする、ではなくて、そういう意識を持っている人たちを国が応援するという切り口ですから。救えるのか、とストレートに聞かれますが、救う意思を国としては示しました。救うためには、現場の方に頑張って頂くというのが基本。そのための支援は惜しまない」と話す。
11月、山形県庁では初の自治体向け説明会が開かれた。大蕨の棚田を担当する山辺町産業課の武田忍係長の姿もあった。棚田のイベントに関わってきた武田さん。空き家を利用したカフェづくりなどで大蕨に定住者を呼び込むことは出来ないか。「地域おこし協力隊」なら総務省、「空き家対策」なら国交省…。武田さんの中で、国の支援を利用するアイディアが浮かんでくる。しかし、具体的な予算はまだこれから。国からどれだけのお金が下りるのか不透明なままだ。
「やる人がいないとどんな支援策があっても進まないことなので。お金ですよねやっぱり。お金があればそこで生活していけるようになるかもしれない。そういったところの支援があれば良いですよね」(武田さん)
天日干しした稲は、ひと月の間に二度の架け替えを行い、均等に乾燥させる。高低差のある棚田で、およそ1000本の杭を架け替えていくのはまさに重労働。この日は多くのボランティアが駆け付け力をかしてくれた。自然乾燥にこだわり、コメ本来の美味しさを作り出す、江戸時代から続く伝統農法。この姿こそ、大蕨が誇る「日本の原風景」だ。
棚田地域振興法が成立したことについて、「新たに助成を積み上げすると言ってるし」と、稲村健さんを励ます稲村和之さん。「みんなほう言うけど俺はもはや引退だから。年寄りばあんまりいじめねで。そろそろ引退だと思ってんだから」と笑う。和之さんも、「毎年“引退”って言ってんだ。健さん、やりつくすとこまでやりつくさんないっす。お互い」と笑顔を見せていた。