“見えない障害”…一命を取りとめた後に残った「高次脳機能障害」に向き合う人たち
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 「高次脳機能障害」。脳がダメージを受けることで、記憶や感情、視覚などがうまくコントロールできなくなる障害だ。一見しただけではわかり辛く、周囲に理解されずに苦しむ人も少なくない。「命が助かる一方で、後遺症を持って生きていく人の割合が増えているのではないか」。専門家はそう指摘する。

 そんな「見えない障害」に向き合う人々を見つめた。

■高速道路を運転中、激しい頭痛と吐き気に襲われ…

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 福岡市に住む主婦の深町伊久美さん(当時45)と私たちが出会ったのは2016年のこと。マラソンへの出場に向けて練習に励む選手の一人として取材したのがきっかけだった。決して弱音を吐かない、前向きな女性だった深町さん。しかし3年後、彼女の人生が一変する。

 去年7月。入院中の父親の見舞いに行くため、一人で高速道路を走っているときのことだった。「思いっきり輪ゴムを引っ張って、ギリギリのところで輪ゴムが負けてパツンとなる、あんな感じ」。

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 そのときの様子をドライブレコーダーが記録していた。突然、激しい頭痛と吐き気に襲われた深町さんは運転することができなくなり、車を路肩に止めようとする。しかし車は側壁に衝突。強い衝撃が加わる。そして、「誰か!誰か!誰か!早く来て、怖い!」。助けを求める深町さんの声。

 意識が朦朧とする中、119番通報をする。「火事ですか?救急ですか?」「早く来てください!怖い!」「救急車ですか?救急車ですね。ケガされてる方はおられますか?」「わかんないです。私が運転してたら頭が痛くなって、走ってる感覚もなくなって、フラフラして。手も自由が利かないんです。早く来て!怖い!頭も痛いし、目に入ってくるもの見たらフラフラして、なんか分かんない」。

 そして駆けつけた救急隊。深町さんは搬送されながら「足がだめ、足がだめ、足がだめ」と叫び続けていた。

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 治療に当たった久留米大学病院の梶原壮翔医師は「脳卒中を疑って診察を開始した。左側は視野が欠けているような状態で、半側空間無視もあったので、間違いなく脳卒中だと」と話す。

 一命を取りとめ、手足の麻痺などの後遺症も残らなかったものの、脳出血により脳がダメージを受けた。

 脳は思考や判断、全身の感覚、視覚など、部位によって役割が細かく分かれており、脳卒中や事故などでダメージを受けると、その部分が担っている機能に障害が出てしまうのだ。このうち、記憶や注意、言語や感情のコントロールなど認知に関わる障害を「高次脳機能障害」といい、全国でおよそ50万人の当事者がいると推計されている。深町さんにも、高次脳機能障害が残った。

■周囲に支えられ、再スタートを切った男性も

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 「ここです。この辺に立っていて轢かれました」。2013年春、通勤中に車にはねられた瀧本龍さんは、軽傷だったものの、頭を打ったことから高次脳機能障害の後遺症が残った。そのため過去の記憶が抜け落ちたり、新たな情報を覚えにくかったりする「記憶障害」を抱えている。

 実家に戻っても、「ここが実家?ここだっけ?って感じでした」。どこで生まれ、どう育ったのか、記憶はある日を境に途切れている。母・栄子さんは「親の存在が記憶にない。弟も記憶にない。どういう状況だった?って聞いても、記憶がないから、こっちは何のしようがない」と話す。

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 そんな中、2人の友達の事は記憶に残っていた。「昔の事が分からないとは言うけど、本当に障害あるんですかっておれは思うんだけどね。」「最初は絶対悪ふざけして言ってるだろうくらいにしか思ってなかった」と友人。記憶にはムラがあるため、周囲にはなかなか理解されにくいのだ。友人と学生時代の写真を眺め、「だれこれ?同級?覚えてない。忘れたくなかった事も忘れていると思うんで、いいことも悪いことも含めて思い出したいなっていうのはあります」。

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 「高次脳機能障害」がある人を対象にした調査では、職場復帰を果たした人は1割未満にとどまることがわかっている。瀧本さんも、事故から1カ月後には勤務先のコンピューター関係の会社を辞めざるを得なくなった。「職場も前のイメージがあるから、“いいですよ、ケガして大変だから、リハビリして元通りになって戻ってきてください”って言う。戻れりゃ苦労しないんだけど…」。

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 日本でも数少ない「高次脳機能障害」専門クリニック・はしもとクリニック経堂の橋本圭司院長は、こうした「見えない障害」に対する社会の理解が不足していると指摘する。「自分はこんなに大変なのに、“気にしなくていいですよ”といった医療者とか専門家の何気ない一言にもすごく傷ついてしまい、PTSD心的外傷ストレス障害になってしまう人もいる」。

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 失業してからおよそ5年半、瀧本さんは障害者雇用枠で大手広告代理店・電通九州(福岡市)に採用され、ようやく仕事に就くことができた。今は人事部で社員の勤怠管理を担当している。

 ちょっとした会話でも、全てパソコンやスマートフォンに記録する。先輩の呉貴文さんらは、瀧本さんの記憶をサポートしようと可能な限りサポートしている。徐々に仕事に慣れ、重要な仕事を任せられるようになってきた瀧本さん。「必要とされているのを感じている。毎日充実しています。忙しいけど生きている感は違う」と語った。

■苦しみの中、フルマラソンのスタートラインに立つ

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 当初、高次脳機能障害になったという実感はなかったという深町さん。救急搬送から2カ月後には退院し、会社員の夫、高2の息子と中1の娘との日常が戻っていた。

 ところが次第に、自身が変わってしまったことを実感するようになる。「迷路みたいでどこ歩いていいか分からん。人に当たってもいかんし、とまどってしまう」。以前は料理が好きだった深町さんだったが。スーパーでの買い物さえ苦痛に感じるようになったのだ。ランニングを再開するも、「なんやろう。朝は大体いつもこう。この広い空間で、焦点が定まらない。何を見ようとしているのか分からないと、脳が迷ってしまっている感じ」と顔をしかめ、頭を抱える。

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 運動を諦めて、自宅に帰ろうとしても、「あれ?こっちやなかったっけね。ちょっと待って」「こっちよね。今大濠公園でしょう。私どこにいるんかな」。これまで幾度となく通ってきた交差点だが、自分が今どこにいるのかが分からなくなってしまうのだ。さらに、電柱にぶつかってしまった。「まっすぐ見とったのに…。分からん」。視界の左側がうまく認識できなくなったため、普通に歩くこともままならない。

 「当たり前のことができなくなっていく。自分がなくなっていく感じ…」。これまでできていたことができなくなり、不安と苛立ちが募る。家の中でも、「イライラする。血圧上がる」と、息子の悠太さんに当たってしまう。しかし外見上は以前と変わらないため、家族は接し方に戸惑っていた。「励まそうとしても、この励まし方じゃ傷つけるかもしれないと思って。いろんなことを考えすぎて、思ったことを言えない。言葉を探しても、どう伝えていいか分からない」(娘の彩乃さん)

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 「菜の花マラソン、ゴールできますように」。後遺症に悩みながらも、深町さんは1つの目標を立てていた。フルマラソンの完走だ。発症から半年。新年を迎えた深町さんは、夫と神社に初詣に出かけた。「ちゃんと不自由さと付き合っていけますように力を貸してください」。

 しかしある朝突然、深町さんから番組ディレクターの元にメッセージが送られてきた。「キツイです」「自分のことなのに、なーんにもわからん」「情けない」。

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一体、何があったのか。ディレクターが駆けつけると、自宅にこもりがちになっていたという深町さんが、「きつい…」と泣き崩れた。前日、病院の待合室で突然強い吐き気と頭痛に襲われたという。「毎朝、起きてから見え方が違う。調子いい時は調子いいんだけど、悪い時はすごい悪いし、きつくて、これいつまで続くんかなって思ったらきつい。こんなこと言っちゃいかんけど、台所で包丁とか見てたら死にたくなる。飛び降りたくなったりね…。きつい」。フルマラソン完走を目指す大会は5日後に迫っていた。

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 それでも明るさを取り戻し、1月12日には、サポートしてくれる友人とともに、完走を目標としてきたフルマラソンのスタートラインに立った。「脳出血になって良かった、とは思わないけど、脳出血になったからこそ、時間の使い方とか、当たり前のことが当たり前じゃないということとか、私には頼れる人がもっとまわりにいるとか、優等生にならなくても弱音を吐いてもいいんだとか、やりたいと思ったらやれるんだとか、そういうことを思いながら走りました」。

(九州朝日放送制作 テレメンタリー『一命を取りとめた後に~見えない障害と向き合う~』より)

一命を取りとめた後に~見えない障害と向き合う~
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