2月29日にシンガポールで開催されたONE Championship「ONE:KING OF THE JUNGLE」。大規模な総合格闘技の大会では異例ともいえる無観客試合も話題になったが、この大会でアジアの女子格闘技をリードするスタンプ・フェアテックス(タイ)が、ジャネット・トッド(アメリカ)に判定で敗れるという大波乱が起きた。タイ本国では衝撃と共に伝えられた女王・スタンプの敗戦だが、その敗因をひとり冷静に分析していたのが那須川天心だった。
キックボクシング、ムエタイ、総合格闘技の3つの種目で無敗だったスタンプは、戦う度に格闘技の歴史を塗り替えてきた。キック・ムエタイの分野では紛れもなくトップランナー、総合格闘技については世界にさらなる上がいるものの、目まぐるしく主役が入れ替わる女子格闘技の世界で数少ない盤石の強さをキープしてきた優等生的な存在だ。
すでにキックボクシング、ムエタイのONEアトム級2冠を達成。近年は総合格闘技にも進出し、アンジェラ・リー(シンガポール)が保持するタイトル戦線まであと一歩とも言われてきた。そんなスーパースターが、本職のキックボクシングで敗れた衝撃は大きい。
スタンプは今回敗れたトッドと昨年2月にも対戦している。この試合でもトッドに苦戦したが辛くも判定で勝利。どちらが勝っても不思議ではない判定だっただけに、34歳の挑戦者は悔しさをバネに、リベンジに向け周到な“スタンプ対策”を携えてこの試合に臨んだ。
1ラウンド。フットワークを使いながらパンチやローと手数を重視したトッドに対し、スタンプは一発一発の打撃に重さがある。那須川は、トッドの距離感の良さについて指摘し「トッド選手が若干手足が長いので(距離)有利かもしれない」と序盤から戦いの行方を予想した。
2ラウンドも「手数のトッド」と「パワーのスタンプ」という攻防は続くが、ここで那須川は「スタンプ選手は一発を狙いすぎている。手数を取るジャッジならこの試合は判らない」と話した。ケージを広く使いながら、うまく手数を稼ぐトッド有利で試合は進行する。
3ラウンドもスタンプの打撃は当たらない。一方、広いケージを味方につけたトッドが、前蹴りやローキックなど自身の距離を活かしながらポイントを稼ぐ。3ラウンド終了間際にはトッドの強烈なボディにスタンプが顔をしかめる場面も見られた。フルラウンドを見据えてか、トッドは攻め過ぎることなく淡々と程良い距離を保ち続けた。
精細を欠くスタンプについて那須川が「無観客試合という環境も影響しているのでは?」という一つの異変を指摘した。試合中、小躍りするように観客の盛り上げながら試合をするスタンプにとって、無観客という異質な環境も少なからず影響しているという読みだ。
そして4ラウンド、ローキックを軸にスタンプが打開を試みるが、パンチが当たらない状況は変わらない。すると最終ラウンド、那須川が「KOしない限りスタンプの勝利はない」と断言。すでに十分なポイントを稼いだと判断したトッドがアウトボクシングに徹しながら5ラウンドを闘い終えた。ジャッジは2-1でトッドに挙げ、新女王が誕生した。
実はスタンプの敗戦に関連して、5ラウンド前半には那須川がもう一つの異変を指摘している。それはキック、ムエタイ、MMAの3種目に挑戦するスタンプならではの問題点だ。
「MMAをやると筋肉の質が違うので(スタンプ選手は)スピードが落ちた印象があります。(打撃が)パワー系に寄ってしまいますし、女性の選手はスピードがあった方がいいと思います」
筋肉の質の変化など体に現れる変化については、短期間ながらRIZINのリングで一時MMAに挑戦した那須川ならではの経験に基づいた貴重な証言だ。試合の序盤から那須川は何度か「スタンプはパンチが読まれている」「打撃が単発で終わっている」などスピード面での能力低下を指摘し、そのことを早い時点で感じとっていたようだ。
今回のキックボクシングのONEアトム級タイトル陥落により、スタンプ・フェアテックスのキック、ムエタイ、MMAの3冠への道は1歩後退することになった。敗戦後、ファンに謝罪したスタンプは、早くもトッドからのタイトル奪還を約束。那須川の見立てどおりMMA対応で変化した肉体を再びキックやムエタイ対応に戻すのか、それとも心身ともにさらなる世界へと踏み込むのか? 敗れてなお、スタンプは誰も到達していない格闘技の未開の道を歩み続ける。