人口6万人ほどの青森県十和田市。街のメインストリート・官庁街通りは「日本の道100選」に選ばれており、春になると、美しい桜並木が続く。「この美しい街並み、あと40回(年)ぐらいは見たいなと思います」。そう語るのが、この街に惹かれ5年前にやってきた、水野隆史さん(64)。十和田市立中央病院で働く総合内科医だ。
一見ベテラン見えるが、実は還暦で医師免許を取得した異色のドクター。11歳年下の指導医に教えられる側。同僚の若い研修医は「教授みたいな人が1個上なんだっていう印象でしたね」と笑う。それを聞いた水野さんは「同級生は平成元年生まれだったな」。看護師たちからも「いじられキャラではありますね。お年もお年なので、若干忘れやすい所があり、スタッフに時々突っ込まれながらも頑張っていると思います」。少しおっとりしたキャラクターで、病院の人気者だ。
水野さんが2年前から力を入れているのが訪問診療。この日は、歩行が困難になる難病を患う赤崎キヨエさんの自宅を訪問した。「先生来るの楽しみで。先生来るって話したら喜んで」と話す夫・栄次さん。キヨエさんに「うれしいな。ご飯食べていますね。はい、胸の音も良いですよ、はい、健康な音。じゃ、キヨエさん、起き上がれるように頑張りましょうね」と微笑みながら聴診器を当てていた。
■面接官「何年間働けると思っているんですか」
兵庫県生まれ・福井県育ちの水野さんは東京大学農学部を卒業後、55歳まで農林水産省で官僚として働いていた。「役人をやっている時は、一生懸命に徹夜して何かをしても、直接の対象となる農家の方々から罵倒されることはあっても、お礼を言われることはなかなか無いんですよ」と振り返る。
そんな日々の中で偶然目にした「51歳、主婦からの転身決意」という見出しの新聞記事。宮城県に住む女性が62歳で医師免許を取得したことを知り、衝撃を受けた。「そんなことができるんだっていうことを知ったんですよね。医療であれば患者さんと接して、手応えもあるし、直接感謝されるし。そういう世界はやっぱり素晴らしいかもしれないと。何としてもこの世界に飛び込んでみようと」。
反対されるのではないか、そうと思いながら「医師になりたい」との思いを妻・薫子さんに打ち明けた。「簡単になれると思っちゃったんですよね。私は物事を簡単に何でもできるというそういう思想があってね、もう簡単に“やればいいんじゃない?”って」(薫子さん)
仕事のかたわら、50歳にして一念発起。医学部受験を目指し猛勉強の日々が始まった。だが、筆記試験が通っても面接試験で大きな壁が立ちはだかった。「年齢」だ。
とある面接試験でのこと。試験官から、こんな言葉をぶつけられた。「医者になってから、一体何年間働けると思っているんですか、あなたが医者になることによって、若い人の芽を摘むことになるんじゃないですかと。私のことを思って言ってくれたのだとは思うんですが…」。それでも挑戦を続け、5年間で延べ50もの大学を受験。55歳にして金沢大学医学部に合格。そして2015年、還暦にして念願の医師免許を取得した。
だが、膨大な知識と体力が必要な医師という職業は、60歳を超えた水野さんには思った以上に厳しいものだった。
■「高齢者のことが想像できるのが強みかな」
それでも、自分だからこそできることを見つけた。訪問診療だ。「訪問診療の対象となるような人は、だいたいかなり高齢の人がですよね。相手の身になって考えて、こういうふうにして欲しいんだろうな、みたいなことは想像できるので、そういう所は唯一の強みかなと思っています」。
水野さんの訪問診療を受けた女性患者は「先生とこうやって握手すれば死にたくなくなる」と笑顔を見せる。実際、訪問診療が必要な患者の9割以上が高齢者だ。「何日くらい生きるんですか?」と聞かれた水野さん「まだまだですね、まだまだ生きられますね。非常に心臓の音も良かったし、肺の音も良かったから。大丈夫ですよ」と応じる。しかし患者からは「まだ、死ねないんですか?早いほうがいい」と弱音も。水野さんは「まだまだ、ご家族もいるし、頑張って」と発することしかできない。時に無力さを感じながらも、訪問診療を続けてきた。
「たとえば救急車で運ばれて来る人を見ると、もうなんでここまで我慢したのっていう人も多いんですよね。これからどんどん高齢化が進んでいく中で、(訪問診療は)いずれ、日本、全国でやっぱり必要になってくるようなことだと思うので、これからも重要だというふうに思っています」。
■「やっぱり若者には勝てない所がある」
地域の中核病院となっている十和田市立中央病院には、さまざまな患者が運ばれて来る。十和田市を含む上十三地域は、人口10万人に対し医師数が124人。これは全国344ある区域の中で320位だ。医師不足は十和田市立中央病院も例外ではなく、内科医の水野さんも救急対応に当たることがある。
この日は、刃物で切り付けられた女性が緊急搬送されてきた。院内に張り詰めた空気が流れる。「やっぱり焦りますよね。急いで対応しないと命の危険が迫るような。一瞬、そういう人が来ると緊張します」。
若手の医師に電話をして、対応を依頼した。そんなとき、年齢の壁を感じるようだ。「やっぱり若者には勝てない所があるな、ということを実感したんですよね。ちょっとはできなきゃいけないんでしょうけど、外科的な手技は今も得意ではないし」。
休日も勉強三昧の水野さんは、経験不足を少しでも補おうと、医学書を読む。一段落すると家を出て、病院へ向かう。研修医時代から続けている休日回診だ。
努力を続ける異色のドクターは、高校時代の同級生たちにも希望を与えている。
「我々がのほほんとしていて、彼が働いているというのは、何かやっぱり刺激になる」「ヒーロですよ!試験で“若い優秀な人材たちの(働く)機会を奪っていることをどう思いますか”みたいに言われた時にはショックを受けたと言っていたが、“励みにして80歳以上まで生きていくので大丈夫です”と言ったというのは、身につまされるじゃないですか」。
■あの新聞記事の女性と感激の対面
十和田市にやって来て4年。64歳となった水野さんは人生の転機を迎えようとしていた。公立病院である十和田市立中央病院は65歳が定年。医師となって、わずか5年で進路を決めなければならない。
桜並木を眺めながら「本当にすぐ散ってしまうんで、今のうちに見ておかないという感じですね。あと、何回この桜を見られるんだろうという感じ。いつも感慨深く思います」。満開の桜の下を歩く水野さんの背中は少し、寂しそうだった。
「恋人に会いにいくような感じですね」、この日、水野さんは憧れの人に会いに行くため、宮城県仙台市に向かっていた。その相手は、安積雅子医師(81)。水野さんが医師になるきっかけとなった、あの新聞記事の女性だ。現在は仙台富沢病院で内科医として働いている安積医師に会えた感激を語る水野さんに、安積さんも「私も本当に感激致しまして。よくぞ目指されたと思って嬉しく思います」。
目標にして来た憧れの安積医師の患者と接する姿を目の当たりにした水野さん。「来て良かった。若いですよね、81歳には見えない。ああいうふうに若々しく居たいと思いました。もっと頑張んなきゃいかんというのは実感しましたよ。まだまだ。目標にすべき人ですね、やっぱり。これから病院帰って仕事したいくらい」。
■「最後までなんとか力を尽くしていきたい」
10月、水野さんは今後を決める大切な面談に臨んだ。院長はこんな条件を提示した。「任期付の任用制度では、今の規定だと5年までOKなんだよ。70歳まで同じ条件で雇用は可能だというのがあって、これがいいなというふうに思っている」。そして最後にこうも付け加えた。「先生は100まで頑張るんだけどさ」。
病院は水野先生の力を必要としていたのだ。そして、こだわり続けてきた訪問診療についても、在宅の診療所をまとめてほしい要望された。育ててもらった病院で大好きなこの街で患者のために定年後も働くことを決めた。
「これからも老骨にムチ打って頑張っていきたいと思っています。やっぱり人と人との出会いですから、最後までなんとか力を尽くしていきたいなと。大げさに言えば十和田で骨を埋めたいという感じにまで思っている」。
2年前から訪問診療を続けて来た赤崎キヨエさんは話すことができなくなり、笑うことも少なくなっていた。それでも、水野さんが訪問すると優しく微笑む。医師・水野隆史(64)。還暦で歩み始めた医師の道は続く。