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(自らの代名詞でもあるビーナスシュートで勝利した藤本)

 4月25日の道場マッチ無観客配信大会から、アイスリボンのインターネット王座「IW19」の新王者を決めるトーナメントがスタートした。行なわれたのは1回戦のうち2試合。トトロさつきがテクラに、つくしが宮城もちに勝利している。

 この日はもう1試合、タッグマッチも組まれた。藤本つかさ&世羅りさのトップ選手タッグvs星ハム子&松屋うの。藤本とハム子はトーナメント1回戦で闘うため、これが前哨戦でもある。

 藤本、世羅、ハム子はトップ戦線での経験が豊富。うのは“中堅”から脱すべく必死になっている状況だ。そんな4人のタッグマッチだけに、トーナメントに負けない充実した試合内容に。ハム子のパワー、うのは柔術ベースの関節技。対する藤本と世羅はコンビネーションで上回った。

 丸め込みで追い込まれる場面もあった藤本だが、最後は得意技でたたみかけ、ビーナスシュートを決めて勝利。アイスリボンらしい、楽しさと激しさとアイディアが詰まった一戦だった。

 この4月25日は、藤本にとって大きな意味をもつものだった。もともと、彼女の地元である宮城県利府町での興行が予定されていたのだ。これまで仙台での大会はあったが「リアル地元」では初開催だった。しかし、そんな大事な大会が新型コロナウィルス感染拡大の影響で延期に。代替日程はまだ決まっていない。勝って笑顔を見せた藤本だが、試合後の勝利者インタビューでは涙も。

「今頃は利府大会が終わって、家族でひと息ついてたのかなって思うと悔しくて、気持ちを戻すのが難しくて……でも今日、試合があってよかった」

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(IW19初代王者のつくしは1回戦突破。王座復活への思いが強すぎ自作ベルトを持参)

世羅によると、試合前も「どうしよう、(利府大会のことを)思い出してきちゃった」と泣いていたそうだ。

 藤本は故郷に強い愛着を持っている。大学は東北福祉大。就職した会社の配置で東京に来るまでは宮城を出る気はなかった。2011年3月、東日本大震災直後の後楽園ホール大会ではメインを張り「宮城出身の私だからできる役割がある」と決意を語った。実際、その後アイスリボンは藤本が先頭に立って「被災地キャラバン」を実施している。

 そして今また、団体の取締役になった藤本に地元への思いを募らせる出来事が起きた。どうしようもなく悔しいが、しかしプロレスラーには泣く以外のこともできる。それが試合だ。全力で試合して、勝てば笑える。その笑顔はPCやスマホで見ているファンにも広がる。

 IW19王座が封印される前の最後の王者は藤本だ。ベルト創設は2011年3月。藤本にとって、このベルトは震災の記憶とともにある。

「被災地キャラバンにもベルトを持っていったり。助けてもらったベルトです。今回もこのベルトに助けてもらうことになる」

 インターネット配信用王座は、アイスリボンの独創性の表れであり、窮地に立ち向かうたくましさの象徴でもある。

「無観客試合は、今できる最大限のプロレスの形。どんな生き様でもいいんです。カッコいいとか悪いとかじゃなく、とにかくみんなに生きていてほしい、あきらめないでほしい」

 カメラに、つまりファンにそう語りかけた藤本。それは震災直後の後楽園での「私は絶対にあきらめません。今日、見に来てくれたみなさん、生きていてくれてありがとう。お父さんお母さん、生きていてくれてありがとう」というマイクと響き合う。やはりプロレスは“不要不急”ではない。

文/橋本宗洋

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