歌舞伎町にあるキャバレー「ロータリー」。東京に残る、最後の大型店だ。支配人は“キャバレー一筋62年”の吉田康博さん(82)。しかし、時代の流れには抗えなかった。53年続いたロータリーの“最後の1日”を追った。
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■美輪明宏、北島三郎も…高度経済成長期に花開いたキャバレー文化
戦後、復員兵が遊んだキャバレーは高度経済成長に入ると大型店が乱立。歌舞伎町にも旧コマ劇場の周辺だけで、8軒がひしめいていたという。
1階にゲームセンターが入るビルを指差し「新宿のここ!体育館みたいな。ホステス入れて、全部で1000人ぐらい入りましたから。テレビ界をにぎわしたスターは、鶴田浩二と美空ひばり以外は全部ここに入りましたよ。和田アキ子さん?入ったよ!北島三郎なんてショーで出てきたら、もう、音響なんて、ギャギャギャギャーン!ダンダン!バンドでも18人編成でカーッとタクト振って。バババーン!って」
往時の賑わいを身振り手振りで説明する吉田さん。その言葉通り、当時のパンフレットには、美輪明宏に尾崎紀世彦、研ナオコ、いしだあゆみ、布施明など、錚々たる名前が並ぶ。
そして、歌舞伎町のど真ん中にある「風林会館」の6階で営業を続けてきたのが、ロータリーだ。230坪の店内には、200人の客を収容できる。在籍するホステスは約80人。売上ナンバーワンのホステス・志麻さんは72歳。和歌山から上京し、もう半世紀近くもキャバレーで働いている。客の一人は「俺は前身の『ニュージャパン』から志麻っていうおばさんを32年、指名しているわけだから。皆“おばあちゃん”って言うけど、32年前は32コ若かったわけだから。可愛らしかったんだよ!」と笑う。
オープンは高度経済成長真っただ中の1968年。当時の写真には、多くの人で賑わい、ホステスが足りなくなるほど盛況だった様子が収められている。「高速道路とか、どんどんつくったでしょ。生活が豊かになるのを感じていただから、私にとっては中年の青春の思い出です」と振り返る客もいる。
大学進学のために北九州から上京するも喧嘩で中退し、20歳でこの世界に入った吉田さん。それから28店舗を渡り歩き、22年前、最後にたどり着いたのが、このロータリーだった。風林会館を見上げながら「ここでマネージャーしたいなというようなお店だよ。そこにいないと味わえない雰囲気というものを、皆が作り上げていた」とつぶやく。そして、「ヨソの店に行ってホステスを引き抜いて、自分の店に連れてきて仕事をさせる。バレたらトラブルになりますよ。そうしたら自分の事務所に連れてきて、これでもかとボコボコにして。俺はこういう奴だよ、というのを相手に納得させたら、後はやりたい放題」と武勇伝も。
■“時代の最先端”から“昭和を感じられる店”に
吉田さんの仕事部屋には、壁一面にホステスの写真が貼られていた。「これだけの女の子のドラマを演出した部分もあるんですよね。泣いた子もいるし、自殺した子もいるし。病死した子もいるし。彼と別れて、子ども連れて田舎に帰っていった女性もいるし…」そんな吉田さん自身、夜の世界で働きながら、3人の子どもを育てあげた。今は5人の孫の祖父でもある。
歌舞伎町で62年。いつしか、“町の名物オヤジ”になっていた吉田さん。歌舞伎町を歩いていると、吉田さんのことを知る外国人から「あっ!パパ!」と声をかけられる。そんな呼びかけにも、「おーい」と気さくに応じる。受付で「いらっしゃいませ!」と威勢よく声をかければ、客からは「年とったねぇ!」と冗談が飛ぶ。
だが、時代の最先端だったロータリーも、やがて“昭和を感じられる店”へと変わっていった。少しでも客を呼び戻そうと吉田自ら仮装しカードを配って店内を歩くビンゴ大会を始めた。売り上げはそれでも戻らなかった。そして今年2月、ついに閉店することとなった。
「もう60年もやったもの。2月28日までの営業です。辞めちゃいます」。あっけらかんと話すが、日記には苦悩の跡も滲んでいた。
「ロータリーの営業を、どのような方法で続けるか…いまだに、結論が出ない」
「店を閉めるか…続けるか。私も年だしね…」
「ロータリーの資金が無くなる。これが最後の、ロータリーのオールミーティング。女性達に店を閉めますと発表。申し訳ない」
客のいなくなった店内を見回し、「いい店だけどね。もうこの店とも、お別れだ。寂しいけど仕方ないね」。
■音楽の世界を目指して公務員を辞めて上京 以来、キャバレーに14年
「やっぱ焦るよね。若ければどこでも行けるけど、ある年齢を超えちゃうと、箱がもう無いから」と本音を漏らすホステス。吉田さんが「申し訳ないね。どうするつもり?変なところにいくと、ヤクザが多いしね」と閉店を切り出すと、「お力になれずに…。これからのことは、まだ、考えてないんです」と申し訳無さそうに話すホステス。
一方、「すっごい嫌な言い方したら、“間引き”するべきだったと思う。そこは吉田さんが甘い。甘すぎる。仕事のできないホステスをもっとバンバン切ればいいのに。切れなかったんでしょ?」と詰め寄るホステスも。「力のある子だけ残せばね。それは分かってたんだけどね」と困った様子の吉田さん。
そんなロータリーについて、「“大箱”って、学校みたいな、雰囲気があるんですよね。結構面白いですよ」と語るのが蓮だ。島根県松江市出身で、音楽の世界を目指して公務員を辞め、29歳で上京した。
「何かないかなって夜のバイト情報誌みたいなのを見とったら、“お客様と一緒にお食事を楽しみながら、楽しく飲む”みたいな。とりあえず行ってみるかと思って。で、入った瞬間にうわ!絶対働きたいと思って。生バンドもあるしカッコイイ。昭和のキャバレーみたいなの、何かステキと思って」。
しかし、働き始めた店は2009年に閉店。そして流れ着いたのがロータリーだった。音楽活動は、今も続けている。都内のライブハウスでギター一本で歌い上げる。水商売は都合がいいだけの、アルバイトのはずだった。しかし気がつけば、キャバレーの仕事を初めてから14年が経っていた。閉店を機に、母と祖母が暮らす島根へ帰ることも考えている。
■厨房で、ステージで…ロータリーを支えてきた人たち
店の一番奥にある厨房で働くのは、中村英男さん(64)。結婚は5回、離婚も5回。いまは独りだ。吉田さんとの付き合いは44~45年来だという。19歳の時、時給の良さに惹かれてキャバレーの道へ入った。歌舞伎町を我が物顔で歩くヤクザに憧れたこともあったが、吉田さんが引き留めた。「自分、吉田さんの所にいなければ、多分クスリにも手を出してたと思います。ギャンブルもやってたと思います。懲役も多分行ってたんじゃないかなぁ。それはもう本当に感謝してます」。
ダンサーのNATSUKIは、14年前からロータリーで踊る一番の古株だ。22歳で北海道から上京、デビューは「浅草ロック座」だった。「ストリップ劇場で見て、自分もやってみたいなと思ったのが、キッカケですね。ただ“東京に行くんだ、踊り子になるんだ”って言って上京してきちゃったから。いま考えると、無謀というか無鉄砲というか。もうそろそろ年齢的なことも考えていて、いつまでロータリーでショーさせてもらえるんだろうって、ずっと考えてたから。閉店するってなったのも、ある意味で、いいキッカケ。これで最後になってもいいと思ってます、正直。ロータリーで終われるんだったら。それはそれで、いいかなぁって」。
■最後のステージを終え「会長、ありがとうございました」
踊れる場所が減る中、ロータリーはNATSUKIにとって唯一残されたステージだった。しかし、それも今日がラストダンスとなる。閉店を聞きつけ、店内は満席だ。「青い夜空に煌めく星座。オリオン星座か母恋星か。桐生夏希!オンステージ!」と司会が口上を述べると、大きな羽つきの扇子を手にしたNATSUKIがステージに登場した。時に妖艶に、時にリズミカルに。音楽に合わせてステップを踏みながら舞った。「桐生夏希!桐生夏希!どうも、ありがとうございました!」。
最後のステージを終え、吉田さんの部屋で一人涙を流すNATSUKI。入ってきた吉田さんは、「ありがとうございました。最後まで」とねぎらいながら、背中の汗を拭った。「ただでさえ、化粧が落ちてるのに…。会長、ありがとうございました」。涙をこぼすNATSUKI。「電話ちょうだい。お茶でもしよう」と返す吉田さん。
そしていよいよ53年の歴史に幕を下ろす時が訪れた。ステージ上からの「皆さまも、お疲れ様でございました!是非!皆さま!生き抜きましょうね!」との呼びかけに、客もホステスたちも「ありがとう!!」と答える。涙を流すスタッフ、笑顔で手を振る客。思い思いに楽しんだようだ。杖を手にロータリーを後にしようとしていた高齢の男性客は「もう最後だから来ました。これからの人生、どこでこういうお店を探そうか。多分ないと思いますけど(笑)」
「はぁ~終わったか。ね」「人間ね、男は引き際ですよ。絶対、引き際!男の美学。てな、言っちゃって(笑)」と吉田さん。中村さんも「着ることはもうねぇと思うけどなぁ。まあ、飾っておこう」とベストを畳んで厨房に置いた。
■「キャバレーは人生の中で最大の恋人だよな」
それからほどなくして、店内の清掃、解体が始まった。ホステスたちの写真も次々と剥がされ、往時の面影は、すぐに無くなった。その様子を見た吉田さんは「本当に?へぇ~何にもないじゃん!はぁ~。“兵どもが夢の跡”って、やつですか」。仕事部屋も空になった。
ショーダンサーを引退し、池袋の“肉食系熟女BAR”で働き始めたNATSUKIのように、これからも夜の世界で働く人たちもいる。一方、厨房の中村さんはベストから警備員のユニフォームに着替えた。「似合わないっすよ!。いつか…でも、もう戻れないでしょうね」。ホステスの蓮さんは、ラーメン店で働く。「お疲れ様です!ありがとうございます!」。それぞれ、笑顔はどこか晴れ晴れとしていた。
最後に吉田さんに聞いてみた。「それぐらいキャバレーが好きだってこと?」
「好き!好き!もう、好きじゃなくて、愛し続けたというかな。最大の恋人だよな、人生の中で。いい恋愛をさせてもらったよ、キャバレーという名の付く生き物と。ハハハ!」