「ひき殺されたみたいな形になっているので一般的な交通事故だとは思えなくて」。
「ながらスマホ運転」が原因の事故で、毎年30人あまりが命を落としている。苦悩する遺族の姿を通じて、その実態を考える。
■今も耳に残る、無線機越しに聞こえた妻の悲鳴
「百合ちゃん、来たよ」。雪をかき分け、妻の月命日に墓参りに訪れたのは、新潟県魚沼市の井口貴之さん。妻の百合子さん(当時39歳)は、おととし9月、一緒にツーリングに出かけた帰りの交通事故で亡くなった。
事故が起きたのは、南魚沼市の関越自動車道だった。50歳(当時)の男が運転するワゴン車が百合子さんのバイクに追突した。井口さんは、自分のバイクを路肩に止めて駆け寄った。「肩を叩いて、大丈夫かと仰向けになるように起こしたら、顔がもうひどい状態になっていて…」。
後続車にもはねられた百合子さんは即死だった。耳には、ヘルメットの無線機越しに聞こえきた百合子さんの声が今も残る。「突然、ギャーッていう悲鳴が…」。
男は警察の調べに対し「対向車線を見ていて気が付かなかった」と話したが、警察は事故の4日後、車のドライブレコーダーの映像の中に、不自然な“四角い光”あることを見つける。フロントガラスに反射する、スマートフォンの画面の光が記録されていたのだ。事故の本当の原因は「ながらスマホ運転」だった。男は「スマートフォンでマンガを読んでいました」と供述した。捜査関係者によると、閲覧履歴は事故の数日前に遡って削除されていたという。加害者の男は過失運転致死の罪で逮捕・起訴された。
当時、井口さんと百合子さんは100mの間隔を空け、制限速度の時速80kmで走行していた。自宅まで残り15分のところで、男の車が時速100kmで迫ってきた。男はスマートフォンでマンガを読みながらアクセルを踏み続けており、百合子さんのバイクに気づいたときには、ブレーキを踏む間もなかったという。
「殺されたも同然だと思って、怒りがこみあげてきた。何でそんなことで妻が亡くならなければならなかったんだと。ものすごく安全運転には気を遣う人だったのに…」「正直、憎くて憎くて仕方がない」(井口さん)。
井口さんはモデルの仕事をしていた百合子さんと趣味の写真撮影で出会い、2015年、43歳の時に結婚した。新潟市から移住した百合子さんは、魚沼市内のラジオ局で働きながら、目の不自由な井口さんの父親の面倒も見ていた。井口さんの母親は「娘を持ったことがなかったので嬉しかった。家の中も明るくなって、感謝していた」と振り返る。
■「マンガの続きが読みたいという衝動を抑えきれなかった」
昨年1月、新潟地裁長岡支部で刑事裁判が始まった。運送会社に勤めていた男は事故当日夕方、営業所を出発した後、交通量の少ない道で「ながらスマホ運転」をしていたと証言し、罪を認めた。スマートフォンでマンガを読みはじめたのは事故の3カ月前。最初は自宅で読む程度だったが、次第に「仕事中も読みたい」と思うようになったという。
「事故のとき、なぜここにバイクがいるのだろうと思った。スマートフォンを直視していて全く気が付かなかった」「スマートフォンのことは社会的に結構な問題になっていた。会社もすぐクビになると思い、言う事ができなかった」。
男は被害者参加制度で法廷に立った井口さんに、「マンガがおもしろくて続きが読みたいという衝動を抑えきれなかった」と説明。「一生かけて百合子さんのお墓に手を合わせたい」と遺族に頭を下げた。
8カ月にわたった裁判で、井口さんら遺族は事故後の苦しみを訴え、刑罰は過失運転致死傷罪の最高刑である懲役7年に相当すると意見した。しかし、懲役4年の求刑に対し下されたのは懲役3年の実刑判決。裁判官は「不注意とは一線を画する、悪質な運転」として、当時の「ながらスマホ運転」事故の裁判例の中でも厳しい判決ではあったが、会見で井口さんは「3年で刑務所から出てきて普通の生活に戻ると思うと、“たったの3年”という風に感じています」と、怒りを滲ませた。
検察はこれ以上の刑は難しいとして控訴を見送り、加害者の男も「刑をまっとうしたい」と弁護人に伝えたことから、刑は確定。男は運転免許を取り消され、今も収監されている。会社は解雇されたという。
井口さんは「百合ちゃん、ただいま。やっとひとつ終わったよ。また一緒に頑張ろうね」と仏壇に向かって手を合わせた。「悲惨な事故を1件でも減らせるように、法改正、厳罰化に向けて活動していきたいと思っている」。
■危険性を認識させるための取り組みも
携帯電話が原因の交通事故は年々増加。特に画面を見ながら事故を起こすケースが目立っており、昨年は「ながらスマホ運転」による事故で37人の命が奪われている。国も道路交通法を改正、昨年12月には「ながらスマホ運転」の罰則を強化した。反則金と違反点数は従来の3倍で、事故を起こすなど、交通の危険を生じさせた場合は即座に免許停止になる場合もある。
それでも交通量の多い新潟市中央区の中心部にある交差点で観察してみると1時間に通行した1337台の車のうち、「ながらスマホ」の車が少なくとも13台確認できた。
JAF(日本自動車連盟)による「ながらスマホ運転」の実験監修を務めた愛知工科大学の小塚一宏名誉教授は「まだ危険性への認識が不足している」と強調する。「画面を見たいという意識が非常に強い。なかば中毒的になっているケースもある」。
「ながらスマホ運転」の撲滅に取り組む運送会社が提供した映像には、ドライバーがスマートフォンでSNSを利用しながら運転する様子が記録されていた。手元と前方を交互に見ながら運転しているものの、衝突回避のアラームが鳴るまで前のトラックに気付かず追突した。実際、携帯電話が原因の交通事故の8割は前方への「追突」で「前を見ているから大丈夫だろう」というドライバーの誤った認識が関係している。
「視界に入っても脳で認識できないから結果的に見えてない。周辺の交通環境を見えていない、認識できていないから重大な事故につながる」(小塚教授)。
一方、「ながらスマホ運転」の危険性を認識させ、抑止につなげようという取り組みも始まっている。
大阪府にある大阪香里自動車教習所では職業運転手を対象にした体験講習が行われており、ドライバーが「ながらスマホ運転」をしながら指導員の合図でブレーキを踏み、車の停止距離を測定してみると、停止距離が通常の1.5倍も長くなることがわかる。こうした講習は、企業からの依頼で年間20件ほどあり、増加傾向にあるという。「(事故を起こした場合の)社会的反響が大きいので、企業としては名前が出ること自体を嫌がるし、社員を守るという観点もある」と語った(大阪香里自動車教習所の岸良昭さん)。
■今も償いの形がみえないまま…
昨年9月、百合子さんが亡くなって1年。井口さんは警察の協力を得て、事故が起きた場所へと向かった。「本当に亡くなったのか、自分の中でも整理がついていない状態」。
「ながらスマホ運転」撲滅に向け活動を進めたいという思うがある一方、今も妻の死を受け入れられない苦しみも抱えている。夫婦の共通の趣味だったツーリング。しかし事故後、バイクで出かけることもなくなった。「グチャグチャのバイクの様子を思い出すと、関連して妻が横たわっている状況も思い出してしまう」。
事故のショックから自宅にひきこもるようになり、点滴とカウンセリングが欠かせない。「一緒に暮らした家にいると、百合子の色んな思い出を思い出してしまうので、今までのようには生活ができなくなっている」。
井口さんはその自宅に加害者が勤めていた会社の上司を呼んだ。判決後も加害者からの謝罪が無いことや、生活の苦しさを伝えたが「今後は弁護士とやり取りをしてほしい」と言われてしまった。「なんにも悪いと思っている雰囲気はないし、精神的にも肉体的にも疲れ切って、どうやって生きていけばいいんだろう」。
償いの形がみえないまま、「事故の光景」と「妻の面影」が残る場所で生活を続けていくことは難しいと感じ、今年3月には実家を離れ、新潟市で1人暮らしを始めた。仕事も辞め、生活の見通しが立たたない中、自分の居場所を模索する日々。「同じような経験をする人が1人でも減ってもらえればと思う。被害者も加害者も両方苦しむことになるので、ながらスマホ運転はやめてもらいたい」。(新潟テレビ21制作 テレメンタリー『一瞬の代償~"ながらスマホ"に奪われた命~』より)