僕は格闘技が好きだ。僕には格闘技が必要だ。ただ僕は格闘技業界に絶望している。言葉の意味の通り。望みがないんだ。
新型コロナウイルス感染症拡大の影響で諸々の問題が顕在化しただけなのかもしれない。それにしても見ていて辛いことが多いし、見苦しいことはしたくないものだと、自分自身に言い聞かせるような日々を過ごしていたように思う。今もそれは変わらない。ずっと苦しんでいるし、ずっと怒っている。とにかく何かエネルギーを溜め込んでいることは確かで、それを成仏させる場所がないのだろう。
僕は緊急事態宣言の中で試合もした。リスクをとった判断だったからこそ、人が見えた。あのときに協力してくれた方々には感謝しているし、誇りに思ってほしいし、今後も手をとりあってやっていきたいと思う。
綺麗ごとと正論を並べてリスクを背負わず、美味しいところだけ取ろうとした人間はうんこ食ってろと切に願う。コロナで人がよく見えたんだと思う。最大の収穫だ。
国内最大MMA団体のクラウドファンディング、選手の与えられた試合をするだけの姿勢、RISEの那須川天心が1人で成立させる凄み、武尊のK-1の座長としての責任感。格闘技業界の甘えられるところに甘える悪しき習慣が存分に発揮されたように思って見ていた。
ごっちゃん体質なんて言うけれど、長くは続かないし、そんなことは日本格闘技の歴史が証明しているだろう。
その中で那須川天心や武尊の格闘技に献身する姿勢はズバ抜けているし、頭が下がる。彼らの凄さをどれだけの人が分かっているのかは疑問だけれど。
まあね。きた試合をして、貰うもん貰って帰る。それが一番賢い。条件が下がって、試合以外に抱え込んで、頑張っていく。これって貧乏くじなんでしょう。
そんなことはわかっている。損得でもなければ理屈でもない。自分の存在価値であり、主義主張を貫くために闘いたいと思っている。葛藤はあるけども、時代とケンカしていきたいから。
いつだってそうしてきたように青木真也の行き先は自分で無理くりにでも動かしていく。青木真也が誇れることは勝利の数でもベルトでもない。自分のハンドルを手放さなかったことと、何があっても自分の想いで這い上がってきたことだ。青木真也は青木真也を今回も貫き通すのでしょう。今までそうしてきたように。
というわけで試合します。この試合を作ろうって気持ちが嬉しい。それに応えたい。大会名も相手も知らないけど青木真也の試合は「青木ファミリーファイト」だ。今回の試合を成立させようと動いてくれる裏方の「ファイター」や青木の試合を欲するファンには感謝しかない。ここから大会まで思いっきり迷惑をかけるから、ふり回されて、裏切られて、喜怒哀楽を存分に出して皆でやっていこう。おれたちはファミリーだ。
格闘技が必要ならば残るから心配はしていない。真に必要ならば真の美が生まれる。坂口安吾もそんなことを書いていた。大丈夫だ。おれたちはできる。行こうその先へ。
文/青木真也