15日深夜、『カンニング竹山の土曜The NIGHT』(ABEMA)が放送され、俳優の宝田明が、第二次世界大戦で消滅をした満州国がどのような国だったのかを語った。
この日は「8/15終戦記念日 特別企画 宝田明(86)壮絶戦闘体験」と題して、俳優の宝田をゲストに招き、戦争時代のエピソードを聞いた。
竹山は満州と言う言葉は知っているものの「どのような街かを知らない」と、実際に満州に住んでいた宝田に実態について質問。宝田によると、満州には満州民族、漢民族、蒙古民族、朝鮮民族、日本民族の5つの民族が住んでおり、「五族協和」という「5つの民族が手を携えて、仲良くアジアを作っていこう」といった理念があったという。
▶映像:俳優・宝田明が明かす満州での学校生活「日本の内地と同じような教科書で…」(26分頃~)
宝田の父が務めていた満州鉄道の社宅には、中国人以外にもロシア革命で難民となった白系ロシアの子どももいたそうで「ロシア語を使ったり中国語を使ったりしてますから、どちらかというと僕らは小さいときから国際人というかコスモポリタンだったわけです」と説明。
そこでは宝田が中国語やロシア語で話せば、相手も片言の日本語で返してくれたそうで「言葉という文化がクロスオーバーしていた」と振り返った。
学校も台湾や朝鮮と異なり、強制的に日本の教育を受けさせることはなかったそうで、竹山が「平和だった?」と問いかけると、宝田は学校はもちろん医療施設も充実していたと、当時の繁栄ぶりについて解説。
しかし「ソ連がドッと入ってきてしまったために、ハルピンに住んでいた人、あるいは満州の北のほうに住んでいた人たちはめちゃくちゃな生活を強いられるようになってくるわけです」と、戦後の生活の激変ぶりについても語っていた。