元Whiteberry前田有嬉、地獄の7年間…解散後のソロライブは観客5人
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 過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験を教えてくれる『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)。

【映像】元ホワイトベリー前田有嬉、番組ラストの「夏祭り」胸アツ歌唱シーン(29分ごろ~)

 ABEMAビデオでは、今回珠玉の授業を振り返る『しくじりクラシック』を配信。元Whiteberryの前田有嬉が“自由に憧れて消えちゃった先生”として登壇し、2015年に“神回”と大反響を呼んだ授業を改めてお届けした(※番組は2015年7月に放送したもの)。

 1999年にメジャーデビューし、2004年に解散したWhiteberry。当時、周囲の大人たちに反抗的だった前田は、解散時は「やっと自由になれる!」と解放感でいっぱいだった。

 自由を手にした前田は、北海道の北見市から上京し、音楽活動を開始。しかし、ソロライブに来た観客は驚くほど少なく、300人規模の会場にわずか5人のみ。「自分を試したい」という挑戦心からWhiteberryの名前を伏せた結果だった。

元Whiteberry前田有嬉、地獄の7年間…解散後のソロライブは観客5人
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 前田は、このしくじりの原因を「自由という言葉に酔いしれちゃった」と自己分析。実はWhiteberry解散の際にレコード会社からソロデビューの話があったが「またビジネスにされる」と考え、断っていたという。「私は”夏祭りから自由になって空に消えていっちゃった先生”なんです」と歌詞をもじり、笑いを誘った。

 その後、高円寺の家賃5万円のアパートに住み、ガソリンスタンドやスーパーなどでアルバイトをしながらの生活が始まった。下積み期間がなかったことは前田のコンプレックスであり、ライブとバイトの両立に憧れがあったという。住む場所にもこだわり「自由に憧れる人はだいたい高円寺です」と、ここでも自由への憧れが反映されていると明かした。

 しかし現実は厳しく、自由になった途端、ロック、パンク、フォークと音楽ジャンルに迷いが生じ、音楽が好きではなくなるほどつらい7年を過ごしたという。また「5日間誰ともしゃべらない」「チャラチャラした大学生にイラつく」「夜中に部屋を飛び出して自転車を立ち漕ぎ」など、精神的に余裕がなくなっていた当時を振り返り、出演者らを驚かせた。

(「しくじり先生 俺みたいになるな!!」より)

(※番組は2015年7月に放送)

【映像】元ホワイトベリー前田有嬉 名曲「夏祭り」を封印…迷いと葛藤の7年間
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【まとめて観る】しくじり先生 俺みたいになるな!!
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