「自分がかかるのは仕方ないと思うけど、子どもにうつったらどうしよう」“第2波”に襲われた札幌の医療機関では…
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 「院内で感染が広がりまして、このまま病院にいるのであれば家に帰れないということになったんですね。自分もかかったほうが楽になるんじゃないかという考えが一瞬頭をよぎったんですよね。」

 人口10万人あたりの新型コロナウイルス感染者数は全国トップが続いていた北海道。介護施設での集団感染などで高齢者の患者が多く、病院ではこれまでにない感染対策に加え、介護ケアも必要となった。自らも感染する恐怖、足りない医療物資、そして、言われなき差別…それでもいのちを守るため、いのちと向き合う医療従事者の覚悟とは。(北海道テレビ放送制作 テレメンタリーたたかう 生命の守り人』より)

■ゴミ袋で作った“防護服“、クリアファイルで作った“フェイスシールド”

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 臨時で作られた“感染症病棟”には、ビニール1枚の“仕切り”が敷かれていた。床にはテープで示す「レッド」と「イエロー」の文字が。人も物資も限られた中での戦いが続いていた。

 「50代女性、職業看護師。お勤めのところは札幌市にある斗南病院という病院です。」

3月11日、札幌市が発表したのは、市内で初めての院内感染だった。院内に立ち上がったのは感染症対策本部。対策チームの指揮を執るのは、1%しかいない「感染症管理」の資格を持つ看護師の三宅隆仁さんだ。

  斗南病院は外来を1週間停止。再開後、看護師たちが身に着けていたのは、ゴミ袋で作った“防護服“。顔にはクリアファイルで作った“フェイスシールド”を装着。知恵を絞り、手に入るものでしのぐしかなかった。

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 感染症対策に詳しい北海道医療大学の塚本容子教授が専門家として指導に入った。塚本教授は清掃の状況などについて、三宅さんに次々と質問を投げかける。救急患者を診る処置室のベッドを囲うビニールシートは、農業用のビニールシートだ。塚本教授が「処置するとなったら狭い。実際に入るとちょっと近いよね…」と漏らすのだが、この仕切りがないと、飛沫感染が防げない。

 塚本教授の指導の下、防護服を着る練習も始まった。初めて防護服を身に着け、「初めてです。暑いです。」と戸惑う看護師たちに、塚本教授が「フッて息吹きかけて。どこか漏れないか。首振ってみて」と細かく指示を出した。

 「患者の中に陽性者が紛れているかわからない恐怖感だとか、不安は常に抱きながら仕事をしています」と三宅さん。見えない敵との戦いに、最前線に立つ病院も専門家も、手探りだった。

■「医療崩壊と言うなら、もう崩壊してる」逼迫する医療機関

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 緊急事態宣言の下、鈴木直道知事が「できる限り外出を自粛してください。それが皆さんの大事な人の命を守ります」と呼びかけていた4月下旬。道内では毎日30人以上の感染者が確認され、“第2波”が来た、とされた。

 5月5日には札幌市の秋元克広市長が会見で「市立札幌病院と北海道医療センターはコロナ患者を多く受け入れるということで救急を受け入れておりません。他の病院に負荷がかかっているという状況だ」と、市内の医療機関の窮状を説明した。斗南病院も例外ではなかった。「熱ある救急患者はコロナの可能性があるということで受け入れ先がなくなってきている。それを医療崩壊と言うなら、もう崩壊してる」と奥芝俊一院長。

 見えないウイルスに、院内にも緊張が走る。足のけがをして運ばれてきた高齢の男性のレントゲンに肺炎像があった。コロナの疑いがあったため、急遽、防護服を着て手術を行った。

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 全国と比較しても60代以上の患者が圧倒的に多かった北海道。介護施設での集団感染が止まらず、治療にも介護が加わった。症状が重い患者を受け入れている北海道医療センターでは、高齢者の入院が長期化していた。

 「目が覚めたら管だらけだったんだけど、身体が動かない。毎日がすごく苦しかった」と振り返るのは、4月末に意識不明で病院に運ばれてきた70代の男性患者。3週間後には陰性が確認されたが、肺炎が長引いたため、体の中に酸素が十分に取り込めない。リハビリは1カ月以上続いた。「同じ時期に(別の病院に)入院した人が亡くなったと聞いてびっくりした。よく知っていた人だったから。コロナはやっぱり怖いですよ」。

■「受け入れ困難」「受け入れることはできない」

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 地域医療連携室でも難題が立ちふさがっていた。「よろしくお願いします。失礼します。はぁ……」。ため息をつくのは、陰性になった患者の転院先を探す看護師の有馬祐子さん。「介護施設を含め50カ所くらいとやりとりをした。たくさん高齢者を診ているところだと、本当にそこを守るのが大変。そこで(コロナ感染者が)出たらそこが崩壊する。自分のところだけよかったらいいということじゃないので」と説明する。

 PCのモニターには「受け入れ困難」や「受け入れることはできない」という文字が並んでいた。陰性になっても終わらない。“その後”の受け皿が足りないのだ。

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 4月末に感染、人工肺(ECMO)を装着して治療し一命を取り留めた60代の女性。目が覚めると、歩けなくなっていたという。陰性が確認されて1カ月、一般病棟に移り、リハビリが続く。ベッドに腰掛けながら、スタッフの「1、2、3、4…」という掛け声にあわせて足を上下させる。「せーの、よいしょ」と脇を抱えられ、なんとか立ち上がることができた。

この日初めて自分で立つことができた。“第一歩ですね”とスタッフは笑顔で女性に語り掛けた。しかし、自宅に帰るには、あと半年から1年はかかるという。

 退院したら何がしたいですかという質問に、「何がしたいってことはないけど、やっぱり家族に会いたい。こういう状況で面会ができなくて誰にも会えないから」。

 一方、2カ月近く入院していた80代の女性は、リハビリ専門の病院に移ることが決まった。「移動しますから。そばにいるから安心してね」と、担架の横でスタッフが声をかけ続ける。看護師が転院先まで付き添う。限られた病床は、次の重症患者のために使われる。「向こうの病院も受け入れ態勢を整えるのに苦労したと思うと、ここまでこられたのは嬉しいなと思ってます」(有馬さん)。

■「“お前もコロナじゃないか”って言われるのが怖くて」「子どもにうつったらどうしよう」

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 三宅さんの元に電話がかかってきた。保健所からの依頼で、9人のPCR検査を行うことになった。特定の医師や看護師に負担がかからないよう病院全体で取り組む。

 この日は腫瘍内科の医師と看護師。2人とも初めてのPCR検査だ。医師が三宅さんに「一通り問診が終わったらPCRとって、最後に薬についてや熱あるかどうか確認してください」と手順を確認する。「外側の手袋だけ取って、手指消毒薬してもらって、下に手袋があるので都度履き替えて…」と、必要不可欠な消毒の段取りを説明する。

 患者は保健所の職員が一人ずつ連れてくる。「終わり!終わり!」「終わったよ!」検査を嫌がる子どもの鳴き声が響き渡る。長時間に及んだ検査を終え、フェイスシールドを脱いで消毒する。顔にはマスクの跡がくっきりと残っていた。この日検査を行った9人全員が陰性だった。

 三宅さんには、院内の外科医からは「マニュアル作って徹底させないと秋までに準備しないと大変なことになる。今の体制のままだったらいけないと思う。来週の医局会までに院長と話して…」と、意見が寄せられた。

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 家路につく車中、「(休日も)病院に行ったり、疑い患者の対応で呼ばれたり。(2月から)ゆっくり休んだのは2、3日あるかないかって感じですね。下の子も小学校に入学したけど、入学式の日も病棟で色々あって行けなかった。ちょっと家のことは犠牲にしてました」と、連日の過酷な勤務を打ち明けた。

 玄関のドアを開ける。妻も看護師であるため、高校生の長男・太輝くんが小学生の妹弟2人の面倒を見、夕ご飯も作っていた。今日の献立は蕎麦。「いただきます」と声を揃え、久しぶりの4人そろっての夕食となった。小学6年の佑奈ちゃんが「過ごす時間が短いので、朝も早く出勤するのでちょっと寂しいっていうか…」と話すと、太輝くんも「親がどっちも病院で働いているので、“お前もコロナじゃないか”って言われるのが怖くて」と明かした。

 難局は家族全員で乗り切る。「自分がかかるのは仕方ないと思うけど、子どもにうつったらどうしようというのがある。一番心配な部分です」と三宅さん。

■「いつ終わるかわからない形だけど、乗り切っていきたい」

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 朝の会議で、職員・スタッフを前に「これから先どうなるか。放送を見てると、3年間くらい続く話になりそうだことも言っている。いつ終わるかわからない形だけど、斗南病院は乗り切っていきたいと思いますので、よろしくお願いします」と話す院長。

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 三宅さんも「週末、接触者外来(PCR検査)がありました。前日までの予約は1名だったが、当日始まる直前に2名の追加があり、トータル3名やっています。昼カラ関係で人数が増えすぎて、小樽圏内だけでは賄い切れないということで、札幌に流れてくる可能性もある」と警鐘を鳴らした。

 街には人が戻り、“新たな日常”が始まった。しかし、いまこの時も“生命の守り人”の戦いは続いている。(北海道テレビ放送制作 テレメンタリー『たたかう 生命の守り人』より)

たたかう 生命の守り人
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