「今の方が充実しているし、最高です」。女優・水川あさみの活きが抜群にいい。気鋭の脚本家・足立紳による監督作『喜劇 愛妻物語』(9月11日公開)で、セックスのことばかりが頭にある売れない脚本家の夫にイラつき、罵詈雑言をマシンガンのように連射するチカを演じている。

「クズッ!」「タン壺ッ!」「泥棒ッ!」。スクリーンを見つめる誰もが驚くはず。“新境地開拓”という言葉が陳腐に聞こえるほど、いまだかつてない水川の姿がそこにはある。怒りの感情の中に悲壮を同居させながら、愛情とユーモアも忍ばせる深みのある演技。泣いて笑って怒って喜んで。タイトルに偽りなしの“喜劇”をものの見事に体現している。
芸歴は24年とベテランだが、30代突入を契機に個人事務所を設立して独立。作品との向き合い方も大きく変わったという。本領発揮の理由はここにありそうだ。「私自身が作品を選ぶ段階から参加できるので、どういう目的を持って自分がその作品に参加するのかを最初から理解して取り組むことができる。自分がやりたいものを納得した上で選択。一つの作品に向き合う時間をしっかり作るという、当たり前のこともできるようになりました」。環境の変化が女優としての表現に広がりを与えた。

無防備に口を半開きにした赤パンツの寝姿をさらしたり、夫婦の営みについて赤裸々に語ったり、生活に追われた疲弊感も真に迫っている。水川としては「ノーメイクでやりたかった」らしい。そこには日本のキャスティング姿勢に対する疑問もある。「美人系の人はこういう役、可愛い系の人はこういう役、というジャンル分けが日本にはあるような気がします。その人のパブリックイメージに近い役ばかりな風潮に“どうして可能性を狭めるの?”と日頃から思っていました。心も明け透けにしないと成立しない役を求めていた中で、今回の企画には正直ビビビッ!とくるものがありました」。
自らが選んで熱望した作品であり役柄。120%以上の力が出ないわけがない。「ここまで罵詈雑言を浴びせる役どころは初めて。滝のように怒りがあふれ出し、それに関連して過去のイライラが思い出されてさらに怒りが加速する。ついつい昔のことを引き合いに出して怒りを高めてしまうのは、女性あるあるかもしれません。“タン壺ッ!”とか、生きてきて初めて人に使うような単語もあって難しかったけれど」と嬉々として向き合った。

煮え切らない夫・豪太(濱田岳)に対して、終始怒り狂うチカ。罵詈雑言のワードチョイスは面白いが、演じ方次第ではワンパターンに陥る危険性もある。水川はそれも織り込み済。声のトーン、表情、セリフの強弱でアクセントをつけて飽きさせない工夫がある。「関西出身なので、足立監督が求めるユーモアをすぐにキャッチできるところがあったのかもしれません。そもそも脚本が完璧なので、こまごましたことは考えずに書かれたことをそのまま口に出せば大丈夫という安心感もありました」と謙遜する。
クライマックスの長回しでの“尻もちオチ”も泣き笑いを誘発する。「狙いではなく自然に転びました。ぶっつけ本番で計算している余裕は一切なくて、長いシーンだし喜怒哀楽のすべてを出さなければいけない。しかもカメラポジションの関係で立ち位置もずらせない。全部がグチャグチャになって力が抜けた結果です」と偶然が名場面を生んだという。

昨年の初夏頃に行われた撮影時は独身だったが「結婚してからこの作品を観ると、夫婦の最終系だなぁと思います。ここまで本音でぶつかっても、結局は食卓も囲むし同じ布団にも寝る。夫婦ってこういうことだよねという気がする。罵詈雑言の言い合いは別にしても、実は理想的な関係性」と視点も変化。ちなみに日常では「料理は私で掃除は夫。夫は掃除が凄く好きなので、自然と分担ができている感じ。うちは一汁三菜のような質素な食事を意識。ぬか漬けや味噌を作ったりしています」と良妻の表情だ。
幸せな家庭も築き、女優としても脂が乗ってきている。「デビューの頃は部活の延長のような気持ちがありました。そこから上京して駆け抜けるようにお仕事をして。今振り返ると20代はただただ忙しかったという思いがあります」とこれまでの道のりを俯瞰。30代突入後は「規模の大小に関係なく、自分が興味を持って飛び込んだ現場の空気感や絆などは、ほかの仕事では経験できないもの。そのお祭りのような高揚感を感じたいという連続が継続の原動力。そう考えると、今の方が芝居と自分との距離感も心地がいいし充実もしている。最高です」。この勢いのまま今年の映画賞レースを席巻するか。期待させるものを水川あさみは見せている。




テキスト:石井隼人
写真:You Ishii
この記事の画像一覧

