あの神木隆之介が27歳に。わずか2歳でCMデビュー、それ以来ドラマや映画で人々を感動させ続けてきた彼の25年の芸能生活を記念し『おもて神木/うら神木』が9月25日に刊行された。子役から国民的俳優へと、神木が第一線で活躍し続けられたのは、どんな役でも自分のものにする高い演技力はもちろんのこと、その温かな人柄にあるだろう。同誌では、親交の深い染谷将太中村隼人志田未来本郷奏多との対談や、三池崇史、新海誠、佐藤健インタビューを掲載。さらに上戸彩吉沢亮らからのメッセージなど、神木を慕う30組を超える著名人が参加している。なぜ神木はここまで愛されるのか。その理由がインタビューから見えてきた。

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(「僕も買いました!大人になったら買おうと決めていたんです」ライカで撮影するカメラマンに屈託なく話しかける神木)

「自分の話を聞いてくれる大人がたくさん!」とにかく現場が楽しかった神木少年

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 こちらの緊張をほぐすように「普通の東京都在住の27歳一般男性ですよ」と謙遜し、話し始めた神木。これまでの俳優生活については「濃密な25年間」だったと懐古。「作品も人も、出会いが全て素敵だったと思います。お芝居を通して、素敵な先輩たちの技術だったり、才能だったり、いろんなものを垣間見てきました。貴重な経験をさせてもらいました」と、これまで関わってきたスタッフや共演者に尊敬の念を持って感謝する。

 最も古い記憶は、2歳のときのもの。「一番最初のCM撮影のときにおもちゃをもらって帰りました。それがすごく嬉しくてそのおもちゃで何年も遊んでいた記憶があります」。子どもの自分の話を「ウンウン」と真剣に聞いてくれる大人たちがたくさんいたことが嬉しく、人と話すことが大好きな神木少年は仕事をするというよりは、現場が楽しくて会いに来ていると感覚だった。

 自分ではない人になるという“芝居”の楽しさに気づいたのは、小学校高学年になってから。「自分の人生で経験できないことをいっぱいできるな、妖怪と共に戦うなんて絶対できないよ!みたいな(笑)」と、そのときの気持ちを語る。

 幼少期に大病を患い “思い出作り”ではじめたという芸能活動だが、親から仕事を強制されたことはない。これまで自分の意思で続けてきた。

「『いつやめてもいい』と言われていたんです。『どうする続ける?やめる?』って聞かれて『楽しいから続けたい!』と選択しました。現場がとにかく好きだったんです」

「日本の映画に興味を持つきっかけになれば」神木的グローバル観

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 そんな神木少年が俳優として生きていく決意をしたのは、高校を卒業してから。“普通の高校生”と同じように、進路相談を機に考えたのだそうだ。しかも、その際には海外留学という選択肢もあったのだという。

「事務所に留学を勧められていたんです。でも僕は乗り気じゃなかったので「はあ」みたいな(笑)。当時は全然海外に興味がなかったんです。できれば日本にいたいなと思っちゃって、安心・安全だし(笑)。それで、留学のお話はお断りしました」

 事務所には、言葉だけでなく海外流の演技の仕方、様々な国の人々の価値観に触れて、グローバルに活躍してもらいたいという狙いもあったが、神木は粛々と日本で仕事を続けることを選んだ。

 今も特に海外志向はないという神木。「自ら積極的に行くというよりも、もしも行くとしたら作品で行きたい。自分が出演した日本の映画が海外の賞を取るとか。『日本の映画っていいの?』って興味を持ってもらえるきっかけになれたら嬉しい。海外の作品は(他国の人からすると)字幕だけでも感動できるけど、それと同じことが(日本の作品でも)できるはず。日本の作品で感動させたいと思っています」。海外の作品に参加するよりも、日本の作品を海外に発信したいというスタンスだ。

ウザがられたら「今、ウザいと思ったでしょ?」 佐藤健、吉沢亮…共演者の心を開く人懐っこさ

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 これまでの25年間、一度も俳優をやめたいと思ったことはないという神木は、どんな現場であろうと、“楽しさ”を探す。それは新しい挑戦だったり、自分の成長だったり、共演者とのコミュニケーションだったりする。

「もちろん眠いとか疲れたとかは人としてありますし、辛い現場もありますけど、こうやったら楽しくなるだろうなとか、こう思ったら楽しくなるだろうなとか、そういう風に最後まで探します。やってみることはやってみて、ダメだったらダメなんだろうという精神です」

 8月にアップした自身のYouTubeでは、大ファンを公言する声優・梶裕貴とコラボ。2017年にバラエティ番組「モニタリング」(TBS系)で共演した際に仲良くなり、そのまま焼肉を食べに行ったというエピソードを披露している。初対面でも怯まない、分け隔てないオープンな態度は、普段から現場で意識していることだ。

 「嫌われても、ウザいと思われていても別にいいと思っているんです。黙っていて態度悪いって思われるより、話しかけてウザいって思われるほうがいい。そう思っても、しっかり芝居はやってくれますし、皆さんプロなので(笑)。ウザがられたら『今、ウザいと思ったでしょ?』って言っちゃえばいいだけの話。せっかくならば楽しくやれればいいよねという、その一心です」。あっけらかんと語る神木。しかし、明るさを押し付けるだけでなく、しっかりと一人一人を観察し、絶妙にコミュニケーションの仕方を変化させている。「直感でお一人の方なんだなと思うときもあります。そのときは邪魔にならない程度に。でも、この人、そんな雰囲気出してるけど、踏み込んだら面白いなと思う人はどんどん踏み込んでいきます」。そうして攻略に成功した俳優仲間を尋ねると、「確実に佐藤健ですね。あと吉沢亮!」と即答する。

「吉沢亮とは最初はそこまで仲良くなかったんです。事務所のイベント『ハンサムフィルムフェスティバル』でリハーサルやっていたときも、彼は一匹狼タイプなので誰とも群れない。でも、あるとき、上の世代にすごく頼っていたのが自分たちの世代でなんとかしないといけないと、団結力が必要になるときがあったんです。そこで話しかけたらめちゃくちゃ面白い人で、仲良くなりました。一気に攻めて行ったら総崩れになりました(笑)。今でこそ福田組のメンバーになっていますけど、あれが彼の本性です(笑)。黙っていると近寄りがたいんですけどね。佐藤健もそう。踏み込める人しか彼には踏み込めない。見た目も話し方もクールだし、怖いと思っちゃうかも。でも、僕は全然怖くない。塩対応されてもそれが佐藤健だから(笑)」

 友人との馴れ初めを語る神木はどこまでも楽しそうだ。

「この発想はなかった!」って思われるような第一歩目の人になりたい

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 佐藤健の塩対応にも動じない。そんな強いハートを持つ神木だが、実は過去の出演作を見返すのは苦手。試写で完成作を観て、自身の反省点を発見して「次はこうしよう」とは思うものの、あまり振り返らないようにしているという。

 しかし、大ファンだと公言し、自らも『君の名は。』『天気の子』に出演した新海誠監督作品に関してはなんとか克服。映画として楽しむため「かなり頑張った」。

「『君の名は。』は、自分が映っているみたいな感じで最初はすごく恥ずかしかったし、劇場に観に行ってもすごくドキドキしたんですけど、たくさん観たら慣れていくんだろうなと思って6、7回劇場に行きました。そしたら克服できました。新海さんのファンとして観ていました。出演者なんですけど、出演者じゃないぞ、という風に観て(笑)。これはかなり頑張ってできるようになりました」

 今後の目標を尋ねると「僕自身も他の役者さんもやったことないことに挑戦して、同業者の人が『この発想はなかった!』って思うような第一歩目の人になりたい。それが世間の人にとっても新しい試みだねって思われるようなエンターテイメントを作れる人間になりたいです。そういう俳優・表現者でいたい」とやる気十分。現場を楽しみ愛される天才・神木隆之介の俳優人生はまだまだ続いていく。

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テキスト:堤茜子

写真:You Ishii

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