芦田愛菜6年ぶりとなる待望の実写映画主演作『星の子』が10月9日(金)全国公開。この度、本作の場面写真と、著名人から届いた女優・芦田愛菜と本作へのコメントが解禁となった。
日本中を涙させたドラマデビュー作「Mother」から10年。常に幅広いフィールドで観客を魅了してきた芦田愛菜が本作でさらに進化し、才能と輝きあふれる映画女優としての姿を見せ、その表現力が話題となっている。
芦田は、演じているときは、「自分がその役になるというより、その役が自分に近づいてくる感覚になる」と言う。本作でも一日中ずっと、ちひろのことを考えていたため、「撮影が進むほど、私の部分がどんどん少なくなって、ちひろの部分が多くなりました」と明かし、「家族から『ちひろの話し方が抜けてないよ』と言われることもあり、いつもちひろが心のどこかにいた気がします」 と撮影時を振り返る。
そんな女優・芦田愛菜を人々はどう見たのか?様々な声が集まった。
本作でメガホンをとった大森立嗣監督が、映画化するにあたって挑戦したのは、「少女の心の繊細な揺らぎを撮ること」だった。さらに、「セリフのないときのちひろをどう捉えるかです。喋っていないちひろにこそ、この映画の核があると思います。繊細なものが隠れていて、それは映画だから描けることの一つです」と続ける。
そんなちひろを演じた芦田愛菜について、「セリフのない一人でいるシーンが印象に残っています。芦田さんは的確な読解力と、引き出しの多さ、表現力、コミュニケーション能力、どれをとっても素晴らしかったです」と言う。「それに恐ろしい程のバランス感覚を持っています。15歳にして、自分のことを肯定しながら、解放していくことができるのは凄い。自分のどうしようもない部分を自分で認めないと演技のスタート位置に立てないのですが、芦田さんはそれができているので、もう子役という認識はなかったです」と評した。
また、「この映画には女優、芦田愛菜『さん』がいました」、「彼女の生業『女優・芦田愛菜』の真髄を見ました」と女優・芦田愛菜を発見したかのようなコメントや、「言葉だけの存在だった『ちーちゃん』が生身の実在になっていくのを、感嘆とともに見守ることになった」、「画面の中にいたのは、誰も知らない1人の少女」と、もはや芦田愛菜ではない、ちひろの存在に驚嘆する声もあがった。
さらに、そんな女優・芦田愛菜の一端が垣間見られる場面写真が解禁となる。一人佇むシーン、涙を目にいっぱいためた横顔など、まさにちひろそのものの繊細な揺らぎが映し出され、それを見るだけでも心奪われ、気持ちが揺さぶられる。
著名人コメント
宇野維正(映画ジャーナリスト)
観客は途中から祈るような気持ちで、少女ちひろの幸せを願うだろう。
その願いが叶うのか、裏切られるのか、最後の一瞬までまったく予測がつかない。
『星の子』は、そんな映画の罪深さと面白さが凝縮した作品だ。
恩田泰子(読売新聞記者)
日本人の多くは成長した「愛菜ちゃん」の姿をどこかで勝手に予想しながら、この映画を見始めるはずだ。
でも、どうだろう。彼女はスクリーンに登場した瞬間から、ちひろとしてそこに立っていて、観客が芦田愛菜の現在に思いをめぐらせるよりも前にすっと歩き出して、観客をひっぱっていってしまう。自意識とか野心とかいったものを感じさせない、その不思議な軽さは、今村夏子の原作小説の語り口、そして、ちひろという女の子のありように自然に沿う。
川島小鳥(写真家)
傷つかないように、毎朝鎧を着て学校や家族、そして自分自身と戦っていたあの頃。選べないものだからこそ苦しくて、逃げたくても逃げ切れないもの。だからこそ、ひとつひとつ経験し、自分で腑に落としていくことは、なんだかかけがえがなくて美しいことなんだと。胸が詰まりました。
鴻巣友季子(翻訳家・エッセイスト)
信じる心に真贋はあるのだろうか。見えること、見えないこと、その間に境はあるのだろうか。 原作に描かれた、淡い覚醒を前にゆれうごくヒロインのまなざしが、スクリーンにみごとに再現されていて感動しました。
佐々木敦(文筆家)
率直に言えば、最初に芦田愛菜の起用を知った時には
「ちーちゃんのイメージとちょっと違う」と思ってしまった。
小説『星の子』のヒロインは、もう少しこう、どこかぼんやりした感じの少女を思い浮かべていたのだ。
だが映画を観てゆくうちに、芦田の真っ直ぐな演技と繊細な表情の変化によって、
言葉だけの存在だった「ちーちゃん」が生身の実在になっていくのを、
感嘆とともに見守ることになった。名演である。
映画を観終わってしまったら、もう私には芦田愛菜以外の「ちーちゃん」は考えられなくなっていた。
サンドウィッチマン 富澤たけし(お笑い芸人)
芦田愛菜ちゃんとは一緒に番組をやらせて頂いていますが、この映画には女優、芦田愛菜『さん』がいました。
人間にはいくつもの感情があり、そのベクトルの中を時に傾きつつ、引っ張りあうバランスの中で『自分』を形成し、保っている生き物だと思います。
引っ張られる先にあるのは自分の置かれている状況や、家族、友達、先生といった人間関係、信じている物。
バランスが欠けると片方にふっ飛んでいってしまう。
宇宙における星同士のように。
何かを『諦めること』で人は大人になる。
何かを『諦めないこと』で人は成長する。
ちょっと何言ってんのかわからなくなりました…。
サンドウィッチマン 伊達みきお(お笑い芸人)
愛菜ちゃんとは、バラエティで共演させて頂いてますが、それとはまた違う…彼女の生業『女優・芦田愛菜』の真髄を見ました。
娘をもつ親としての目線だったり、大友康平さん演じる伯父さん目線…更に、懐かしい中学時代の友達関係や教室の雰囲気等、様々な感情で深く映画を観る事が出来ました。
個人的には、授業中…イケメン教師の似顔絵を書いていて叱られるシーンで、ちひろの友達が『似顔絵は先生じゃない……』と助けてくれた場面が印象的でした。
そしてすぐに、なべちゃんがちひろの席に来てくれる…決して、ちひろは一人にならない環境なのが安心しました。
両親から、とても愛されて育ったちひろ。
思春期で、好きな人や親友が出来る時期。
当たり前だったのが、あれ?少し違うのかな?…と客観的に見る事が出来る時期。
色々分かっていながらも、でも『信じる』というか『それで幸せならいいじゃない』…という気持ちが入り交じっているのが見えた。
愛菜ちゃんが号泣するシーンや、恋愛要素の強い会話をするシーンも印象的でした。
あと、全力で走るシーン。
愛菜ちゃん…なかなか速いんだなぁと(笑)
いや…『愛菜ちゃん』じゃなくて『愛菜さん』って言わないといけませんね。
永瀬さんや原田さんの惹き付ける素晴らしさに加え、新音さんの堂々とした魅力もありました。
素敵な映画でした。
SYO(映画ライター)
画面の中にいたのは、誰も知らない1人の少女。
自らの存在すら消し去る、芦田愛菜の驚異的な表現力。
これが、“女優”か。早熟の天才が、「本物」に羽化する瞬間を見た。
鈴木福(俳優)
ちーちゃんの信じる強さ、まーちゃんの自分を信じる強さ、2人の揺らぐ姿に人の深い部分を感じました。
何かを信じること、素直に信じることの難しさを考えさせられる作品です。
芦田愛菜さんの小さな頃から変わらぬ素晴らしさに感慨深いものがありました。
はるな檸檬(漫画家)
よく知らないものを闇雲に恐れないで、
どんなものの中にもありふれた人間の営みがあり、
当たり前に生活があり、
もしかしたらそこで揺れながらもがくひとりの子供がいるかもしれない事を、
忘れないでいたいと思った。
平松洋子(エッセイスト)
信じなければ生きていけない。
しかし、信じ合っていても、もしかしたらお互いに別のものを見ているのかもしれない。本作には、純度の奥行きと希望、残酷さが同時に描かれ、戦慄させられる。
光浦靖子(タレント)
正しいから信じるんじゃなくて、信じてるから正しい、になるかもしれないから、人は信じることを躊躇し、怖がるんだと思います。
「海路さんが焼きそば作ってるぅ」「きゃー」と女の子たちが群がる短いシーンが、印象的でした。彼女らのいろんな感情や状況が想像されて、見ちゃいかんもんを見ているようで、胸がぎゅうとなりました。
南沢奈央(女優)
美しいはずの星空が、こんなにも不気味に見えてくるとは……。すごい余韻。物凄いものを渡されて終わる。
自分の見ているものが、他のみんなにも見えてるものなのか。この映画を観終えた今、わたしはそこに立ち返って、立ち尽くしてます。
山田孝之(俳優)
笑える理由はこの世なのか、この世に生きる自分なのか。
素晴らしく完成度の高い物語と登場する人々。
全ての行動と言動の動機が理解できるから笑ってしまう。
しかしずっと笑ってもいられない。
芦田愛菜さんのお芝居がそうさせる。
この映画、全部凄い。
ロバート キャンベル(日本文学研究者)
子供への愛情から生まれた親の言葉や行動は、時折その子の行手をはばみ、傷つけることもあります。親への愛情を捨て切れずに静かに悶えるちひろの、あまりにも深く純粋な思春期を描き切った問題作です。
ストーリー
大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治した“あやしい宗教”を深く信じていた。中学3年になったちひろは、一目惚れしてしまった新任のイケメン先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。そして、彼女の心を大きく揺さぶる事件が起きるー。
(c)2020「星の子」製作委員会