本戦15試合、オープニングファイトも合わせると18試合という長丁場を締め括ったのは、衝撃と感動だった。
11月1日のRISE大阪大会。メインイベントで組まれたのは那須川天心vs裕樹の一戦である。もうすぐ38歳になる裕樹は、これが現役ラストマッチだ。3階級制覇を成し遂げ、那須川登場以前のRISEを支えてきた。
引退にあたり、裕樹は最後の対戦相手として現在の格闘技界を牽引する那須川を望んだ。階級は裕樹のほうが上だから、那須川は当初「やらないだろう」と考えていたそうだ。
だが試合は実現する。しかも裕樹はスーパーライト級(65kg)のチャンピオンでありながら、那須川が優勝した昨年の世界トーナメントの階級に合わせて58kg契約での試合を申し出ている。過酷な減量は承知の上。世界を獲った階級の那須川天心と闘いたいという思いからだった。
裕樹が最後に入場曲として使ったのは中島みゆきの『倒木の敗者復活戦』。RISEの伊藤隆代表は、リングに向かう裕樹の姿を見ただけで「感極まるものがありました」と言う。対戦する那須川は感慨を押し殺した。尊敬と感謝の念があるからこそ倒さなければならない。試合が決まった時点からそう考え、公言してきた。
「全力でいきます」
ゴング直前、拳を合わせるかわりに裕樹をハグし、那須川はそう宣言したそうだ。試合はその言葉通りになった。スピードとキレがとてつもない。ゴング直後からハイペースな攻撃を見せた那須川は開始1分かからずにスーパーマンパンチ(左ストレート)でダウンを奪ってみせる。裕樹の得意技であるローキックは徹底的に封じ、ジャブ、アッパー、左右フックとあらゆる角度からパンチを打ち込んでいった。
2ラウンド、今度はジャブから大きく踏み込んでの左ストレートで裕樹をマットに這わせると、続けざまの連打でまたダウン。
「早く終わってほしいのに時間がゆっくりに感じました。なのに僕の時間だけ早い」(那須川)
いつもとは違う感覚に襲われたからか、那須川はノーガードで裕樹のパンチを受ける場面も。裕樹が振り返る。
「天心もリスクを負って前に来た。ノーガードにもなって。でもああなると(パンチは)効かないんですよね」
あえてノーガードになったということは、パンチをもらう覚悟があるということだ。自分は攻めないから相手の動きをよく見ることができる。そして見える攻撃は効かない。ガツガツと拳を繰り出しながら、3階級制覇の実力者・裕樹はそこまで分かっていた。分かっていたからこそ、那須川の気持ちを感じた。
このラウンド3度目、勝負を決めるダウンは那須川の飛びヒザ蹴りで生まれた。「最後の技が一番効きました。見えてなかったですから」と裕樹。全力の那須川に完璧に倒されて、後悔が残るはずはなかった。
「世界一の男を体感できました。満足してます」
裕樹はインタビュースペースでそう語った。表情はスッキリしている。試合後、リングに上がった子供たちには「カッコよかった?」と聞き、うなずく姿を見て「それだけでいいですわ」と笑う。そして「20歳のころから寄り添ってくれた妻に心から感謝したいと思います。あなたのおかげでずっと続けてこれた。最高の格闘技人生でした」とメッセージを送ってリングを降りた。
完敗だった。だが最高の引退試合だった。勝てそうな相手ではなく那須川天心を選んだ時点から、裕樹はやはり並の選手ではなかったということなのだ。
裕樹は一夜明け会見にも出席し、あらためて那須川と対戦したことへの感謝を述べた。この会見で、彼は試合後のエピソードを語っている。
「試合の映像を見て、もっとできたんじゃないかと。引退したから反省しても仕方ないのに。嫁さんには“まだやるの!?”って(苦笑)。そういうことではないんですけどね」
選手にとって引退試合は、どんな結果になっても後悔しなくて済む唯一の試合だろう。だがそうはならなかった。癖、あるいは業なのか。この試合を現実にはない“次”に活かそうとしてしまう。減量のため「他の人間じゃできない」厳しい節制を自分に課してきたため、試合後も「ご飯を食べるのに罪悪感があるんです」とも。
「食べたら走らなきゃって、つい思ってしまう」
会見後には那須川と、実際に動きを交えながら試合を振り返っていた。根っからのファイターとしか言いようがない。そういう人間だから、いつまでも誇れる引退試合を残すことができたのだ。
文/橋本宗洋
写真/RISE