ジェンダーの問題をはじめ、ポリティカル・コレクトネスをめぐる様々な論争、Twitter上のハッシュタグ運動がネット上で繰り広げられた2020年。この年末年始も、メディアに登場した様々な表現をめぐり意見が交わされている。

・【映像】“「逃げ恥」はフェミニズムの教科書のようなドラマ”


■「フェミニズムの教科書」だった“逃げ恥”新春SP

 とりわけ注目を集めたのが、人気ドラマの新春スペシャル『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』(TBS系、2日放送)だ。

 2016年に放送され、社会現象にもなった“逃げ恥”。今回は“契約結婚”をしていた主人公の森山みくりと津崎平匡の間に子どもができたことから正式に婚姻届を提出することになるのだが、その過程では「選択的夫婦別姓」や家事の役割分担、コロナ禍の子育てや男性の育休休暇など、現代の夫婦が直面する社会課題について2人が話し合う場面も描かれた。

 今回の内容について、武蔵大学社会学部の千田有紀教授(ジェンダー研究)は「フェミニズムの教科書のようなドラマだと感じた」と話す。

 「前回は“やりがい搾取”や、“家事労働はなぜ無料なのか”といった、いわばマルクス主義フェミニズムの教科書みたいなドラマだったが、今回は現代的なフェミニズムの教科書だ。例えば母子手帳の表紙が映る場面があるが、保護者氏名欄には平匡さんよりも先にみくりさんの名前が書いてあった。私も市役所で同じように自分の名前を先に書いた時、窓口の女性に“えっ?”と言われた経験があるが、やはり企業などでも“男性が先”というふうにできていると思う。そういうポイントがてんこ盛りだった。エンタメと両立させるのは難しいことだったと思うが、すごくよくできていた。観終わった後にみんなで語り合いたくなるようなものに仕上がっていたと思う」。

 一方、「子どもが産まれるにあたって、僕は全力でみくりさんをサポートします」との平匡の発言に、みくりが「違う!サポートって何?手伝いなの?一緒に親になるんじゃなくて?」と疑問を投げかけるなど、賛否両論を呼んでいるシーンも少なくない。

 視聴者からは、「観ていて辛くなる人がいるのも現実だが、そこも多様性。議論が起きるということは良いこと」「いろんな生き方を肯定してくれるからすごく勇気が出るし、今回も日々感じる問題を取り上げててよかった」という評価の一方、「これこそが正解の世界、と押し付けられたような気がして苦しくなった。もっといろんな形があるはず」「みくりさんが女性の権利を主張してばかりで、サポートしている平匡さん側の苦労とかの視点はないの?当たり前なの?とモヤモヤした」と困惑する意見もある。

 女性キャスターの草分けとして、男性中心のメディア業界でキャリアを積んできた安藤優子氏は「“敏感すぎる”という意見があるのも分かるし、私の世代であれば、“夫がサポートしてくれるだけましだ”と言う人もいると思う。ただ、そういう細かい言葉遣いの違いが大きな価値観の違いになってしまう面はあると思う」、リディラバ代表の安部敏樹氏は「言葉尻の問題であっても、溜め続けた違和感を後で爆発させるのは、お互いにとって損だ。感じたことをその場で議論していったほうがいい」とコメントした。

 千田教授は「私はフェミニストなので、このみくりさんの発言についても承認するはずだと思われるかもしれないが、個人的な実感としては“サポート”の方が近いと思う。“産む”ということに焦点化した場合、十月十日お腹で育て、痛い思いをするのは女性だ。そのこと自体、忘れられてしまっているのではないかなという気がすることもあるし、難しい問題だが、一周回って、行きすぎている部分もあるかもしれない」とした。

 また、ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「一部のセリフだけ取り出して見せると確かにきつい感じはするが、“家事を手伝っていますか”というような言い方を企業が、“手伝うものではなく、分担するものだ”として炎上したなどことが背景にあるだと思う。こういう表現は、今この瞬間だけではなく、10年、20年と蓄積されてきた様々なことが積み重なっている。だからこそ議論するのがややこしく、ケンカになりやすい」と指摘する。

 「僕もドラマを観たが、違和感はなかったし、安藤さんが言うように、こうして問題提起をすることに意味があると思う。ただ、最近では逆に振れすぎてしまい、“フェミニズム的なことを言わなければ人にあらず”、というような風潮も出てきている。ドラマに対するネット上のコメントも内容そのものというよりも、“またフェミニストが喜んでいるのだろう”と感じ、そこに腹を立てている人もいるのではないか」。

■「男女が白組・紅組に分けかれて勝敗を決めるって、もう時代遅れ」「男だろ!」

 “逃げ恥”だけではない。恒例のNHK『紅白歌合戦』に対しては、「男女が白組・紅組に分けかれて勝敗を決めるって、もう時代遅れ」、さらには箱根駅伝で総合優勝した駒澤大学の大八木監督が選手に「男だろ!」とエールを送ったこと、歌手の板野友美さんがヤクルトの高橋奎二選手との結婚にあたり「精一杯彼をサポートできるよう精進してまいりたいと思います」とコメントしたことなど、ジェンダーをめぐる論点は尽きることがない。

 安部氏は「オーストラリアで漁船に乗ったとき、地元の漁師たちは、自らがフィッシャーマンであることを誇っていた。むしろブルーワーカーであり、稼ぎもそれほど多くない立場だからこそ、アイデンティティを鼓舞するということだ。それは虐げられた立場の人たちにしばしば見られることだと思う。そういうことも合わせて考えると、“男だろ”という言葉の意味も、どこから来ているのか深く考える必要があると思う。板野さんの言葉についても、プロスポーツ選手が現役でいられる時間が必ずしも長くはないという文脈を踏まえれば、“旬の時期をサポートするということも、ある意味では“役割分担”になるのではないか。いずれにしても、言った方、言われた方の文脈を無視して、外野が石を投げるのはどうなのか」と指摘。

 千田氏は「重要な指摘だ。“でも、俺たちは男だから”と言うことで問題が再生産されている側面はある。英語圏では、数学ができない男の子たちが問題になっていて、“勉強なんかしなくていい”という“男らしさ”が、貧困に結びついてしまっている。逆に、“俺は男だ”という理屈で女の人を踏みつけてしまう側面もある。また、板野さんについては、“サポートすると言わざるえない”文脈もあると思う。スポーツ選手と結婚した女性をめぐる報道を見ていると、成績が悪くなると“サポートが足りなかった”とか“料理が下手だった”などと責められることもある」とした。

 佐々木氏は「かつてはおじさんの価値観しかなく、フェミニズム的な価値観が認められないことの問題があった。しかし今はフェミニズム的な価値観が当たり前になった結果、おじさんの価値観が認められなくなった。その結果、アメリカの白人層が感じている不安感みたいなものも出てきていると思う。価値観の多様性というのは何も一つの価値観に染め上げるということではなく、おじさんの価値観の居場所も作ってあげることだと認識しなければならない。加えて、どちらの方が弱者なのかを自慢し合う“弱者競争”も始まっている。それはすごく不毛なことだ。ノット・フォー・ミー、つまり、これは私のための広告ではない、私のための記事ではない、私のための番組ではないと判断して、見ないで済ませる距離の取り方をしていったほうが健全な場合もある」と提案。

 安藤氏も「これが正解だと押し付ける前に、その人が選んだ生き方をまずは尊重してあげることが必要だと思う。男だろうが女だろうが漁師だろうが、自分が生きたいように生きて、そのサポートに回りたければサポートする。それを尊重しあえれば問題は起こらない。板野さんのメッセージだって、夫婦としてもうまくやっていくし、社会に対してもうまくやっていくという、“世渡りの知恵”というような部分もあったと思う。それを2人や社会が理解していれば済むことであって、とやかくいうのは余計なお世話だろう」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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