BACKSTAGE TALK #8 OZworld
AbemaMix出演の合間に、HIPHOPライター 渡辺志保氏がアーティストにインタビューを実施!
ココでしか聞けないBACKSTAGE TALKをお届けします!
ーアルバム、『OZKNEEZ FXXKED UP』のリリース、おめでとうございます。今作は、完全自主制作盤としてリリースしてるんですよね?
OZworld:はい。自分たちの母体となる会社を作って、そこからリリースしています。もともとずっと一緒に動いてきた仲間がいるんですけど、そいつが別の仕事から戻ってきて。それで、「やっちゃうか」って去年の4、5月くらいから話をしていて、7月に立ち上げました。
ーかなり大きな決断だったんじゃない?
OZworld:ここまできて、急に自分でやることの怖さもありましたね。完全に自分たちで全部やってるんで、「わ、こんなことまでやらなきゃいけないのか」って部分も多くて。今回、自分たちでどこまでできるのかを見極める期間でもあるというか、「ここまではやる、でもここはやらねえ!」って線を決めていく感じです。
予定では早くて9月くらいにアルバムを出せればと思っていたんですが、結局そこから2ヶ月遅れでリリースすることになりました。でも、最終的に自分の誕生日にアルバムを発売することができたので、なんだかんだ、この流れは腑に落ちた部分でもあります。
【映像】OZworld AbemaMix ライブパフォーマンス
ー『OZKNEEZ FXXKED UP』は、2ndアルバムではなくて<ゼロ・アルバム>という風に銘打っていますよね?これはなぜ?
OZworld:コロナでいろんなことが変化して、必要ないはずの執着心とかが捨てられた時に、いろんな余裕が出て来るんだろうな、って思ったんです。それが実行できたのが、このアルバムの制作期間中で。それで、マインド的にも「ゼロ」になった感じなんです。だから今回は<ゼロ・アルバム>って呼んでいて。内容も曲調的にも、1stと比べたら割と未来的な感じがあるんです。
でも、自分の感覚的には過去に戻ってるんですよ。要所要所で1stの時よりも前の部分に返ってラップしている部分も多い。「大事なものを取りに戻ってきました」、みたいな。
ー物質的には先に進んでいるけど、魂自体はは過去にある、みたいなこと?
OZworld:そうです。それで、ポーンと落ちて「だったらこれはゼロという概念なのでは」と。ゼロ=零(レイ)だから令和にも繋がるし、自分がめっちゃリスペクトしているさとうみつろうさんという作家の方がいて、ミツロウさんが最近出した本も「0Rei」っていうんです。自分の中で「それだ!」と思って。制作している間、コロナもあったし、一回立ち止まってふっと周りを見る、みたいな時間ができた。
歩いてきた道は見えるけど、何か忘れてきた気がするなっていうのを、音楽を使ったり瞑想したりして取りに帰ったっていう感覚でした。
ー今回のアルバムには、地元の沖縄について歌った「琉」という曲が入っていますよね。以前、Awichさんと話した時に、「首里城が燃えてしまった時、一番最初に話をしたのがOZworldくんだった」と聞いたの。その時の曲が、こうして出来上がったのかな?と思ったんですが、この曲はどうやって出来上がったの?
OZworld:この曲は、自分の中でも一番特別というか、最後まで時間がかかった曲なんです。ビートはかなり前からできていて、前回の1stアルバムのツアーが始まった沖縄のライブの日に完成していたんです。沖縄に来ていた(プロデューサーの)Howlin' Bearがライブ終わりに自分の家に泊まって、朝方まで二人でめっちゃ興奮しながら仕上げたビートで。
その後、何回かトライしたけど難しくて全然曲が出来なかった。一回作るのをストップしたときに、首里城が燃えた出来事があって、Awichから電話がかかってきたんです。それで、一緒に曲を作ろうとなったときに、僕の方が先にスタジオについて、たまたまサビだけ出来ていた「琉」を流していたら、Awichが「これじゃん!」って。それで、このままこのビートで曲を作ろう、ということになった。Chico CarlitoさんにもAwichが声を掛けてくれて。当初はGrace Aimiや唾奇も入る予定だったんです。
HARLEMで「Area47」をやった頃にはもう出来てましたね(※2019年12月に開催されたイベント。Chico CarlitoやChouji、Rude-αら沖縄出身のアーティストらが出演した)。
ー「琉」は前作のアルバムにはないトーンの楽曲だなと思って、すごく心に響いた曲です。
OZworld:この曲、ある日、サビだけできて、これからヴァースを録ろうってタイミングで、Def TechのShenに出会ったんです。Shenが沖縄に遊びにきてくれていて、友達が僕がレコーディングしているスタジオに連れてきてくれた。
僕、小学生のとき一番最初にCDを買ったのもDef Techだったし、僕にとっては「生き神様が来た!」みたいな感じで。Shenは初めて会った感じがしなくて、目が合った瞬間にピンと来るものがありましたね。そこからすっごく仲良くなって、いろんなことを話したり、自分のライブにもわざわざ遊びにきてくれたり。Shenに会って、精神的な部分も助けられたんです。
ーあと、シングル・リリースもされた「Vivide」は重盛さと美さんとコラボしていて…めちゃくちゃ聞かれている質問だと思うけど、どういった経緯でこのコラボが実現したの?
OZworld:SNSですね。重盛さんがYoutubeで「TOKYO DRIFT」を公開する一ヶ月前くらいに、ファンの子がDMで「重盛さんのストーリーでOZくんの曲が流れてますよ」って教えてくれたんです。実際に重盛さんのアカウントを見たら、お店のBGMとして「NINOKUNI」が掛かっていて、それをきっかけにDMしたら返信をもらって。「TOKYO DRIFT」を公開するタイミングで、向こうから「これ、今日公開するのでよかったら観てみてください」って連絡が来たから「自分で書いたの?」って聞いたら、「そう」って。結構、普通にクラったんですよ。
そもそも、重盛さんのことは「めちゃイケ」で見ていたし(笑)。タイミングがあったら一緒に曲を作ろう、ってことになり、ノリでとんとん拍子に進んでいって。
ーそうだったんだ!すっごくピュアな動機ですね。
OZworld:「Vivide」は、ビートも向こうが用意してくれたんですよ。速攻、レコーディングして送ったら「なんで知っとーと?」って言われたんです。そもそも、ビートメイカーの方が重盛さんに「ビビデバビデブー」って言いながら渡したみたいで。
ー重盛さんのリリックもすごくユニークで、そのセンスがOZworldくんの世界観とリンクしていてすごくびっくりしたんです。
OZworld:そうそう。普通、本業のラッパーと曲を作るって萎縮すると思うんです。でも、向こうからあんな煽りやかぶせの部分を入れてきて、尚かつ、うまい。いろんなボキャブラリーをちゃんと出しているのもすごいですね。「Vivide」のMVは俺よりも重盛さんの方がこだわっていて、何回も監督の家に行っていたし、曲の録り直しも何回もやっていて、すごく気合が入っていました。ちゃんと自分で機材も買いに行ってましたし。
ー今、新しいアルバムも出した直後ですが、どういうモードですか?
OZworld:今、音楽とは全く別の企画も考えていて。音楽は、自分が一番最初に出会えたものだし、自分を昇華させてくれる、そして進化させてくれるもの。それに、違うものを引き寄せてくれるものでもある。今は、やってみたいことがいっぱいあるんです。それをなんでも巻き込んで、音楽に還元することもできると思う。そのために会社を立ち上げた、という意味もあるので。
しばらくライブはやらないと思うので、今は物質的ではないやり方で、面白いことをする方法を考えています。みんなが「会いたいなー」って思ってくれたタイミングで、バーンってライブできたら良いなと思っていますね。