日本人は“死にたい”と訴える患者と正しく向き合えるのか…闘病生活の末に安楽死を決断した女性と考える

 「“もういい…”と思ったので」。くらんけさん(20代後半)は6歳の時に原因不明の神経性の難病と診断され、両足と手首から先がほぼ動かなくなってしまった。成人して以降、ほとんどの時間を病院のベッドで過ごしてきたくらんけさんは、「外国での安楽死しかない」と考えるに至ったという。

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日本人は“死にたい”と訴える患者と正しく向き合えるのか…闘病生活の末に安楽死を決断した女性と考える

 「5年くらい前に、治療は最後にしようと思った。毎月、かなり激しい治療を繰り返していて、それがちょうど30回目の時だった。薬も全く効かないし、もう疲れたなあと思った。明るい未来があるとも思えないし、死んでもいいやって」。

 一般には「安楽死」には、医師が致死薬を患者に注射して死なせる、いわゆる「積極的安楽死」と、医師から処方された致死薬を患者が自分の意思で使用し自殺する「医師自殺幇助」とがある。また、生命を維持するための介入を行わない、または、取りやめることによって患者を死なせる方法を「尊厳死」あるいは「消極的安楽死」と呼んでいる。

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 このうち、積極的安楽死についてはニュージーランドとスペインが新たに認めるなど、すでに10以上の国や地域で合法化されている。そこでくらんけさんはスイスの自殺幇助団体で安楽死をしようと決断、新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いた頃、現地へ向かうつもりだという。

■「生きがいを見出せるということもある」

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 終末期医療に詳しい慶應義塾大学の加藤眞三教授は、安楽死に対して慎重な立場を取る。

 加藤氏は日本における安楽死の議論について「日本においても治療の不開始、例えば“私は人工呼吸器をつけたくない”という意思表示をされた患者に無理やりつけるということにはならない。この消極的安楽死(尊厳死)についてはあまり議論にはならないが、薬を注射したり、薬を飲ませたりする積極的安楽死の方には、多くの国民全体が賛成ではないだろうと考えられる。実際、日本尊厳死協会や尊厳死法制化を考える議員連盟なども、人工呼吸器を外すとか、栄養を止めてしまうといったことについて進めようとしているのであって、積極的安楽死は目標にはしていない」と説明する。

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 「例えば自殺の名所を訪ねた時に、海を眺めている人に“私、死にたいんです”と言われ、後押しができるだろうか。私なら“ちょっと考えましょうよ”という関わり方をしたいし、多くの医療者はそういう気持ちで関わっているはずだ。紹介状を書けと言われたら紹介状を書くのが医師かもしれないが、安楽死のための書類を書くのはとても難しい。その前に、もっとやるべきことがあるだろうと考えるのが主治医というものだ。ただ、長い経過があり、主治医と患者が様々な工夫をした後、やっぱりそれでも、という場合があるかもしれない。そういった時には認める必要もあるのかなというのが、私の立場だ。また、例えばオランダはすごく合理的に物事を考える国なので、そういう国で広がっていった場合、人の死ぬ権利というのも一定程度は出てくるとは思う。ただ、やはり自分が死にたいという“自己決定“をしっかりできる人だけが受けられるのが安楽死であって、日本人にそれほどの自己決定ができるのか、という問題があると思う」。

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 また、加藤氏は「痛みに関してはかなりのコントロールができるようになっている。一方で、生きがいが見つからない、といった悩みの解決は非常に難しい。それでもサポートしてくれる人たちとの関係性の中で、また生きがいを見出せるということもある。例えば同じ病気を抱えた人たちが集まって話し合うことで、ものの見方が変ることもある」と訴えた。

■「日本にこそ必要な制度なんじゃないかな」

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 団体に申請が認められてから1年。「買っている犬と猫がそれまでよりも可愛く見えたり、世界がいつもより色づいて見えたり。ほっとしたというか、心に余裕が出てきた」と話すくらんけさん。それでも「怖いという気持ちが全く無いわけではないが、この不自由な手足でこの先も生きていきたいとは思えないし、死にたいという気持ちは今も変わらない。両親はやっぱり親なので反対の気持ちの方が大きいようだが、だからといって自分のために生きてくれとは言えない、という考えだ」と主張する。

 海外のある自殺幇助団体の統計によれば、安楽死の許可が下りた患者のうち、およそ7割が実施のための予約をしなかったという。くらんけさんは、この“いつでも死ねる”という権利こそが心の拠り所になると指摘、日本でも安楽死は当然認めるべきことだと主張する。

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 「人生のゴールが見えれば、それまでの時間を逆算して、上手に使っていこうとか、それまではちょっと悪あがきしてみようかなあ、みたいに思うはず。そういう意味でも、安楽死が認められることは“心のお守り”になると思うし、日本にこそ必要な制度なんじゃないかなって」。

■「合法化は今の日本には合わない」

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 一方、『安楽死・尊厳死を語る前に知っておきたいこと』の著者で鳥取大学の安藤泰至准教授は、「安楽死の合法化は日本に合わない」との立場を取る。

 「治療をしない、あるいは治療をやめる、ということに関してはケースバイケースだと思うし、本人や家族が十分に説明を受けて納得しているということであれば必ずしも反対ではない。ただし、どうすれば生きる意味を見出せるかを考えるよりも先に“死”という選択肢を与えてしまうことは危険が大きいと考えている。くらんけさんは“お守り”という言い方をしていたが、まさに苦痛から解放されるということがわかったときに安楽を感じるわけで、いくら肉体が苦しくても、死ぬまでの間を安らかに生きていくことはできると思う。特に日本は“こういうことがしたい”と強く主張すると周りから白い目で見られたり、同調圧力を感じたりすることの多い社会だ。“もう少し生きていたいけれど、家族にも迷惑がかかる”という形で死を選ぶという人が増えてくるかもしれない。

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 そして生きたいというのは、単に生存したいということではなく、意味を持って生きたい、ということだと思う。つまり、生きる意味を持てなくなった時に人は死にたいと思うわけだ。また、生きたいと死にたいは常にコインの裏表みたいなもので、すぐにひっくり返るもの。死にたいという気持ちがあることは受け止めなければならないが、それはそう思わされている人も少なくないと思う。幼い頃から病気に苦しまれてきたくらんけさんは生と死について深く考えていると思うが、そうじゃない人に“死ねますよ”という選択肢を与えるというのは、何かをことを急ぎすぎているんじゃないかと思ってしまう」。

■「それでも、“たられば“をいつまでも続けてるのは辛い」

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 さらに安藤氏は「安楽死という選択肢が認められた場合も同じ病気や状態の人たちが生きる権利は侵されないと考えている人が多いが、それも間違っていると思う」と指摘する。

 「重い病気や障害を抱えた人たちが生きる権利というのは自然に出てくるわけではなく、医学的、心理的、社会的サポート、さらには加藤先生が言われたような生きがいのサポートがなければ保障されないものだ。ところが今の日本社会はどうだろうか。社会保障費も削られていく状況下では、死むという選択をさせられてしまうことも出てくると思う。オランダでは2001年に積極的安楽死が認められたが、実は1950年代から議論を初め、まだ認められてはいなかった1970年代から致死薬を注射して死なせた医師たちもいた。そういう意味では、まだ日本社会は成熟していない。まだ十分な知識がない、あるいは偏った経験、イメージだけで語っている人が多く、まだまだ時間をかけて対話を重ねていく必要があると思うし、まだ賛成か反対かを決める時期ではない」。

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 くらんけさんは加藤氏や安藤氏の話、さらには“次の日になれば新薬が開発されるかもしれない”“生きているだけで価値がある”といった意見があることも踏まえた上で、「それでも、“たられば“をいつまでも続けるのは辛い。それも決断の一つの理由だ。生きがいというのは他者から与えられるものではないと思うし、自分で見つけなければならないもの。他者の力を借りればできるじゃないかと言われることもあるが、私は何をするにしても他者の力を借りなければならない」との胸の内を明かし、改めて強い意志を示した。

 議論を終えたEXITの兼近大樹は「死にたいと思う人を生きたいと思う方向に持っていこうとする気持ちも分かるし、今までいろんなことを考えて、試行錯誤をしてきたというくらんけさんの気持ちも分かる。ただ、人生は長いか短いかだし、僕だっていつかは死ぬ。だから人生を楽しくするために死ねる権利を持っておく、ということもあっても良いんじゃないかって思った。くらんけさんが死ぬ権利を手に入れたからこそ、僕とこうやってお話ができたわけだし、視聴者の皆さんの心も揺れたと思う。僕は会えて良かったと思ったし、もっと伝えていって欲しい、そのために生きて欲しいと思った」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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