1月30日のABEMA『NewsBAR橋下』に立憲民主党の小川淳也衆議院議員が生出演、新型コロナウイルスに感染した際の体験談を詳細に語った。
小川議員の感染が発覚したのは昨年の11月17日のこと。19日には涙ながらに医療従事者などへの感謝の言葉を述べる動画をTwitterに投稿、大きな話題を呼んだ。
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■「39度の高熱がある状態で、一人で歩いていった」
「忘れもしない、11月16日の月曜日。地元・香川から上京して大臣にお目にかかったりした後、夜になって宿舎に帰ると突如、熱が出始めた。そして深夜には39度になり、これはただごとじゃないな、と思った。急に強烈な倦怠感に襲われた。それでも、まさか自分がコロナに感染しているとは思わなかった。ただ、万が一のことを考えて、お世話になっている近所のクリニックに電話した。
すると、PCR検査はしているけれど、熱が出ているなら来ないでくれ、と言われた。これが今も問題になっている、クリニックはたくさんあるのに、院内感染や風評被害の懸念から、発熱した患者に対応できるのは3分の1しかない、という話だ。仕方がないので東京都の相談センターに私人として電話をかけた。当時は都内の1日の新規陽性者が200~300人くらいだったので、すぐに繋がり、丁寧な対応をしてもらった。
紹介を受けたクリニックは、1kmくらいの距離にあった。公共交通機関は使えないし、タクシーに乗るのもはばかられる。秘書さんや家族にも頼みにくい。だから39度の高熱がある状態で、一人で歩いていった。本当に無事にたどり着けるだろうか、帰れるだろうかと思った。しかも、病院に着いてもすぐには入れてもらえなかった。しばらく外廊下で待ち、検査したらすぐに陽性だということが分かった。
ここからは保健所の管理の下に入る。防護車両で大学病院に行った。ここも今みたいに待機者がたくさんいる状況ではなかったので、比較的スムーズだった。病室から一歩も外に出られないので、部屋の掃除、買い出しまでお医者様や看護師さんが本当に献身的にやってくれた。こういうことも医療現場の負担になっているという現実をこの目で見た。これは本当に罹ってみないとわからなかった課題だ。
この間の国会質問のメインも、そのことだった。体験者として、政治が改善しないといけないことがこれだけあると、ポイントを整理して質疑した。これが回復者の議員としての責任だと感じている」。
■医療の逼迫に政治の責任を痛感
入院生活は11日間に及び、改めてコロナの恐ろしさ、対策の課題を痛感したという小川議員。同僚議員からは、「お前がなるなら誰がなってもおかしくないな」と言われるくらい気をつけていたといい、感染経路については、今も不明だという。「1週間から10日くらい遡ると、会食に3回ほど参加した。そこで相手の中に後に陽性になった人いれば、可能性があるが、一切無かった」。
国会議員の銀座の会食が相次いで報じられていることを踏まえ、橋下氏が「“深夜の銀座”とかはなかったんですか?」と尋ねられると、小川議員は「深夜どころか、恥ずかしながらこの十数年で銀座は2、3回しか行ったことがなくて…」と苦笑。
小川議員とはテレビ番組の政策論争でぶつかることも多い橋下氏だが、「絵に書いたような優等生で、僕とは人間的な雰囲気が真逆(笑)。国会の質疑でも相手に気遣いができる人。その小川さんが感染したということは、誰でも感染する可能性があるっていうこと」と話し、僕がPCR検査を受けたときは猛批判されたけど、小川さんがPCR検査受けたときに、あたえりまえだけど、誰も批判しなかった(笑)」と冗談を飛ばした。
「僕が検査を受けた去年3月は、検査体制も患者の受け入れ体制もまだ整っていなかった。それでもメディアでは”もっと検査数を増やせ”、という声が大きかったから、知事・市長の経験も踏まえて“医療体制が整うまでは拡大すべきじゃない、このまま拡大すれば病院がパニックになる”と訴えた。それでPCR検査を受けたから今でも批判を浴びる。実際は亜急性甲状腺炎による倦怠感や喉の痛みだったんだけど、医師の判断で、検査を受けなきゃ仕方がないというものだった。だけど、やっぱり人柄。小川さんのことは皆が大丈夫って言って、皆が支える(笑)」。
その上で橋下氏は「医療機関が多くて、平時には国民皆保険制度の下、みんながすぐに病院に行けるというメリットがあるのが日本の医療体制だと思うんだけど、有事のときには対応できない、力が発揮できないということが今回のコロナで明らかになったと思う。もちろん今の医療体制は政府与党の責任なんだけど、野党も含めた政治全体の責任だとすれば、考えたときにどうですか」と尋ねた。
小川議員は「そこは痛感している。医療の逼迫についてはヨーロッパの国々では数百万人、アメリカでは数千万人の累計感染者数でで起きたことが、日本では40万人弱で起きてしまっている。それは全体のベッド数の2%しかコロナ対応できていないから。医療資源そのものがないというよりは、民間の病院が大半だということもあり、知事や市長、あるいは厚生労働大臣が“これをやってください”と言える体制も権限もない。ここが欧米との最大の違い。
医療というのは、公共サービスでもあるので、時と場合によっては公的な権限と責任で体制を変えることができるよう、平時に議論しておかなければならなかった。今は対応してくれた病院が少なくとも赤字にならないよう、医療従事者の給料が少しでも上がるよう、診療報酬を厚くしているが、逆に言えば、カネをつけることしかできない。“お前は経験してるだけに違うな”と国会の中でも言われることがあるので、そこを生かして訴えていかなければいけないと思っている」と応じた。
■それでも「自民党から出馬という選択肢はない」
視聴者からは、「与党に行けばいいのに」という声も寄せられた。小川議員は「中央官庁で約10年間勤務して、傷んでいた当時の自民党政権に代わる選択肢が必要だ、選択肢のある状況さえ作れれば政治はもっとよくなると感じて政界に入った。何か強いものに巻かれたり、委ねたりするんじゃなくて、やっぱりもう一つの選択肢を作る側に回りたい。そこに懸けているので、自民党から出馬という選択肢はない」と断言した。(ABEMA/『NewsBAR橋下』より)