「“パパ遊ぼう”と言われても、キツくて遊べなかった…」がん治療を終え本格復帰を目指すペナルティのワッキーが語った闘病生活
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 今月、およそ10カ月に及ぶ中咽頭がんの治療から復帰したペナルティのワッキー。打ち合わせ中の相方・ヒデの前にサプライズ登場、お互いに涙する映像がYouTubeにアップされると、大きな反響を呼んだ。

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「“パパ遊ぼう”と言われても、キツくて遊べなかった…」がん治療を終え本格復帰を目指すペナルティのワッキーが語った闘病生活
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 ワッキーが自身の身体に違和感を覚えたのは去年3月のこと。翌4月、中咽頭がんのステージ1との診断を受ける。

 「首にシコリを見つけた。最初は1個だったが、1週間後くらいには2個になっていた。今までは無かったはずだと思って、いつも行っている近くの耳鼻科に行った。すると、ちょっとうちではわからないからと、でかい病院を紹介された。そこで首の組織を調べたら、“がんです”と言われた。ドキっとした。痛みは全くないし、(体調の変化も)全くない。たばこはやらない、酒もちょっとしか飲まない。でも運動はやっているということで、むしろ超健康体だった。だから、まさかのまさかだった。

 がんの“本店”を原発というが、それが首に転移して、2個の“支店”ができてしまっていた状態だった。だから“早期発見”ではない。原発は触っても全くわからなかったし、お医者さんでもなかなか見つからないようなものだった。ただ、触ってわかるところに“支店”が出てくれたことが本当に良かった」。

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 告知を受けてから1カ月ほどは、家族にも明かさなかったという。

 「家族に迷惑かけたら、メッチャ心配かけてしまうかなと思ったし、もちろんヒデさんにも言っていない。でもキツかった。子どもと遊びながら、“もしかしたらこれから死んでしまうかもしれない”と思ったり。1カ月くらい経ってから、初めて家族には言わなければと思った。でも、妻はちょっと覚悟していたみたいで、どっしり感がすごかった。微動だにしない、うろたえない。“そうなんだ”くらいしか言わなかった。それが心の支えになった。すごいと思った。次にヒデさん、そしてよしもととも、いつ公表するか、という話をした。芸人仲間には、入院の2日前くらいに」。

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 そして6月にはTwitterで闘病生活に入ることを公表。8月にかけて、およそ2カ月間入院し、放射線化学治療を受けた。コロナ禍での治療。免疫の低下により、万が一感染すれば、重症化や死亡リスクが高まるため、家族さえ面会できない日々が続いた。

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 「喉のがんなので、やはり喉が痛くなったし、食べ物の味が全くしなくなった。そして個人差があることだが、僕の場合は抗がん剤でメチャクチャ気持ち悪くなった。効果が見えていたからがんばれたが、1回目よりも2回目、2回目より3回目がキツくて、思い出したくないくらいだ。1週間くらいずっと吐いていた。痛みで食べることもできないので、お腹に穴を空けて、胃に栄養剤を入れたり。

 病室から出て廊下を歩いたりすることはできるが、病院の外には全く出られないし、丸々2カ月、外部の人とは会えない状態だった。子どもとも、携帯電話で話していた。とにかく辛抱するしかない。サッカーをやっていたスポ根時代を思い出したこともあったし、もっと辛い病状の方もいたので、“俺も頑張らなければな”と。例えばサッカーをやっていた高校生の子がいて、僕よりも辛そうだった。メチャメチャ話したし、後で僕が持っていたイニエスタのサインをあげた」。

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 芸人にとっては欠かせない声。失う可能性はほぼないと言われていたというが、“100に戻るかどうかはわからない”状況でもあった。それでも入院中の自分を支えたのは、やはりお笑いだったという。

 「キツくなってきたときには、お笑いのことを考えると楽になった。コントやりたいって、すげえ思った。ネタもずっと考えていた。ただ、辛いときに思い浮かんだやつは全然おもしろくない。暗いというかわけがわからない(笑)」

 退院時には10kgほど痩せてガリガリになっていたといい、「この感じだと表には出られないなと感じた」という。

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 「普通の病気は入院したときが一番キツい。でも、僕の病気は退院したときがマックス。放射線と抗がん剤による治療を終えて、病院では何もすることがないから、ということで退院する。だからそこからの自宅での闘病生活の方がキツかった。お医者さんには喉の痛みは2週間くらいしたら減ってくると言われていたが、個人差があって、僕の場合はどんどん痛みが増していた。だから飯が食えず、引き続き胃から栄養剤を入れる状態だった。子どもに“パパ遊ぼう”と言われても、キツくて遊べなかった。

 それでも家族やペナルティという帰る場所に絶対戻るんだということと、Jリーグ関係の方も含めて、応援してくださる方が本当にいっぱいいた。浦和レッズの槙野選手のお声がけで、J1の選手たちからのVTRも頂いた。カズさんからはじまり、最後にイニエスタが“ジョッキー頑張って”と。ワッキーのことをジョッキーって(笑)」。

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 今の体調は「85%」くらいだが、「とにかく笑いをメチャクチャやりたい」。

 「テレビもそうだしYouTubeもそうだし、舞台にも立ちたい。相方とコンビネタをやりたい。生のお客さんの前でドワッと大爆笑を取りたい。連絡を毎日とるわけではないが、相方は節目節目で連絡するたびに“とにかく自分の体を第一に。俺は絶対待ってるから”って言ってくれていた。もしかしたら来月には舞台に立てるかもしれない」。

 最後に、入院中考えていたというギャグを披露。スタジオは笑いに包まれたが、本人は「ちょっとまだ完治してないかもしれない」と苦笑していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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