「福島の復興を世界に発信できる」 40代半ばでJヴィレッジへの転職を決意、1年越しで始まった聖火リレーへの思い
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 急転直下の延期決定から1年越しで始まった聖火リレー。スタート地点のJヴィレッジで担当として準備を任されたのは「どうしてもサッカーに関わる仕事をしたい」と、40代半ばにして転職を決意、勤務して2年目の男性だった。

【映像】Jヴィレッジ職員が語る、1年越しで始まった聖火リレーへの思い

 聖火リレーのスタート地点・Jヴィレッジで、組織委との調整などを担っている愛川雄一郎さん(47)は、去年3月、聖火リレーの延期を突然知らされた。「中止になる前の日の夜に組織委員会から連絡を頂いた。今まで組織委員会と連携して準備していたものが全部台無しになったというか、頭が真っ白になってしまいました」と、当時を振り返った。「頭が真っ白」になるほどの衝撃を受けたのは、ある思いがあったからだった。

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 10年前の東日本大震災で、愛川さんは同じ福島のいわき市で被災した。発生当日の3月11日は37歳の誕生日だった。当時、郵便局で働いていた愛川さんは、全く別の仕事をしていたが、サッカーに関わりたいという夢をどうしても捨てきれず、一昨年、44歳でJヴィレッジに転職。そこで初めて任された大仕事が「聖火リレー」だった。

 愛川さんは、「震災10年目を迎えて、とても大きな世界に情報を発信できる聖火リレーに関われるという、すごく私自身の人生にとっても大きなことかなと」と本音を明かした。「福島の復興を世界に発信できる」という思いとともに、聖火リレー担当という今の仕事が、愛川さん自身の人生にとってとても重要なものになっていた。

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 そして今日、1年越しのスタートを迎えた。愛川さんは、「今、正直ドキドキしています。本当にここからきちんと安心安全に出発できるかなという緊張感といいますか…。私としては聖火リレーを安心安全に出発して頂くことと同時に、福島県が復興したんだと、安心安全に皆さんが来ていただけるようなPRを出来たらなと思っております」と笑顔で語った。

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 10年前、福島第一原発事故の収束拠点になったJヴィレッジ。当時、作業に当たる車が並んだ芝には今、若きサッカー選手たちが集っている。「サッカーの聖地」、そして「復興のシンボル」として、Jヴィレッジは進んでいる。

 Jヴィレッジ経営企画部の明石重周課長は、「Jヴィレッジは再開は難しいんじゃないかと言われてきましたので、子どもたちがきれいなピッチに戻ることで、楽しくおもいっきりプレイできる光景が見れてうれしく思います」と話す。一方、愛川さんは「Jヴィレッジという施設に多くの方が来ていただけることも、日本のみならず世界の方に分かっていたただけるものにしたいなと思います。10年目を迎えてまだまだ復興していないという声もありますけど、被災者として全員でこのオリンピックを盛り上げられればなと思っております」と意気込みを語った。

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 そんなJヴィレッジのピッチを一望できる場所に「蹴球(サッカー)神社」という神社がある。ここで必勝祈願した高校サッカー選手権に出場する2つのチームが、3年連続ベスト4に進出するなど、勝負事や逆転にご利益があるとされる神社だ。聖火リレーの延期が発表された後も、「必ず開催される」と信じて待っていたと話し愛川さんも祈願に訪れたそう。

 蹴球神社は、「復興に向けて、人々に来てほしい」と震災から10年の今年、リニューアルが進められていて、接触することなく自動でおみくじの結果が表示されたり、参道の通路にはディスプレーが掲げられ、震災前の賑わいや復活の軌跡を見ることができる。

ABEMA/『ABEMA Morning』より)

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