「天才ですから」―― 桜木花道(以下、花道)のいつものセリフ、しかしいつもとは違った意味のセリフで最後を締めくくり、「SLAM DUNK」はエンディングを迎えました。学生時代を「SLAM DUNK」と共に駆け抜けた筆者にとっては、憧れの人たちとのごく当たり前に続いていた青春が、突然断ち切られたような喪失感を覚えるほどのあっけない幕切れでした。
最後の試合となった最強・山王工業高校戦で、湘北高校(以下、湘北)のメンバーたちは圧倒的な力の差を目の当たりにし、身も心もボロボロにされてしまいます。それまでの相手なら力でねじ伏せてきた流川楓(以下、流川)すらも沢北栄治には圧倒される始末。そのとき「週刊少年ジャンプ」での連載をリアルタイムで追っていた筆者は絶望的な点差を見て「ここから勝つのはいくらなんでも無理だ。もし勝つとしたら奇跡の逆転になるだろう。これ以上の試合展開を描くのは無理な気がするし、もしかしたら山王戦で最終回なのかもしれない」と半ば覚悟を決めていました。
それでも心の奥底では「いや、名朋工業の森重寛はどうするんだ。桜木花道よりも強いアピールしておきながら、湘北と戦わずに終わるわけがない。もしかしたらまだ続くのかも……」と、かすかな期待を持っていたのです。
もし当時インターネットがあれば、きっと多くのファンが考察と論争を重ねていたでしょう。しかし現実には自分の周囲にいる「SLAM DUNK」ファンと「どうなっちゃうのかな。終わるのかな。続くのかな」と語り合うくらいしか出来ませんでした。結末は、皆さんがご存じの通り。湘北は山王に勝利するものの続く3回戦で嘘のようにボロ負けし、最終回を迎えたのです。
今考えれば、花道がケガをせずに山王戦に勝利して話が続いていたら、これほどの盛り上がりと余韻を残した完結になっていたでしょうか。繰り返しになりますが、山王以上の敵は存在しません。井上雄彦先生が2回戦で湘北と山王をぶつけると決めた時、ここで終わることが確定していたのです。
それでも井上先生が本誌の後書きに残した「続きはやりたい」という言葉を頼みに続編を待ち望んでいましたが、先生は他紙で別作品の連載を開始したためかその機会は訪れず、時は過ぎていきました。
そんなある日のこと。井上先生の公式サイトに驚くべき知らせが掲載されました。「SLAM DUNK」の単行本日本国内発行部数が1億部を突破した記念に、最終回から10日後を描いた「スラムダンク-あれから十日後」が公開されることになったのです。
そうして2004年12月、神奈川県立三崎高等学校の校舎に詰め掛けた大勢の「SLAM DUNK」ファンを待っていたのは、断ち切られたあの日の続きでした。
黒板にチョークで描かれていた、彼らのその後。流川は公園での練習を終え、自転車で疾走しながら留学めざし英語のリスニング中。三井寿は不良時代の成績がたたり、バスケでの推薦進学を狙って汗を流す日々を送ります。赤木剛憲は受験勉強に専念しているものの、バスケがしたくてイライラ。次期キャプテンを任された宮城リョータはリーダーシップの勉強に余念がなく。安西先生と彩子はランニング中に鉢合わせと、みながこれからに向けての日々を送っていました。
対するライバルたちも海南大附属の牧紳一は趣味のサーフィンに興じ、翔陽高校の藤真健司は似合わないヒゲを生やし、陵南高校の仙道彰は釣りをしているなど、それぞれの日常のワンシーンが切り取られていたのです。その他にも多くの懐かしい面々が描かれており、さながら懐かしい友人たちとの同窓会のような様相を醸し出していました。
会場には、かつての読者たちがあとからあとから押し寄せ、3日間に5000人以上が訪れました。黒板の前には柵も何もなく、消そうと思えば誰でもすぐに消せる状態でありながら、最後まで線の1本も消されなかったそうです。
あの日の黒板アートは、その場に訪れたすべての人たちにとって、心の中に秘めた宝石のような時間を再び前に進ませてくれた、青春の忘れ物のような存在だったのかもしれません。少なくとも、筆者の時間は、10日分前に踏み出してくれたのではないか。そんな気がして、なりません。
(C)井上雄彦 I.T.Planning,Inc.
(早川清一朗)